第8話 ルール

「犬……?」


 驚いた声を上げるはじめに狐です、と憮然としたコンの声が狐から発せられた。


「え? なに、どういうこと?」


 すっかり混乱した様子の一に困ったな、という顔で琳が黙り込むと、バンがおずおずと一に近寄り、勢いよく頭を下げた。


「ごめんなさいっ。私が名前を言ったせいなんだ……だって……書きやすかったから」


 バンのその告白に琳が吹き出し、一はさらに困惑した。


「私は名前を言うだけだけど、私が言った名前は文字になるんだ。その文字を紙に貼りつけるのに楽だったから……」

 必死に謝るバンを見て、一はようやく自分が置かれている状況を理解した。


 コンのせいなのかバンのせいなのかは定かではないが、ここにいる連中のせいであの世にいる、つまり、死んでしまったんだと。


 これが夢じゃなくて、彼らの言うことが正しいのならば、だが。


「『一』が『にのまえ』なら死神の姓は全部『三』でいいじゃないか。だって、『死の前』に会うだろ?」

『三』は『四』の前だから『しのまえ』というわけだ。

 琳がそう茶化していると、ふいに背後から声をかけられた。


「死神が来るぞ」


 振り返ると、舟に乗ったセンだった。

 センは三途の川の渡し守だ。

 背後は川だったか、と琳が渋い顔をする。

 センはそれだけ伝えて、つい、とどこかへと去って行った。


「死神が? もうバレたのか……」


 チッと舌打ちをし、逃げるぞ、と言ったが、踏み出しかけた足が止まる。


けん……」


 気配を感じさせることなく、そこに現れたのは、一を助けるのに協力してくれた死神の硯だった。

 だが、現れた硯の表情から今度はどうやら違う立場で来ていることが分かった。


「バン、シー一人じゃ仕事はできない。鬼籍が滞れば死神の仕事も滞る。早く職務に戻れ。自力で戻るなら御咎めはなしだとさ。だが、そっちは悪いが、門を潜らせる」

「どうしてっ。だって私が……」

 バンが反論したが、無理なんだ、と硯はぴしゃりと言い放ち、バンを黙らせる。

「例え間違いだとしても、二度も鬼籍に載った人間を現世に帰すことはできないらしい。悪いがそういうで、そういうなんだ」

 硯の言葉に琳はなるほどね、と呟き、バンは項垂れた。


「そういえば、今日は銀丞インチェンの姿を見ないな」

 銀丞とはコンのことである。

 コンは琳が咄嗟に思いついた偽名で、これが本当の名だ。

 ただ、普段は皆、ギンと呼ぶ。

 その違和感に琳が気づいて、なるほど、という視線を硯に送った。

 コン、いやギンの方もそれに気づいたようで、そっとその場を離れる。


「ま、そういうルールなら仕方ないな。あいつは役所へ行かせた」

「待って、私が書き直すからっ」

「鬼籍はそう軽いものじゃない。ただのメモ帳じゃないんだ。一度は許せても二度は許されない。バンの都合で何度も人間を殺したり生き返らせたりなんてできないんだよ。これに懲りてもう二度とこんなことはしないように」

 硯の言葉にバンはもうしないから今回だけ、と縋ったが、ダメだ、と一蹴された。


 そんなやり取りを横で見ていた当事者の一は、一人絶望していた。

 こんな連中ので死ななきゃならないのかよ、と。

 絶望は徐々に怒りに変わろうとしていたが、ふいに腕を引っ張られ、振り向くとシッ、と人差し指を立てた琳がいた。

 いつの間に移動したのか。


 ついて来い、と笑顔を向けられ、なんとなく琳について行くことにした。

 その横を通り過ぎる人影に一は目を丸くしたが、声を出すなよ、と小声で注意され、寸でのところで言葉を飲み込んだ。


「じゃ、行くか」


 硯が促すと、理不尽な死であるはずなのに、一は頷いて素直に硯に従った。

 その様子にバンは何度もごめんなさい、と一の背に泣きながら謝った。

 その声が聞こえなくなってから、ようやく硯は息を吐いた。


「……ちと、やりすぎたかねぇ?」

「良いお灸になりましたが、見た目だけとはいえ、小さな子を泣かすのは心地良いものではないですねぇ」

 一はそう言いながら、心苦しそうに苦笑した。


 二人は三途の川の向こうの大きな朱色の門の前まで来ると、そこで待ち構えていた門番とさらに門の向こう側に佇むロウに片手を挙げて挨拶した。


「良かったな。お前もこれで死なずに済む」

 硯に言われ、一は踏み出そうとした足を引っ込めた。


「……潜らないのか? こんなチャンス、もうないぞ?」

 怪訝そうな硯に一はいいんです、と首を横に振った。

 その顔が一からギンへと変わる。


「私はやっぱりここは通れません」

「なんで?」

「ここを通った前例がありませんからね。そんな危ない橋は渡らない主義です。それに、そうなれば別の職に就かなくてはいけないでしょう? アレのお守りを誰がするんです? 半身全員から嫌われてる男ですよ?」


『半身』というのは、死神など人間の相棒として就く職務で、ギンのように人以外のモノの為に存在する。

 あの世にいる人間全てに半身が割り当てられているのだが、琳の半身には誰もなりたがらない。

 琳が、というのもあるが、資材管理課という部署はあの世の全てをたった二人で管理する超ブラックな部署でもあるからだ。

 問題を起こした死神とその半身が行かされる、いわば島流しのような部署でもある。


「……ま、好きにすればいいさ。だが、お前が通らないならあの人間はどうなる?」

「だから、狼をあそこでスタンバイさせてるんでしょう?」

「お見通しか。でも門番は?」

「門番も元は死神。あなたのお友達なんでしょう?」

「まあな。じゃ、プランBだ」

「それがプランAだったんじゃないんですか?」

「実はプランEだ」


「では、書類操作を門番と狼にお願いして丸く収める訳ですね? その賄賂は硯がお支払いしてくださる、ということでよろしいですね?」

「門番には貸しがあったからいいが、狼の方は半分持てよ。元はと言えばお前の仕事だろ?」

「……ま、なんとかしましょ。狼っ、バンへの入れ知恵を黙認するので、それでよろしいですね?」

 ギンが門の向こうの狼に叫ぶと、狼はシィッと人差し指を立て、渋々頷いた。

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