宇宙の向こうの還る場所

鈴原桂

第1話

 2年2ヶ月ぶりにその時期がやって来た。

 アキエはいつも通りの時間に起きると、ベッドから飛び降り、急いで着替えて下の階のリビングへ行く。

「ママ!今日の夜でしょう?」

 目を輝かせて言うアキエに、キッチンに居た母親は嗜めるように言う。

「アキエ、その前に、おはようの挨拶でしょう」

「おはよう」

 アキエは挨拶もそぞろに食卓の椅子に座った。テーブルには食べ終わった一人分の皿が並んでいて、父親がいつも通り朝早く出勤したことが分かる。

「おはよう、アキエ」

 母親は挨拶をして、アキエの前にお椀によそった白いご飯を置いた。テーブルの上には鯵の開きに、味噌汁、卵焼き、お新香という朝食が二人分が並んでいる。いつもと変わらぬ朝の風景。

「それで、ママ、今夜の夜だよね?」

 確認するように言うアキエに、母親は自分の分のご飯を用意し、アキエの向かいの椅子に座りながら答える。

「ええ、そうよ」

「やった。頂きます!」

「頂きます。あのね、アキエ。あなたがこの行事を楽しみにする気持ちも分からなくもないけど、本来はね、昔からの神聖な儀式なのよ、これは」

「分かってるってば。」と卵焼きを頬張りながら言うアキエに、「喋る時は飲み込んでからね」と母親が注意する。

「今夜、パパ、早く帰ってこれると言っていたから、ベランダで皆で見ましょうね」

「うん!」


 ランドセルを背負って登校する間、アキエはずっと上を見ていた。道路に並び立っている高層ビルのもっと向こうに白いドームがある。四方のドームの全体から人工的な朝の光が街に差している。火星の街の建物は白で統一されているので、朝と昼の時間は街全体がぼんやり白く光って見えた。

 学校で、先生が言ってたな、とアキエは思い出す。

 火星には大気がないから、ドームの向こうは真っ黒い宇宙しかないんだって。昔、人類がまだ地球に住んでいた頃、そこには時間とともに色を変える青い空が広がっていたんだって。

 アキエは生まれた頃からこの白いドームの下でしか過ごしたことないので、空は教科書の画像でしか見たことがない。実際の空がどんなものかアキエには上手く想像できなかった。


 学校についても、クラスの皆は今夜の話ばかりだ。皆が今夜を楽しみにしている。アキエは話をしながら、友達と一緒に見れたらいいのに、と思った。しかしこれは家族で見る行事と決まっている。そのことをアキエは少し残念に思った。それから、考え直す。

 でも、いいよね。別のところからでも、みんな同じ時間に見るんだから、また学校に来たら、どんなふうだったか、聞けばいいし。見る場所が違ったら、きっと見え方が違うから、それを聞くのも楽しそう。

 ホームルームの時間を使って、担任の先生が、今夜からの行事についての意義や昔からの風習について話をするが、それらはアキエ頭の中を右から入ってほとんどそのまま左へ抜けていく。アキエだけでなく、誰もがそわそわとして、話に集中できないでいた。

 ああ、なんでこの行事は2年2ヶ月ごとにしかないんだろう。もっとたくさんあればいいのにな!だって、みんな楽しみにしているもの。

 アキエがそう思っていたら、担任の先生がこの行事中の間は学校がお休みになるので、皆さんにたくさん宿題出しますね、と言った。

 クラス中からブーイングが出た。


 家に帰って、早めの夕飯を家族で一緒に食べ、歯を磨いていると、父親が「そろそろ時間だ」とアキエに声をかけた。時刻は夕方だった。

 アキエが急いで2階のバルコニーへ出ると、人口の光が弱まり昼間よりも薄暗い外で、母親と父親がすでに並んで上を見上げていた。アキエは父親と母親の間に立った。父親が発光する腕時計のデジタル画面を見ながら、「もうすぐだ」と言った。アキエがキョロキョロと周りを見渡せば、どこの家でも同じように皆がベランダやバルコニーに立ち、上を見ていた。

「あ!」

 父親が声をあげて上を指差す。アキエも慌てて上を見た。

 薄暗いドームの中心部分が少しずつ開いていく。その先はさらに真っ黒な宇宙空間だ。それがどんどん広がっていく。居住区画を覆うドームは内側の人口の光を街に放つドームと、外側の透明なドームの2重構造になっていて、普段は両方閉じている。

 おぼろげであったが、アキエの頭の中を今日の学校で聞いた先生の話が過ぎった。

 火星は大気がないから、太陽からの光が直接降り注いでいて、それは人間の体に良くないのだと。だからいつも内側のドームも閉めていて、開けるのはこの行事の時だけなのだと言う話を。外側の透明なドームだけでは有害な光線を完全には防いでくれないのだ。だから短い時間しか、開けることができない。

 内側のドームが開いて行くのを見ることができるのはこの行事だけなので、アキエは貴重な光景を目に焼き付けようと、目を見開いた。

 街を覆う内側のドームがどんどん開いて、中央にぽかりと空いた丸い穴を作る。穴の中心にある光り輝く星を指差して、母親が「見て、太陽よ。」と言った。

 穴が開き終わると、ドームから出て街を四方から照らしていた夕方の人口的な光が消え、街に差すのは太陽からの光ばかりになった。周囲の建物にくっきりとした陰影がつく。普段は見慣れない白と黒のコンテラストに街が別の空間のように見える。いよいよ来る、とアキエはどきどきしながら、バルコニーの桟を握りしめた。

 すると、色相のほとんどない高層ビルばかりが並ぶ街の影の一部が目の覚めるようなピンク色に染まった。次は別のところがイエローに。そのあとに鮮やかなブルーや様々な色が続く。街中の高層ビルや家々間を七色の光が踊った。大規模なプロジェクションマッピング。

 アキエは息を飲んだ。なんて綺麗なんだろう!

 10分も光の洪水を見ていただろうか、光は一色ずつ減っていって、最後の一色が消えた。

 内側のドームも閉まり始め、見えていた宇宙も人工物に覆われていく。宇宙が見えなくなるその最後の瞬間まで親子は首を伸ばし、上を見ていた。ドームが街に今度は夜の控えめな人口的な光を落とした。いつもの夜の火星の街並み。

「終わっちゃったね」

 暗がりでも分かるほどアキエががっかりした様子で言うと、母親が笑った。

「何言ってるの。これは始まりじゃない。行事はまだ続く、学校で習ったでしょ」

「でも、これが一番綺麗だよ。なんでこんなに綺麗なものが見れる行事が2年2ヶ月おきにしかないのかな」

「それも学校で習ってるでしょ。周期の問題なんだから、私たちじゃどうしようもないじゃない」

「そうかあ、アキエはこっちのが好きなのか」と父親が話に加わる。

「パパは行事の始まりよりも、最後のドームの外に行くやつのが好きだなあ。あの宇宙服着て、観察するやつ」

「二人とも、これは真面目な行事なのに、そうやってお祭り気分で楽しんで、まったくもう」と母親がため息をついた。


 部屋に戻ると、アキエはランドセルをひっくり返した。行事の期間は1週間で、その間学校も会社も休みだ。アキエは学校からたんまり出た宿題を確認していた。

 算数に国語、理科もある!

 アキエは宿題の山の中から、日記帳を引っ張り出した。行事の間、毎日日記を書くことも宿題だった。アキエは日記のページのタイトルのところに初日、と書いた。

『初日。わたしは行事をパパとママといっしょにバルコニーで見ました。街がいろんな色に光って、キレイでした。学校のみんなもきっと家で家族といっしょに見てるんだろうな。みんなの家からはどんなふうに見えるのかな。本当はもっと長い時間見ていたかったけど、短い時間で終わってしまったのが、ざんねん。これがまた見れるのが一年以上も先だなんて。』


次の日の夜もアキエは日記を書いた。

『2日目。朝から起きて、まずは得意な国語の宿題からはじめました。国語は得意だから、やっていてもイライラしません。午後はいとこの家に家族で遊びに行きました。皆でテレビゲームをやりました。わたしはあんまりゲームをしないので、負けてしまいましたが、ひさしぶりにいとこと遊べて楽しかったです。明日は理科の宿題をがんばろうかと思います。』


 休みの間、アキエは毎日少しづつ宿題を進めては、親戚の子と遊び、夜にそのことを日記に書いて過ごした。


 行事の最終日、アキエは朝早く起こされた。家族で朝食を食べながら、くっつきそうになる瞼をアキエは手の甲で擦った。前日の夜、苦手な数学の宿題が思うように進まなくて、夜更かししていたのだ。

「ママ、こんなに早く起きる必要ある?」

母親が肩をすくめた。

「道が混むし、早く行かないと、並ぶから仕方ないのよ。さあ、はやく食べ終えて、着替えましょう」

「そうだぞ、アキエ。アキエは何時間も突っ立ってたいのかい?」

 そう聞く父親に、アキエは首を振って答えた。


 出かける準備をして、一家は車に乗った。家から一番近い、ドームの外に出るゲートに行く。ドームは円形でその中に街が一つ入っている。ドームの端の壁にはゲートがいくつもついている。隣街のドームに続くゲート、外に出るゲートの2種類あるが、この行事の最終日に行くのは外に出るゲートだと決まっている。

 早く出たおかげで、渋滞に会うこともなく、一家はゲート近くのパーキングに車を止めることができた。荷物を降ろし、それを父親が持つ。一家がゲートの方へ歩いていくと、そこにはすでに行列ができていた。

「あー、やっぱり今回の行事も並ぶことになったかあ。」

 大きなバックを肩にかけた父親が行列の最後尾に並びながら言った。

「でも、このくらいなら、一時間ほどじゃない。そんなに悪くないわよ。」

 母親が前向きに言う。

 アキエは列のずっと前の方に学校の友達を見つけた。向こうもアキエに気がついたようで、手を振ってくる。アキエは両親に列に並んでもらっている間に、自分はお喋りに行こうかと思った。しかし、そう提案する前に、学校の友達はゲートの向こうへ行ってしまったので、しかたなくアキエは退屈な1時間を過ごすことにした。

 やっと、ゲートにたどり着くと、父親が持って来た大きなバッグから、全員分の宇宙服を出す。アキエは自分の分を受け取って、着替えのために、ゲートのすぐそばにある更衣室に母親と一緒に向かった。

 混雑する更衣室の中で、アキエはなんとか宇宙服を着た。母親と一緒に更衣室を出ると、そこにはもう宇宙服を着た父親が待っていた。

「さあ、いよいよだ!」と父親が意気込んだ。

アキエは初日より、パパは楽しそう、と思った。


 ゲートをくぐると、そこには広大な赤い大地と宇宙が広がっていた。振り返ると、街を覆う巨大なドームが見える。内側から見ると白いドームは外側から見ると、銀色に眩しく輝いていた。

 ドームから、太い銀色のパイプが大地に伸びていて、アキエはそれが別の街のドームに繋がっているものだと知っていた。

 ドームの外のあちらこちらでは火星の家族がそれぞれ荷物を広げている。アキエの一家も適当な場所を探す。

「この辺りがいいかな。」

 父親がおもむろに荷物を下ろす。バッグから、高性能望遠鏡と、この連休にホームセンターで買ったリモコンで操作可能な超小型宇宙船を出す。宇宙船は全長30センチほどのサイズながら、高性能ワープ装置までついている。

 「見てくれ、アキエ、分かりやすく、目印書いたんだけど、カッコ良いだろう?」

 父親が胸を張って、アキエに宇宙船のボディを見せる。この時期に売っている市販の小型宇宙船は一様にただの銀色をしている。皆同じものを買うので、多くの家庭では自分の家の宇宙船が見つけられるように、目印をつける。

 アキエは父親が昨晩、ガレージで宇宙船に着色をしていたのを知っていた。ボディは真っ赤に塗られ、家に代々伝わるという家紋が青色で描かれていた。

 「いいんじゃない」とアキエは答えた。アキエはあまり、宇宙船のカラーリングには興味を引かれなかったので、返事は幾分抑揚を欠いていたが、「な?格好いいだろ?」と父親はご満悦だ。

 荷物の中から宇宙船を設置する器具を出す。宇宙船を真上に飛ぶようにセットして、父親が宇宙船のリモコンを持って離れるように言う。

「さあ、発射だ!」

 父親がリモコンのスイッチを押すと、宇宙船が浮かび上がった。ピカピカとボディについたライトを点滅させながら、真上に飛んで行く。宇宙船はものすごい速さで飛んで行くので、すぐに肉眼では見えなくなる。いたるところで様々な色で塗られた小型宇宙船が打ち上げられていた。

 父親が望遠鏡を覗きながら、見る位置を調整する。しばらくしてから、父親が弾んだ声を上げた。

「アキエ!見つけたよ。見てごらん」

 父親が脇に退いて、アキエが望遠鏡を覗くと、宇宙空間を飛ぶ赤い宇宙船が見えた。側には他の宇宙船も飛んでいる。

「ほんとだ。うちの宇宙船飛んでるね」

 アキエが退くと、父親がまた望遠鏡の前に戻り、覗き込む。

「もう少し進路を右に変更しないといけないなあ。そしたら、ワープさせよう」

 そう言いながら、父親は手元のリモコンをいじる。進路を変更しているのだ。

 母親がアキエの肩を叩いて上を指差した。見上げると太陽がある。

「アキエ、見える?あの太陽の上にある黒い点。学校で習ったでしょう。あの星に向かって小型宇宙船を飛ばすんだって。」

「うん、習ったよ」

 言いながら、アキエはあの星の名前はなんだったかしらと思った。素直に名前はなんだっけ?と母親に聞くと、学校で話しをあまり聞いていなかったことが知られ怒られそうだったので、アキエは聞くのをやめた。

「よし、進路修正終了。あとはまっすぐワープさせるだけだ」

 父親が望遠鏡を少し傾けた。そして、リモコンのひときわ大きいボタンを力強く押す。

「ワープ開始!」

 リモコンを置いて、今度は望遠鏡の絞りを調整する。

「さあ、あとは惑星の真上に到着するのを上手く見つければいいだけだからな」

しばらくしてから、父親が歓声をあげる。

「あった!うちの小型宇宙船が惑星の真上に出た。さあ、最後はアキエに見せてあげよう。パパも小さい頃は何度もおじいちゃんに見せてもらったからね。望遠鏡をもう一度覗いてごらん。中央にあるよ。」

 アキエがもう一度覗くと、確かに中央に小型宇宙船があった。背景には茶色い大地の惑星がある。

「もう重力圏に入ったころだろう。そろそろ大気の層にぶつかって、摩擦で燃え始めるんじゃないかな。」

 小型宇宙船が、熱で色を変えて、火花を散らしているのが見えた。燃え上がりながら、小さくなっていく。

 父親の声を聞きながら、アキエはやっと思い出した。そうだ、大気があるから、行事用小型宇宙船は地上に着く前に燃え尽きるって、先生が言ってた。環境汚染と核戦争の末、人の住めない環境になり、茶色く、砂漠ばかりが広がる今は人が住んでいない惑星。

母親が穏やかに言った。

「小型宇宙船は地球へ帰った?ご先祖様たちの送り出しも終わったわね。これで今回のお盆も無事終わったわ。」


 家に帰ると母親が言った。

「アキエ、明日から登校だけど、宿題終わってるの?」

「うん。昨日夜遅くまで頑張ったから、あとは今日のこと日記に書くだけだよ。」

「日記が宿題なの?」

「うん。行事の間、毎日書くのが宿題なの。」

「へえ、いいわね。ママ見たいな。」

 笑顔の母親に、アキエは日記を渡した。パラパラとめくりながら、母親はだんだんと渋い顔をする。

「やだ、あんたったら、お盆について、全然書いてないじゃない。この時期に日記の宿題出すってことは、お盆について書きなさいってことに決まってるのに。初日の迎え火についても、ただ光がキレイだった、で終わっているし。あれはね、地球に向けて光を放つことで、その光を頼りに地球に帰ったご先祖様の魂が火星に帰ってこれるようにする儀式なのよ。2日目からは従兄弟と遊んだってだけしか書いてないけど、きちんと親戚の家を回って、お線香上げたじゃない。」

 そこから、母親の話が延々と続いた。

 お盆は人が地球に住んでいた時からあった行事で、お盆の初日に迎え火を行い、ご先祖様の魂を家に導き、お盆の最終日に送り火を行い、ご先祖様の魂を送り返すの儀式なのよ。今日どうして小型宇宙船を飛ばしたか分かってる?あの宇宙船にもライトが付いてたでしょう。あの灯を頼りに、ご先祖様の魂が地球に帰れるようにしているのよ。あれが、火星の送り火。地球でかつて行われていたお盆では炎が使われていたそうよ。

 それから、なんで地球からご先祖様の魂が来るか分かってる?火星のお葬式では、お骨を宇宙へ飛ばすでしょう。魂が地球へ帰りますようにって願いが込めて。だから、地球から魂を呼ばなくてはならないの。

 あと、それから…


 アキエが日記を手に、自分の部屋に戻れたのは随分経ってからだった。アキエは母親と一緒に書いた最終日の日記の最後の一文をもう一度確認する。

 わたしが将来こどもを産んだら、きちんとこの大事な行事を伝えたいと思います。


 お盆は2年2ヶ月ごとにやってくる。それは太陽を中心に回る公転周期の違う、地球と火星が一番近づく年だから。

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宇宙の向こうの還る場所 鈴原桂 @suzuhara-kei

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