思い出の届く部屋

しろてつや

思い出の届く部屋


 両親を亡くし祖母と二人暮らしをしている、絵描きになることを夢見る少女がいた。年齢は15歳。

 家族を亡くしてから数年経つもいまだそのショックは深く、その心はずっと、家族に囲まれて幸せだった過去に囚われている。

 そのため、今の自分の絵や行動に自信を持てず、過去に想いを馳せながらいつも同じような絵ばかり描いていた。


 転校してしばらく経つ学校では話せる友達が数人できたが、皆少女の事情を慮ってか、その距離感はどこか腫れ物に触るようなよそよそしさを感じさせた。

 自分から積極的に発言するということはなく基本的に受け身であるという少女の態度も、クラスメートたちからは距離を感じさせてしまう理由になっていた。



 学校では美術部に所属している。

 毎日絵に触れていられるという魅力に惹かれて入部したものの、それほど部員数も多くなく、精力的に動いている部でもない。

 ただ、少女にとっては何となく居心地が良かった。


「またあいつ同じような変な絵描いてるよ…」


「あいつ、暗いよな…」


 というヒソヒソ声が聞こえたことがあるが、あまり気にしなかった。








 ある時、私はたまには気分転換でもするかと河原で絵を描いていた。

 スケッチブックにさらさらと下書きの鉛筆を走らせる。そこに描いているのは、何の変哲もない風景画だ。

 すると、背中から声をかけられた。


「おねえちゃん、え、じょうずだね!」


 私はその声に振り向くと、そこには一人の小さな女の子が立っていた。


「そ、そうかな? ありがとう。」


 突然現れた女の子に驚きながら、とりあえず言葉を返す。


「わたしもえをかくのすきだよ! いつもらくがきちょうにおえかきしてるもん。」


「へえ…、どんな絵を描いてるの?」


 集中して描いているところに声をかけられたということに内心で不機嫌になりつつも、とりあえず相手をしてやるかと、女の子の目も見ずに返事をした。

 すると、興味を持ってくれたと思ったのか、女の子は目をキラキラさせて自分のことを話し出すのだった。



 するとそのまま、気を良くした女の子は「わたしのへやにあそびにきて!」と、私の腕を引いて自分の部屋へと招いた。

 突然のことに私は驚いたが、特に断る理由もなく、たまにはこういう変な誘いに乗ってみるのもいいかという気まぐれで、私はその人畜無害そうな女の子についていくのだった。



 マンションのエレベーターで女の子の話をなんとなく聞き流しながら、なんで自分はこんなところに来てるんだろうと考えていた。

 女の子はポケットから鍵を取り出し、ドアを開ける。

 こっちこっちと手招きし、自分の部屋へと私を導いた。


 その部屋はぬいぐるみや落書きのスケッチブック、脱いだ服などで散らかっていて、年頃の女の子の部屋といった様子だった。


「私、来ちゃっても大丈夫なの? お家の人は?」


「だいじょうぶ。おかあさんおそくまでかえってこないの。」


 その女の子は小学校低学年くらいに見えるが、こんな子を家に一人にさせてしまって大丈夫だろうか、というか私なんかを連れ込んでも大丈夫なんだろうか、と不安になる。


 ふと部屋の隅を見ると、遊んだまま片付けられていないお人形セットがあった。

 お部屋の模型の中に小さな家具が沢山並んでいて、暖炉の前のイスに金髪の女の子の人形が静かに鎮座している。

 私はそのお人形セットに見覚えがあった。

 自分も小さい頃に遊んでいたことのある、北欧製のお人形セットだった。

 私は懐かしさを感じながら、そのお人形を手に取る。


「そのこはマリーっていうの。」


「マリーか。懐かしいな、私も昔遊んでた。」


 マリーと名付けられたそのお人形。金髪の髪の毛はボサボサで、服もヨレヨレ。青色の小さな目は、どこか疲れているような表情をしている。かなりの時間を女の子と一緒に遊んでいるらしかった。

 私のお人形はなんて名前だっただろうか。


「この子、だいぶボロボロだね。」


「うん、ずっといっしょにあそんでたから。……でも、そろそろあきてきちゃった。」


「飽きたの?」


「だって、いつもおなじおへやだし、おともだちもいないし、おなじことしかできないもん。」


 子供の想像力は無限と言えど、確かにそれは無理もないか、と私は納得する。


「そっか。お母さんに買ってもらわなきゃね。」


「うん…、でもおかあさんいそがしくて、あんまりかまってくれないんだ。」


 話を聞く限り、母子家庭なのだろうか。それはお母さんも大変だろう。


「マリーがじぶんでうごいてくれたらいいのにね。」


 ぽつりと、女の子の口からそんな言葉が漏れた。


「ふふ、そうだね。この子が自分で……………っ、」


 言いかけて、ドキッとする。

 その続きは、女の子の口から発せられた。



「じぶんでおでかけしたり、じぶんでおともだちつくったり、じぶんでごはんつくったりしてくれたらきっとたのしいのに。」



「………………。」


 素直に頷くことができない。

 ……だって、それはまるで、私自身のことのようだったから。


 両親を亡くしたあと、言われるがままに祖母の家で生活をするようになったものの、いまだに死別のショックを引きずったまま、無気力で、無関心。

 転校先の学校でも自分からクラスメートに声をかけたり自分の意見を言ったりすることもなく、ただ周りの意見に流されている私。

 描いている絵も、いつも同じようなタッチで同じような色使い。


 与えられた環境の中で人に操られて動いている、まるでこの人形のようだ。


 マリーと名付けられたこの人形は、自分で言葉を発することもなく、歩くことすらできない。

 誰かに操られて初めて動くことができ、操る人の想像力によって様々な物語を繰り広げるが、操る人の想像力が尽きたらもうおしまい。

 新しいお部屋やお友達のお人形を与えられでもしない限り、変化はないのだ。

 もしもマリーが自分で動くことができたなら、新しいお部屋やお友達も見つけてくるかもしれないし、コミュニケーションが取れて楽しいかもしれない。


「………ははっ。」


 苦笑する。

 私はまるで、マリーだ。

 人形の青い目が私を見つめる。その目は無気力な私の姿を責めているように見えて、私は思わず目をそらした。

 …マリーが自分で動いてくれたらいいのにね。それほど深い意味を込めずに口にしたのであろう、女の子のその言葉は、私の心にチクリと突き刺さる。


「みてみて! わたしのかいた、え!」


 突然横から声をかけられ、私は引き戻される。

 そういえば落書き帳にお絵描きをしてるとか言っていた。

 女の子が突き出した腕の先に持っていたスケッチブックに描かれた絵を見て、私は驚く。


「…こ、………これ、私の絵じゃ?」


 間違えるわけもない。

 そこに描かれていたのは、いつだったか私がクレヨンで描いた公園の風景画だった。

 ニコニコと自慢げな笑みを浮かべる女の子の顔とその絵とを交互に見る。

 なんでこの絵がここにあるの?


「な、なんでそれ、あるの?」


 動揺しながらそう尋ねる。すると女の子はキョトンとした顔で答えた。


「?  だってこれ、わたしがかいたんだもん!」


 この子が何を言っているのか分からない。

 まさか私の絵を盗んだわけもないだろうし、私の絵をトレースしたなんてこともないだろう。

 かと言って、偶然に同じ絵ができたなんてことが現実にあるだろうか。


「まだまだあるよー。みてみて!」


 そう言いながら女の子はスケッチブックのページをめくる。

 2ページ、3ページ…とめくって出てくる絵たちは、どれもこれも私が過去に描いた絵ばかりだった。


「ま、待って。それ……何で…?」


 言葉が出てこず、私はまるで手品師にすっかり騙されてしまったかのように、ただ口をパクパクさせるだけだった。


「ちょ、ちょっと待って! それ、どうなってるの? 何で私の絵を持ってるの?」


「あはははは、あはははは。」


 女の子は狼狽する私を見てケラケラと笑う。

 そして、私の言葉など聞いていないかのようにパタンとスケッチブックを閉じると、次は部屋の隅にあったおもちゃ箱にその視線を移した。


 パステルカラーに彩られたそのおもちゃ箱は、小柄なこの女の子くらいなら中に入ってしまいそうなほどの大きさだった。

 そしてそのおもちゃ箱のフタを開けようと手をかけたが、ピタリとその手を止めて私の方へ顔を向ける。


「わたし、まだまだいっぱいおもちゃもってるよ。みる?」


「………………。」


 私は何が何だか分からなかった。

 みる?と疑問形で尋ねられてはいるが、その言葉には有無を言わせない強引さがあるように感じる。

 そもそも彼女は河原で絵を描いていた私のところに突然現れ、私の手を引いてあれよあれよとこの部屋に連れてきて、そしてなぜか私の絵を持っている…。

 この巡り合わせは果たして偶然のものだろうか? 彼女は何かしらの意図を持って、私の前に現れたのではないか?

 私は目の前の年端もいかぬ少女に対して、わずかな恐怖感を感じずにはいられなかった。


 女の子は私の返事を待つことなく、くすりと笑いながらおもちゃ箱のフタを開ける。



 次に起きた出来事に、私はただ呆然とするだけだった。



 おもちゃ箱の中には、年頃の女の子らしくたくさんの人形やぬいぐるみ、積み木やボールなどが入っていた。

 その一つ一つがまるで意思を持ったかのようにカタカタと動き出し、一斉におもちゃ箱の外へ飛び出してくるのだ。

 熊のぬいぐるみは宙に浮かび、恐竜のおもちゃは床を歩き、ボールは壁を跳ねる。

 私が手に持っていたマリーさえも、そこに加わって私の周りをグルグルと漂い始めた。

 まるで水族館の水槽の中に入り込んだような、……いや、まるでこの部屋そのものがおもちゃ箱の中であるかのように、無数のおもちゃたちはグルグルと空間を飛び回る。

 あまりにも幻想的なその光景に、私は開いた口が塞がらなかった。


 その渦中、当の女の子は笑いながら私を見つめていた。

 その笑顔が私には魔女の微笑みのように見えて、魔女の従者となった無数のおもちゃたちが私を殺そうとしているのではと想像し、背筋が凍った。


「や…………やだ…。やめて………。」


 ようやく絞り出した言葉は、自分の耳にすら届いているかどうか分からないほど弱々しいもの。

 しかしそれとは対照的に、女の子が口にする言葉は実に無邪気なものだった。


「おねえちゃん、こわがらなくていいよ。べつにとってたべたりしないから。」


「……………。」


 その無邪気さが、逆に怖い。


「ほら、あれをみて。きっとおぼえているはず。」


 そういって女の子は、右手で一つの方向を示す。

 そこには、本棚の上に立てかけられた写真立てがあった。


「…………! あれって……!」


 写真立てに入っていたのは、私の家族写真だった。

 中学校の入学の際に写真館で撮ってもらった写真。父と母が並んで立っていて、その手前に私が座っていた。

 私の表情が固すぎないかと父は言ったが、写真に写るのが苦手な私は「これでいいから」と言って素っ気なく決めた一枚だ。


「なんでこの写真が……、あっ。」


 よく周りを見渡すと、見慣れたものがたくさんあった。

 両親と遊園地に行ったときのパンフレットやチケットの半券が壁のコルクボードに貼ってある。

 それだけでなく、温泉旅館に行ったときのお土産の手ぬぐいや、小学5年生の夏休みの宿題で賞をもらった読書感想画、初めて友達の家でお泊まり会をしたときに交換したプレゼント。

 私の記憶にあるたくさんのものが、この部屋にはあった。


 そして、彼女がさっき見せてきたのは、私の描いた絵だった。

 …ということは……。


「ここって、どこ?」


 私の問いに、女の子は手を広げて答えた。


「ここは、わたしのへや。そして、あなたのおもいで。……ここにあるのはすべて、あなたのきおくのなかにあるもの。」


「……私の…思い出……。」


 確かに、ここで目に映るものは全て私の記憶にあるのもばかりだ。

 マリーという名前さえ違うが、あの人形セットは私も小さい頃遊んでいた。


「…で、でも、それなら、君は?」


 抱いていた最大の疑問をぶつける。

 ここが「わたしのへや」で、ここにあるものが私の思い出だと言うなら、もしかして…。


「……うーん、それはまだはやいかな。」


「どういうこと? 君ってもしかして、私?」


 ここにあるものが私の思い出だと言うならば、この部屋の主である彼女は私の幼い頃の姿だとでもいうのだろうか。

 普通ならばありえない発想だが、次から次へとありえないことばかりが起こっているこの空間では、そんな荒唐無稽な出来事も起こりうるのだろうか…。

 しかし、そう考えると確かに彼女は私に似ているかもと思うが、その顔付きは私とは少し違う。


「…あ、ほら。みて。」


 女の子が床を指し示す。

 そう言われて視線を床に移すと、床の絨毯の上で動物のぬいぐるみやお人形たちが集まって鬼ごっこをしていた。

 そこにはマリーの姿もあって、マリーは鬼の役としてみんなを追いかけている。

 そのまま様子を眺めていると、足の遅いマリーは全然みんなを捕まえることができず、とうとう泣き出してしまった。

 これにはみんな大慌てで、わざと手を抜いて捕まりにいったり、声をかけたりしてマリーを慰めていた。


「ほほえましいね。」


 女の子はそう呟く。

 …分かっている。あの鬼ごっこの光景も、ちゃんと私の記憶にある。

 小学2年生くらいの頃だっただろうか。当時の私はあのマリーのように、みんなを捕まえられずに泣き出してしまったことがあるのだ。


「ほら、あれも。」


 女の子はそう言って、また違う方向を指差す。

 そこにも、私にとって懐かしい、記憶の中のワンシーンがぬいぐるみやおもちゃたちによって再現されていた。


「どれもこれも、なつかしいよね。いいおもいでだよね。」


「……………。」


 彼女は結局何が言いたいのだろう。

 私は次の言葉を待つ。


「……じゃあ、これは?」


 そう言いながら、女の子は人差し指を私の足元に向け、そのままスーッと私の顔まで持ってくる。

 すると、足元に何やら違和感を感じた。


「…………? なに?」


 心なしか、足元の床がホットカーペットのように熱を持っているように感じる。

 そして、女の子はパチンと指を鳴らした。


 その瞬間、ボウッッ!!! という音を立てて、部屋全体が炎に包まれる!


「え!? うわ、えっ!?」


 みるみるうちに部屋の壁はオレンジ色の炎に埋め尽くされ、その炎は確かな熱を持って部屋を焦がしていった。


「や、やだやだ! やめて!!」


 その熱は当然私の肌を焦がし、煙は私の気管に侵入してくる。

 一刻の猶予も許さず、炎は勢いを増して部屋の床から天井までを覆い尽くしていった。

 私は部屋から出ようとするも、いつの間にかドアがなくなっていたためにどうすることもできない。

 それまで部屋をグルグルと回遊していたおもちゃたちも炎に包まれ、床に転がっていた。


「あ、熱い!! やだやだ! ゴホッ! ゴホッ!」


 そしてとうとう、私の服にも引火した……。

 -殺される! 私の頭がそう警鐘を鳴らした瞬間、


 パチンッ!


 再度指を鳴らす音が聞こえ、炎は瞬時に収束していった。


「…はあ、はあ、はあ…。」


 熱と煙の脅威がなくなり、私は深く呼吸をする。

 壁やおもちゃたちの炎もすっかり消え、部屋はさっきまでの状態を取り戻した。

 かと思うと、今度はどこからともなく音が聞こえてくる。


「い…いや、その音はやめて……!」


 それは、ウーーーウーーーという消防車のサイレンの音。

 私にとって何よりも恐怖を感じる音だ。

 私は思わず耳を塞ぐが、サイレンの音は容赦なく私の鼓膜に響いてくる。

 炎の熱がなくなったにも関わらず、私の身体中からは汗が噴き出した。

 続けて、どこからかラジオの音が聞こえてきた。


『ザザザ……、…〇〇町の住宅にて、火災が発生しました。炎は深夜2時ごろに発生し、駆け付けた消防隊によって2時間後に消し止められました。この火災により、住宅に住む****さん40歳と、その妻**さん38歳の2名が死亡、娘の**さん13歳が軽傷とのことです。火災の原因は…』


「いやああああああああ!!!! やめて!!! お願い!!! 聞きたくない聞きたくない!!」


 私はその場にうずくまり、音が耳に入らないように頭をぶんぶんと振る。

 腕には鳥肌が立ち、嫌な汗が背中を伝う。目からは涙が溢れてきた。

 このラジオの内容こそが、2年前に私から両親を同時に奪った出来事で、私にとっては最大のトラウマだ。

 私はあの事件以来、どうしようもなく炎が怖くなり、消防車のサイレンを聞くと寒気がし、鳥肌が立つようになってしまった。


「…これも、あなたのおもいで。」


 女の子が私を見下ろしながら、静かにそう言う。

 気がつくとサイレンもラジオも消えていた。


「……………………。」


 床にうずくまる私。相変わらず体は震え、目から涙が溢れ落ちる。

 この女の子は一体、何がしたいのだろう。わざわざこんなところに呼び寄せて、私のトラウマを掘り返して、何の得があるというのだろうか。…分からない、分からない…。


「……結局、君は何がしたいわけ…? …どうして、私を呼んだの?」


「………………。」


 女の子は少し黙ったあと、さっきのおもちゃ箱のフタを手に取る。


「みんな、もうもどっていいよ。」


 その号令と共に、部屋中に散らばったおもちゃたちは一斉に集合し、バタバタとおもちゃ箱の中へと戻っていった。

 最後にパタンとフタを閉めると、部屋は来たときと同じ静寂に包まれるのだった。

 あれほどの勢いで燃え盛っていた炎の存在などなかったかのように、壁や天井も焦げ一つなく元通り。


 私はなんとか体の震えも収まり、顔を上げて床に座り込む。


「……じこしょうかいがまだだったね。」


 女の子は意を決したようにそう呟く。

 私は彼女を見上げ、次の言葉を待った。


「ここは、わたしのへや。そして、あなたのおもいで。…あなたのきおくのなかにあるもの。」


「……それはさっき聞いた…。」


「ここにあるものはすべて、あなたのきおくのなかにある。もちろんわたしもそう。」



「…わたしは、あなたのいもうとになるはずだった。」


「えっ………。」


 妹、と聞いて思い出す。

 私が小学生の頃、母が妊娠したこと。検査の結果、妹ができると分かり、私は子供ながらにとても楽しみにしていたこと。

 …しかし不幸なことに、流産となってしまったということ……。

 その、本来なら産まれているはずだった妹が、この子だというのだろうか。


「おかあさんがわたしをにんしんしたってわかったとき、おねえちゃんはきっとわくわくしてたとおもう。おおきくなったらどうなるかなってそうぞうしたとおもう。その、とうじのおねえちゃんとおないどしにせいちょうしたのが、このわたし。」


「……そんな…。…じゃあ、君はずっとここで生き続けてたってこと?」


「かんちがいしないでね。わたしはこのよにはいない。おねえちゃんのきおくのなかだけのそんざい。」


「そんな……、悲しいこと言わないでよ! せっかく会えたんだから…。」


 すると女の子は、手をすっと出して私を諌める。


「おねえちゃん。おもいでとげんじつをごっちゃにしないで。」


 その口調には強さがありつつも、母が子に諭すような優しさが込められていた。


「おもいでっていうのは、おもちゃのようなもの。いっときそれであそぶじきがあっても、いつかはおもちゃばこにしまうときがくる。」


「むかしあそんでたおもちゃがだいじなのはわかるけど、いつまでもそれをひっぱりだしてあそんでたんじゃ、いつまでたってもまえにすすめない。こどもがおもちゃをそつぎょうするように、おねえちゃんもおもいでからそつぎょうしなきゃ。」


「そんな、そんなこと言ったって…!」


「ほら、へやのなかみてみて。」


 そう言われ、部屋の中をぐるりと見渡す。


「このへやは、おねえちゃんのおもいでがあつまるへや。……なのに、おとうさんとおかあさんがしんじゃってから、このへやにはぜんぜんものがふえない。」


「あ………。」


 そう言いながら、女の子は私の描いた絵のスケッチブックを大事そうに抱きかかえる。


「あれからふえたのはこのえくらいかなぁ。おねえちゃんぜんぜんおもいでつくろうとしないもんね。」


「…思い出を作ると、この部屋に物が増えるの?」


「そう! ふえるよ! いつもピンポンがなってとどけてくれるの!」


 この部屋に宅配便が届くのか。

 おもちゃが宙を舞ったり炎に包まれたりしていた摩訶不思議空間のこの部屋にも、所帯染みた一面があるらしい。

 そのシュールな光景を想像し、私は小さく苦笑した。


「だから、いっぱいがんばっておもいでつくってね!」


「……あんまり沢山思い出作ると、部屋が手狭になるんじゃないの?」


 ただでさえここはそう広くない部屋だ。私の場合、絵を描いているだけでもすぐにキャンバスでいっぱいになりそうな気がする。


「そのときは、ひっこししなきゃね!」


「ひ、引っ越し?」


「うん。たくさんのおもいでがはいるように、もっとおおきいへやにひっこしするの!」


「……くすっ、何それ……。」


 なんとも面白いシステムになっているものだ。

 そう言われると、沢山物を増やしてどんどん大きい部屋にしてやろうという気にさせられる。まるでゲームだ。


「だからね、おねえちゃん。」


「…………何。」


 思い出の届く部屋というユニークなシステムに感心している私を見て、女の子は真剣な表情になる。


「ここにとどいたものであそぶのは、わたしのやくめ。おねえちゃんは、ここにものをふやすことをかんがえて。ここにものがふえるってことは、おねえちゃんがげんじつでがんばってるっていうことだから。」


「……………。」


「おねえちゃんはマリーとちがって、じぶんであるけるでしょ?」


「…………うん。」


 彼女の言うことが本当ならば、この部屋は私の記憶の中の世界であり、私の妹になるはずだった彼女は私の思い出によって再現され、一人の人格を手に入れることができているということ。

 そして部屋の主人となった彼女は、部屋に届いた私の思い出の品々で毎日遊んでいるのだ…。

 しかし彼女は、マリーのお人形セットを「飽きてきた」と言った。それは、マリーが人形であるがゆえに、自分から主体的な行動を起こすことができず、変化を生み出すことができないからだ。

 マリーのようなお人形は、ご主人様にお部屋を買ってもらったり、新しいお友達を与えられたりすることでしか、新しい環境を得ることができない。

 …これまでの私はそうだった。

 両親が亡くなって絶望した私は、「失うこと」の怖さを知った。

 そしてそれは同時に、「求めること」に対するリスクについて非常に臆病になるようになってしまっていたのだ。


 「与えられること」は、他者によって生み出される自分にとって何のリスクもないことだ。

 しかし「求めること」とは自らによる主体的な発信であり、それは常に「失うこと」のリスクを孕んでいる。私はその「失うこと」が本当に怖かった。


 …しかし、私が失ったものがこうやって思い出としてこの部屋に届き、この子がそれで遊んで楽しんでくれるのなら、求めることも決して悪いことではないのかもしれない……。

 マリーのように自分から発信も行動もしない人形は、いずれ飽きられ、おもちゃ箱の中に収納されてしまうのだから。




「…………ん、ちょっと待って?」


 ふと、引っかかることがあった。


「どうしたの?」


 私が失ったものが思い出としてこの部屋に届くのなら。


「ねえ、最初お母さん帰りが遅いって言ってたよね? ってことは、ここで待ってたら母さん帰ってくるの!?」


 そうだ、そういうことになる。

 確かにこの子は最初にそう言っていた。


「え~っと…………うん。かえってくるよ。おとうさんも。」


「……………!!」


 胸が高鳴る。

 大好きだった父さんと母さんに会えるなんて!


「………会わせて! 待っててもいいよね!?」


 思わぬ僥倖に興奮した私は、身を乗り出して女の子の肩を掴む。

 女の子は困った顔をして、私から目をそらした。


「え~~っと……。ざんねんだけど、それはできなさそう…。」


「どうして!?」


「だって、もうすぐじかんだから…。」

 

 時間?

 何の時間だというのだろうか。

 せっかくこんなところまで来たのに、両親に会わずに帰るなんて……!


「おねえちゃん、おぼえておいて。このへやは、おもいでときおくのあつまるへや。それって、だれもがもってるへやなんだよ。」


「? うん、それがどうかした?」


「にんげんのからだのなかで、きおくとおもいでのあつまるところってなんだとおもう?」


「?? それは……、脳みそ?」


「そう。つまりこのへやは、おねえちゃんののうみそがつくりだしたものなの。」


 非常に回りくどい。結局何が言いたいんだ。


「きょうおねえちゃんがこのへやにこれたのは、おねえちゃんののうみそがきせきてきにこのへやをつくりだせたから。つまり……。」


 脳みそが奇跡的に作り出した?



「ゆめってこと。」



 ゆめ。


 夢。


「はぁ~~~~っ!?」

 

 夢!?

 ああ、そりゃそうだろう。部屋中をおもちゃが飛び回ったり、火あぶりにあったり、死んだ両親に会えるなんて、夢でしかありえない。

 しかし夢ならなおさら、一目父さんと母さんに会うくらいのことはしておきたい。

 それが、時間がないとはどういうこと?


「時間がないってどういうこと?何で!?」


「えーーーっと、その……。」



「おねえちゃん、もうすぐアラームなるよ?」


「え?」



 ピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピ



 甲高い音が部屋中に鳴り響く。

 その瞬間、急に意識が遠くなり、まるでどこかに吸い寄せられるような感覚を覚えた。

 見るとさっきまでなくなっていた部屋の入り口が出現し、その扉は宇宙空間に放り出すかのように私を吸い寄せていた。


「うわっ、ちょっ…!」


 女の子は柔和な笑顔で私に向かって手を振る。


「おねえちゃん、あえてうれしかったよ! またあえたらいいね!」


「どっ、どうやったらまた会えるの??」


「このへやは、きせきてきなかくりつでねむってるときにつくられるの。だから、うんがよければまたねてるときにあえるかもね!」


 奇跡的ってどれくらい!?

 運が良ければってどれくらい!?


「ばいばーーーい!」


 ああ、もう目が覚めてしまう……。








 ピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピ




「…………………はっ!」


 目を覚ます。

 いつもの寝慣れた布団、私の匂いのする枕。見慣れた天井……。


 私はアラームのスイッチを止め、寝ぼけ眼で周りを見渡す。

 いつになく頭がボーッとして、なにやらとてつもなく変な夢を見ていたような気がする。

 その夢がどんな夢だったのか、私は夢の中でどんな体験をしていたのかは全く分からない。

 ……しかし、いつもより気分が良かった。





「ああ、起きたんかえ。」


 階下に降りると、祖母が朝ご飯の準備をしてくれていた。


「おはよう……。」


 焼き魚に煮付け、味噌汁という、祖母お手製の純和風な朝食を摂りながら、私はふと祖母に尋ねてみた。


「……ねえ、お婆ちゃん。お婆ちゃんの思い出の届く部屋って、どれくらいの広さ?」


 そう尋ねると、祖母はキョトンとした顔を見せる。

 私も、自分が何を言っているのかよく分からなかった。

 ただ、起きたとき頭の中に強烈に残っていたのが、唯一この「思い出の届く部屋」という言葉だったのだ。



「………そうさねえ。多分棺桶の広さくらいかねぇ。」


「…………笑えないよ。」


 祖母はまだまだ元気です。







 学校の授業を終え、いつもの美術部の活動へと足を運んだ。


「おはよーーー…。」


 挨拶をしながら美術室に入ると、部員たちが意外そうな目でこちらを見る。

 何だ、私が挨拶をしたらそんなに変か。



 滞りなくいつもの部活動の時間が過ぎ、もうすぐ終了の時間となった。



 パレットを洗いに私の席の後ろを通りがかった友達が、私に声をかけてきた。


「あれ、どしたの? 今日はなんか絵の雰囲気違うね。これなに?」


 その言葉に私は振り向き、得意げに笑顔を見せる。


 パステルカラーのおもちゃ箱に北欧製の女の子の人形がもたれかかったような、色鉛筆で描いたカラフルな絵。




「これ? 私の、思い出の届く部屋。」




 私は、自分の「絵」が、少し分かった気がする。







 終わり。



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