神様の落し物

春槻航真

第1話、支配され始めた生活

  もうすぐ梅雨入りと報じられたというのに、何物も太陽を邪魔していない。容赦ない光の粒が、刺さるように皮膚へ落ちていく。不意に腕を見ると、うっすら汗をかいていた。家から駅までの一キロの道のりでもう、私の身体は水分を欲していたのだ。5月下旬でこの暑さだと。ならば夏休みは一体どうなってしまうのだ。責任転嫁も甚だしいと思いながら、私は太陽を少し睨んだ。

  ホームにつくとすぐに電車が滑り込んできた。生憎ながら私の住む街は、所謂ベッドタウンというやつで、通勤時間だけはやたらと電車が混む。特に快速や、それよりも速い新快速は乗車率120%を軽く凌駕している。ただでさえ人一倍人混みを嫌う私だ。誰が好きこのんでこのおしくらまんじゅうに興じるものか。私は快速を見送って、二分後に到着予定の普通電車を待つことにした。

  まあ、普通電車に乗るのは、他にまだ2つ、大きな理由があるのだけれども。

  普通電車は少しだけ混んでいたものの、たいしたことはない。せいぜい座れないくらいだ。私は乗り込んできたドアと反対側のドアの手すりを掴んで、もう一方の手でスマホを弄り始めた。時刻は8時10分前。今日こそは、会えるだろうか。

  正直に告白しよう。気になっている男子がいる。その子は隣の駅から毎日、この電車に乗り込んでくる。ただ、会える時と会えない時は半々だ。それは、天候のせいでは決してない。強いて責任を追及するならば、神様だろうか。

  私は祈るような気持ちでスマホをポケットに戻した。胸の鼓動が早くなる。電車はどんどん次の駅へと向かっていく。アナウンスが流れた。まだ通知は来ていない。

  普通電車が止まる。ドア越しにその子が見えた。私はさらに鼓動が早くなる。ドアが開くと、その子はいつも通りスマホを弄りながら入ってくる。その時、ついに私のスマホが震えた。一瞬絶望感に打ちひしがれたが、まだ顔が見られただけましだと思うことにした。諦念、というだろうか。小難しい言葉を出すと、この異常な毎日に適応している気になる自分が怖い。

  私は風景を見るかのように身体を翻し、スマホを取り出した。バイブはLINEが来たときより長い。認証番号を打ち込んだ段階で、後15秒。余裕で間に合う。

  画面をスライドさせ、1番端っこにポツンと置いてあるアプリに触れた。もう、迷うような無駄な時間は過ごさない。タップするとすぐに、私のスマホは一瞬にして白い画面へと変わった。すると突然、目の前が真っ白になった。身体がふわりと浮いた。現実世界とゲーム世界の狭間を浮遊するこの数秒間は、いつまで経っても慣れる気がしなかった。

  神様って、時々落とし物をしているのだと思う。願った物を何でも叶えちゃう打ち出の小槌とか、羽織ったら空を飛べちゃう天の羽衣とか。そしてそれらは、神様も気づかぬ内に、人間界で一悶着も二悶着も引き起こしてしまうのだ。全くもって迷惑極まりない。そのくせ神様は、『あら?無くしちゃった。ま、いっか。あんなの』と言って、捜索する気もなくのほほんと暮らしているのだろうか、とか妄想してみたりする。いや、この妄想は大方真実だ。でなければ、私の持っているこの神様の落とし物も、早急に回収しにきているはずだからだ。

  これを初めて拾ったのは、中学3年生の、確か今ぐらいだったと思う。修学旅行を経ても、今だクラスに馴染めていなかった私は、3年連続のひとりぼっち昼ごはんに辟易していた頃だった。

  私は元来友達を作るのが苦手だ。それは今でも何一つ変わらない。極端な人見知りな上、会話していると頭が回らなくなってしまう持病持ちだ。だから速いテンポの会話には全くついていけない。それ故同級生の女子達から鈍いとか陰口を叩かれてしまうのだ。これに関して、私としては言い返す言葉がないのだが。

  とにかく、表立っていじめられないが確実に友達はいないという、そんな誰も責めようのない状況の中で、私は神様の落とし物を拾った。といってもこれは一種の比喩表現である。本当は、スマホの中に落ちてあったのだ。

  一人でいることが増えると、人は恐らく一人遊びを好むのだろう。逃げるように学校から帰ってくると、スマホのゲームに没頭する日々。一応教科書ぐらいは開いていたかもしれないが、受験生とはあるまじき勉強量だったように思う。そんなことより、私はスマホのゲームに没頭していた。RPG系の、クリアするのに時間のかかるゲームが好きだった。単純なゲームならば、私の暇は潰せなかった。

  その日、つまり神様の落し物に初めて気づいた時、私はこれまでやっていたスマホゲームに物足りなくなってきたと感じていた頃だった。ふと見ると、無料アプリの一覧に、一度も見たことのないゲームがあったのだ。新しく入荷されたのだろうか。にしては新規のマークがないのが奇妙に思えた。

  そのゲームは『Lost article』というタイトルだった。後に落とし物という意味だと知ったのだが、当時は何も考えずインストールしたものだった。

  最初はただの国取り物語だった。日本の都道府県を一つ一つの国とみたてて、まずは自分の国を統一し、その後で全国統一へ向かっていく。ただ、特徴的だったのは、味方が自分だけなのだ。刀一つ持って、一万人をゆうに超える雑兵をなぎ倒し、最後に相手の総大将と一騎打ちする。それに勝つと、やっと一国平定となるのだ。無双系ゲーム、と言われるやつであろう。

  ルートは北海道からと沖縄からがあり、私は北海道から始めた。最初は、テレビゲーム並に複雑なコマンドに苦労したが、スマホゲーム歴二年の私にとって、これくらいの壁は楽々乗り越えた。

  最初に異変に気づいたのは北陸に進出した辺りだった。明らかに、敵が弱くなったのだ。このゲームは自分の動かすキャラがどんどんと強くなる。ポ○モンと同じく経験値が溜まっていき、レベルが上がっていく制度だ。そのせいで、相手の強さと釣り合いが取れなくなっていたのだ。理解は出来る。それでも、その無理をなんとかするのがゲームだろう。その頃はまだ、こりゃ酷いゲームだな、と思っていたぐらいだった。本当に驚愕したのは、ちょうど日本の真ん中、岐阜を征服した時だった。もう季節は秋口に差し掛かっていた。

  相変わらず手応えのない敵軍を殲滅させ、大将を討ち取ると、やけにわざとらしいファンファーレがなった。今まで一度も聞いたことのない音だった。何事と思って画面を注視していると、いきなり目の前が真っ白になり、身体がふわっと浮く感覚がした。気持ち悪かった。真っ白の世界で、訳がわからなくなった私は刹那目をつぶった。夢であるなら、早く覚めてくれとでも思っていた。しかし、現実はいつだって非情である。

  目を開けると、私はゲームの世界にいた。目の前に広がる大平原。遠くに見えるのは、刀を持った剣士が一人。そして、天から降りてきた一匹の、ぬいぐるみだった。

「おはようございます。附田優美さん」

  このぬいぐるみ、外見は狐だった。中途半端に愛嬌があって可愛いから、私は余計に腹が立つ。そのくせ口調はお堅い公務員のような冷たさを含んでいた。そのギャップが、混乱する私に更なる違和感を与えた。

「今から、日本一決定戦を開始いたします。貴方は、その参加者でございます。対戦相手は、今そちらにおられる人でございます。今までは雑兵をなぎ倒すステージがごさいましたが、今回はいきなり一騎打ちでごさいます。制限時間は5分。もしそれまでに決着がつかないのであれば、次の日に持ち越しとなります。その時、前の日の疲労とけがはある程度までは回復いたしますが、全快するとは限りません。その疲労度具合は朝の7時45分から8時までの間に現場把握を行いますので、そこで理解しておいてください」

 ここで狐は一呼吸入れた。

「また、これまではスマートフォンを使った代理戦闘のような形でしたが、これからは実際にあなた自身が剣を振るい、敵を攻撃いたします。フィールドはバトルモードの荒野を再現させました。装備はこれまで戦ってきたあなたのアバターが持つものを準備させております。また現実世界の筋力や運動神経は反映されず、すべてこれまで戦ってきたあなたのアバターの能力次第となります。ですから女性だからと言って不利になることはありません。また一応のため補足しておきますが、戦闘において受けた傷はこのゲームの世界においては痛みや出血が伴いますが、元の世界へと帰還いたしましたら何も感じない仕様となっています。ご安心ください。以上で何か質問でもありますでしょうか?」

  私の顔など一切見ないで、狐は流暢に読み上げた。しかし私は絶賛混乱中で、話しの半分も理解できなかった。

「え、今なんて言いました?」

「あ、よく聞こえませんでしたか。それではもう一度繰り返します。今から…」

  狐は再び同じ話をし始めた。途中でやめさせようとしたが聞きやしない。そのまま壊れた機械のように同じ内容をリピートすると、再びなんとも言えない顔で私を見ていた。

  どうやら、私がこの戦いに参加することは決定事項であるようだ。私は渋々その事を認めた。そして、こんな後ろ向きな疑問をぶつけた。

「もし負けたら、どうなりますか?」

  狐は少しだけ笑い声を挙げた。人の神経を逆撫でするような、紛れもない嘲笑だった。

「いや、失敬。余りにもあなたの顔が絶望していたので」

  言い訳が、全くフォローになってなかった。

「さあ?どうでしょうかねぇ。相手に聞いて下さい。まあ、どちらかの首を取るまでこのゲームは終わりませんけど」

「それってつまり…」

「相手もこちらも、相手を討ち取るまで戦うことになります。そしてこの世界での死は、現実世界の死を表します」

  狐はさらりと言った。

「では最初の現状把握と参りますか」

「ちょっと待って。もう一つだけ質問に答えて」

  私は震える唇を懸命に動かして言った。

「誰がこんなゲーム作ったの?私嫌だよ。負けたら死ぬなんて」

「そんなこと言われましても…まあ、強いて言うのであれば、神様でしょうかね。残念ながら私はただの進行役、このゲームを主催している神様から依頼された傍観者でごさいますので、このゲームを止める能力も権限もありません」

  ぬいぐるみは冷徹に言い放った。

「あ、それと、戦闘時間は5分ですが、現世の時間に戻すと大体2時間ほど経過しています。その間は我々が拘束することになりますのでご注意くださいませ。それでは、ご武運を」

  ぬいぐるみがそう言うと、私は現世に戻ることができた。最も、再び呼び出されることになるのだけれども。こうして、私の生活はこの『落し物』によって支配され始めたのだった。

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