サーカスがやって来た

 ある年の九月の終わり。ゼペットは月に一度の納品のためナポリ市内の病院に向かった。祭りでもあるのだろう、町はいつにも増してにぎわっていた。ゼペットは人にぶつからぬように荷車を降りると、のんびりとロバをきながら病院まで歩いた。おかげで病院に着いた時には昼をだいぶ過ぎていた。

 荷車からトランクを降ろして納品担当者に渡した。担当者はトランクのふたを開け、一つ一つ手にとっては「相変わらず見事なもんだねぇ」と挨拶あいさつ代わりの台詞せりふを口にし、それが終わると椅子を持ってきてゼペットにすすめた。普段工房にこもりっきりの〈ナポリの魔術師〉にとって、納品係の話が世間を知る唯一の機会だった。

「ずいぶんと人が出てましたが何かあるんで?」

「サーカスが来てるんだよ。明日開演だ。どうだいあんたも見に行っちゃあ?」

 ゼペットは首を横に振った。

「曲芸のたぐいは船乗りだった時分に大概たいがい見ちまってるんで」

「踊る木の子供はどうだい? 一座の呼び物だ。ローマでも大評判だったそうだ」

「木の子供って……そりゃどういう芸です?」

「どうって体が木なのさ。それでいて踊るんだ。早く見たいもんだ」

 雑談を終えて病院を出たゼペットは改めて町を見回した。なるほどあちこちにチラシが貼ってある。いつも立ち寄る食料品店で買い物を済ませると、店員が一月ひとつき分の食料やらワインやらを荷車に積み込んでいる間、店先に貼られているチラシを眺めながら十年前の出来事を思い出していた。

 ジアッキーノ殿に譲った私の人形は誰か偉い人の子になった。こっちの人形はサーカスで踊っとるのか。同じ木の人形でもえらい違いだ。チラシを前にたたずんでいるゼペットに店員はチラシを一枚手渡した。

「お客さんも見に行くんだろう? うらやましいな。こっちは店番だよ」

 ゼペットは礼を言って勘定を済ませると帰りの道中で考えた。どうせ体に色を塗った程度の見世物だろうが、納品も済ませたばかりだし、たまには人ごみに出てみるのもいいだろう。



 翌日、ナポリ市内は昨日にも増してにぎわっていた。行列に押し流されるように市内を中央公園に向かってゆっくりと進んだ。足の悪いゼペットには丁度よい歩調だった。やがて歓声と拍手が近づいてきた。

 公園に辿たどり着いたゼペットが最初に目にしたのは、剣を柄の辺りまで呑み込んだ曲芸師だった。彼が何事もなかったように口から剣を引き抜くと会場から安心したような拍手が沸き起こった。次に燃える棒きれを呑み込み、最後に小さな壺に入ってみせると曲芸師は舞台袖に引っ込んだ。

 まあこんなもんだろう。ゼペットは人混みの隙間を縫って舞台に近づいた。司会が次の演者を紹介した。

「続いてはナイフ投げのオルランドだ!」

 舞台袖からのそりと現れたオルランドを見た会場がどよめいた。

 とてつもなく大きな男だ。ただ背が高いとか体格が良いというのではない。規格が違う。子供の次が大人ならこの男はその次の段階にいた。まるで彫像のようなきよが舞台中央に向かって歩くさまはどこか幻想的でさえあった。

 大男は何の表情も浮かべずに観客に向かって一礼した。助手の女性が木箱を持って横に並ぶと男の大きさがいっそう際立った。オルランドの腰ほどまでしかない助手は観客に木箱の中味を見せた。ナイフがずらりと並んでいた。

 やれやれ。ナイフ投げとはまたちんな。

 ゼペットは腕組みをすると冷笑を浮かべた。先程の曲芸師が再び現れると、どこかからリンゴを取り出して宙に放り上げた。リンゴは二つ、三つと増えてとうとう六つになった。会場から拍手が起こり、やがて手拍子に変わった。

 オルランドは身を屈めて助手が抱えた木箱からナイフをつまみ出すと、目まぐるしく宙を回るリンゴに向かってナイフをひょいと投げつけた。無造作に投げたナイフがリンゴに突き刺さって舞台に落ちた。ゼペットの薄ら笑いが引っ込んだ。

 大男がせわしなく、小さすぎるナイフをつまんでは投げる様子はどこか滑稽こつけいだった。彼が六つのリンゴを一つも外さずに射落としてしまうと、会場は割れんばかりの拍手喝采に包まれた。ゼペットもまた最前列に身を乗り出して拍手していた。

(こいつぁたまげた。ひょっとしたら名のある武芸者なんじゃないだろうか?)

 一礼して顔を上げたオルランドはゼペットの好奇心に満ちた視線に気付くと、まるでジロジロ見られるのを嫌がるようにさっさと奥に引っ込んでしまった。



 再び司会が現れると両手を大きく広げて叫んだ。

「さぁ皆さん。いよいよお待ちかね、木の子供が登場するよ! 大きな拍手で迎えておくれ!」

 待ちに待ったメインイベントだ。観客たちは盛大に拍手をしながら木の子供が出てくるのを待ち構えた。まずは舞台袖から子供たちが登場し、ヴァイオリンの伴奏に合わせて踊り始め、観客がそれに合わせて手拍子をする。少しすると良く通るボーイソプラノが舞台に響いた。

「ぼくも仲間に入れておくれよ!」

 声を合図に伴奏が止まった。子供たちも踊りをやめ、声のするほうに顔を向けた。声の主が現れると観客は再びどよめいた。木の子供が舞台の中央に進み出ると会場は異様な熱気に包まれた。だがゼペットはひどく失望したように首を振った。本日の主人公は一目でそれと分かる張りぼてだったのである。

 だが少年のウリは見た目ではなかった。子供たちは彼を快く迎え入れ、再び踊りが始まった。被り物を身に着けた少年は皆と一緒に踊ろうとして派手に転び、本日一番のどよめきを起こした。

 まるで身体をかばおうとしないのだ。頭から舞台にぶつかっていき、伴奏に合わせて起き上がり、今度はひっくり返って後頭部を打ち付ける。まるで痛みを感じないかのようにそれを繰り返すのだ。人々は口笛を吹き、悲鳴を上げ、応援し、足を踏み鳴らした。だがゼペットにはとても楽しむことはできなかった。

(こりゃあとても見てられん)

 後ろから押し寄せる観客と舞台に挟まれながら最前列を横に移動するゼペットのすぐそばでガチンと大きな音がした。少年が頭から舞台に倒れ込んだのだ。ゼペットは思わず舞台に突っ伏した少年の顔をのぞき込んだ。張りぼての丸太におおわれたその顔は、茶色く塗られてもなお異常なまでに整っているのが分かった。ゼペットはその美しい顔に見覚えがあった。

 まさかそんな!

 思わず舞台に身を乗り出したゼペットは、舞台の上に倒れている木の少年に向かって大声で叫んだ。

「ぼく! ぼく! ちょっとこっ」

 ゼペットの呼びかけはそこでさえぎられた。彫像のような大男が舞台に現れたかと思うと、素早くゼペットのえり首をつかんで持ち上げた。

「ひっ!」

 助けを呼ぶひまもなかった。大男はゼペットに当て身を食らわせると軽々と肩にかつぎ、疾風しつぷうのように舞台の上から姿を消した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る