第2話、制限され始めた放課後
「聞いておられますか、附田優美様」
狐のこの言葉で、私ははっと我に帰った。昔のことを苦々しく思い出していると、どうやら目の前の狐の話しを右から左へ受け流してしまったようだ。
しまったなぁ。もう一回言ってもらおうかなぁ。などと逡巡していると、
「では本日も、ご武運を」
と狐は言って、朝の現状把握を無理矢理終わらした。ほとんど話は聞いていなかったけれど、恐らくいつもと変わらないことしか言っていないだろう。
身体がふわりと浮く感覚がした。でも帰りは、直ぐに到着する。
普通電車の壁際に寄りかかり、スマホを弄る女子高生。周りは、彼は、そんな風に私を見ているのだろうか?意識が戻った後、私はちらっと彼を見た。彼も私と対抗するように、反対側の手摺をもってスマホを眺めていた。彼はふと顔を上げた。私は反射的に顔を逸らした。駄目だなぁ、私。相も変わらぬ内弁慶っぷりに、この意気地なし!と非難したくなる。
電車は私の降りる駅に到着しようとしていた。いつもこの、現状把握が終わるとすぐ、駅に到着する。だから、快速は使えないのだ。一度誤って快速に乗った時は、現状把握が終わると降りる駅を通り越してしまっていた。結局10分の遅刻。真面目が唯一の取り柄である私にとって、なかなかにショッキングな出来事だった。
反対側の扉が開いた。人の流れに従って、私も歩を進める。その途中で彼とすれ違った。
顔を上げて、笑顔で、挨拶。出来るかよ!とあらぬ幻想を抱く自分に突っ込む。相手からしたら、私は赤の他人だぞ。いきなり挨拶するなんて、ただの変な女ではないか。こんなやり取りを、心の中でほぼ毎日やっていた。
ちょっとした一言さえ言う勇気のない私は、今日も下を向いて彼の隣を通っていった。扉が閉まり、電車が発車するのを見計らって、私は大きな溜息をついた。
このゲームを始めて、私の生活は大きく変わってしまった。それが良かったことかというと、決してそうは言えないと思う。
中学生の頃は目の前に受験が迫っていたから、今以上に憤りが強かった。幸いというか、神様も最低限の空気は読んだというか、学校の授業中に通知がくる事はなかった。それでも家に帰って、勉強を始めようとするちょうどその時に通知が来るので、面倒臭いことこの上なかった。更にそこからおよそニ時間ゲームに時間を取られるのだ。ストレスが溜まって仕方が無い。
親は、今までの怠惰な生活を改めさせようとして、学習塾にいれようとしていたが、勿論私は断固として反対した。塾の時間など、完全にゲームの時間と被っているではないか。もってのほかだった。そうして私は、塾なしで進学校に合格すると親に約束したのだ。今から思えば、よく今の高校に受かったと思う。
そして高校生になったが、ゲームの方は全く終わる気配がない。相手は今までの雑魚な武将と違って、実力はほぼ互角だった。そして、まるで人間が動かしているかのような狡猾かつ緻密な動きに、私は途轍もない苦戦を強いられた。
そして、私のハイスクールライフも大きな障害にぶつかっていた。放課後にゲームがあるから部活はできないし、ファミレスでだべったり、学校で遊んだりすることも出来ない。それを嫌がり、無視して遊びに行ったとしても無駄だ。呼び出しが来て20秒が過ぎると、私の身体は強制的にゲーム世界に引きずり込まれてしまう。そうすると、女子高生が2時間ずっと立ち尽くしたままスマホを眺める、という構図が出来上がってしまうのだ。客観的に見ても、奇妙で仕方ない。
どうやったら、こんな不自由な生活は終わりを迎えるのだろうか。スマホを捨てる?壊す?実は一回やってみたのだが、捨てても強制的に戻って来るし、壊しても新しいスマホの中に勝手に入ってくる。じゃあ、どうすればいい?解は一つだ。ゲームの中の、奴を倒すこと。
私は、去年の夏に、落とし物を拾った。そしてその落とし物に、私の生活は支配されている。早く持ち主のところへ返さないと、禄に普通の学校生活すら送れないのだ。
「つくつく〜今日暇?」
心ここに在らずの状態で長らく歩行していた私は、クラスメイトの多佳羅の呼びかけに飛び上がるほど驚いてしまった。私の周りで、こんな間の抜けたあだ名で私を呼ぶのは彼女しかいない。私はびっくりして、背筋をピンと延ばして振り向いたいた。
「今日からテスト週間じゃん。諒子も私も部活無いから、諒子ん家で勉強会やらない?」
「ゴメン、ちょっと用事があるから」
「用事用事って、毎日そう言ってんじゃん!たまには放課後一緒に遊ぼうよ」
佐藤多佳羅という名のこの少女は、私の学内の友達である。実際はまだそんなに仲良く無いが、昼休みに一緒にご飯を食べるぐらいは交遊している。
多佳羅は化粧の必要が無い程大きな目を見開き、私のことをじっと見た。少し腰を折り、上目遣いになっていた。何かを懇願しているような、そんな目をしていた。
勿論、この学校に『落し物』について知っている者はいない。誰にも話していない。話せるほど仲の良い友達がいないからだ。中途半端な関係の子にうち明かしたら、変な奴だと認定されてしまうに違いない。だから私は、毎日苦しい弁明に追われているのだ。
「あ、分かった。つくつく、彼氏いるでしょ」
「そ、そんなことないよ」
「ほんとに?私達に隠れて他校の男子に会ってるとか、そんなんじゃ無くって?」
「違うよ」
私は必死に否定する。多佳羅はこの手の話が大好きだ。私と多佳羅は正反対だと、関われば関わるほど思う。それでも、この三年間ぼっち飯を停止させたのは、間違いなくこの子だった。それに関しては純粋な感謝の念でいっぱいである。
「ちょっと長く続く用事なんだ。ゴメンね。それ終わったら付き合うからさ」
そう言って私は手を振って、校門へと足早に向かった。
「終わったらって…いつ終わんのよー」
多佳羅は未だに不満気な声を上げていた。背後から聞こえるその声を聞きながら、私は心臓をばくばくさせていた。これは、彼氏という私には縁の無い言葉を聞いて、即座にあの人を思い浮かべたからではない。ノリの悪い女だって思われたかな?私のいないところで陰口でも叩いてないかな?嫌われたんじゃないかな?こんな嫌な感情がぐるぐると私を取り巻いていた。
中学時代から比べて、私は努力していると思う。私服の学校だから、おしゃれな服を着ようとファッション雑誌を買って勉強したり、髪の毛にも気を使うようになった。また実際の学校生活でも、なるべく人と話すようにし、人との会話に疲弊しながらも、友達(らしい人)を作ることに成功した。私は少しずつ前に進んでいると自画自賛してみる。
それでも、このゲームが、そんな私の努力をすべて奪い去るのではなかろうか。そんな不安が私にはあった。
早く奴を倒さなければ、私はまた、中学時代のあの頃に逆戻りしてしまう。スマホのゲームしか友達がいなかったあの頃に。焦る気持ちを歩くスピードに込め、私は足早に駅へと向かった。
その日の放課後は、いつも通り一人だった。改札を出て、2番乗り場へと歩を進める。放課後いつ通知が来るかは、実は大体わかっている。長年、というか一年の勘だ。だから私は安心して普通電車を待つ。
周りは部活を引退した三年生とか、活動日数の少ない文化系クラブの人とか、難関大学を目指しているような同級生とか…とにかく、表向きにはただの帰宅部である私にとって、居心地の良い空間とは全くもって言えなかった。
こんな憂鬱な気分は、ホームへと続く階段を降ると一変した。黄色い点字ブロックの内側に立った私は、何の気なしに左方向へと視線を移した。するとどうだろう。階段に隠れるかのように、彼が立っていたのだ。毎日のように、朝の電車で出会う彼に。
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