第9話 約束と誓い

 しばらく歩いたところで、琳はようやく掴んでいた一の腕を離して立ち止まった。


「悪かったな。俺達のごたごたに巻き込んで。俺はバンシーじゃないからお前があと何年生きれるか知らねぇけど、達者でな」


「え? どういうことですか?」


「ここはな、いわゆる三途の川だ。この下は現世に繋がってる。だから、まだ死なないってことだ。目が覚めたら全部キレイさっぱり忘れるから安心しろ」

「忘れるのか……」

「なんだ、死にたいのかよ?」

「ち、違うよっ!」


 はじめは慌てて片手を振って否定した。

 そんな一を見て、琳はだよな、と笑った。


「先が分からないからこそ生きられるし、いつか来る終わりを知ってるからこそ今を大切に感じられるんだ。人は瞬間を生きているんだよ」

 琳の言葉に、一は平凡で退屈な毎日が嫌だったなんて言えなかった。


 人はいつ死ぬか知らない。

 でも、いつか必ず死ぬことは誰もが知っている。


「いつかまた、本当に死んだ時はあんたの仕事手伝ってやるよ」

「ま、お前には無理だろうが、一応楽しみに待っててやるよ」

 琳はニッと笑って、一の胸を軽くグーで小突いた。

 と、同時に一はよろめいて、わぁっ! と情けない声を上げながら、そのまま背後の川へと落ちて行った。


***


 長い夢から覚めると、暗い室内にいた。


 ああ、病院か、と気づいて、思い出す。


 今朝、学校へ行く途中、車に撥ねられたんだった。

 怪我は大したことなかったけど、頭打ったから検査入院してるんだった。


 今、何時だろう?

 暗いということは夜だろうと推測できた。

 とりあえず起き上がろうとしたところで、病室のドアが開いた。


「ああ、良かった。目が覚めたのね!」


 涙を浮かべながら、母さんが駆け寄って来た。

 その後を少し遅れて父さんも続いた。

 どうやら俺はあれから眠っていたというより、昏睡状態に陥っていたらしい。

 しかも原因不明ということで、つい先程まで今後の治療方針などについて、両親は医者から説明を受けていたらしい。


 その医者も病室の電気をつけて入って来た。

 明るくなった室内を改めて見ると、ベッドの傍らにはよくドラマとかで見る機器があって、少し息苦しいと思ったら口には酸素マスクがつけられていた。

 腕を動かすと、その腕にも操り人形のように幾つもチューブだかなんだかが繋がれていた。


 結構な大事おおごとになっている。

 ただ眠って目を覚ましただけだと思っていたのに。


 両親を安心させるべく、大丈夫だから、と言いながら、さっきまで見ていた夢を思い出そうとしてみた。


 とても不思議な夢で、思い出さなきゃいけないことがあったような気がして。


 でも、泣きながら安堵する母さんをなだめたり、入院するなら明日から学校休まなきゃいけないんだ、皆勤賞とれなかったな、とか考えていたら、どんどん忘れてしまった。


「……りん」


 何かを思い出しかけて俺は口を閉じた。


「……何? どこか痛いの?」

 心配そうに覗き込まれ、俺は慌てて首を横に振った。


「眠い……」


 霧が濃く立ち込めて来るように、俺の頭は霞んで気づいたら眠っていた。

 そして、目を覚ました時にはもう違和感は全て消えていた。


 ただ、いつか果たすべき約束ができたような、何か分からないけれど、目標ができたような。

 そんな気がして、もっと頑張らないと、とかもっと一日を大切に生きないと、とか。

 そんな風に思う自分がいて、驚いた。


***


「バンにこっそり聞いたんですがね、彼と再会できるのはまだまだ先のようですよ。楽しみが増えましたね」

 お茶を注ぎながらギンが笑った。


「まだまだってことは、見た目がジジイのひよっこがまた一人増えるってことか。お前があいつの半身になったら、ジジイの二人組みが迎えに行くのかぁ。そりゃ、いいんじゃね?」

 ニカッと笑う琳にギンがムッとした顔を向けた。

「お年寄りを馬鹿にするんですか?」

「違う。見た目と中身が一致しねぇって言ってンの」

「あなたは良いですね。見た目も中身もお子様ランチで」

「ああ。お子様はお子様らしく、外で遊んで来る! ので、後はよろしくっ」

 俊敏に琳が部屋を出て行くのを、しまった、とギンは苦い顔をした。


 いつもこうやって勝ったと思った瞬間、ひっくり返される。

 机の上の山積みの書類を前に、ギンは注いだばかりのお茶に口をつけ、大きく溜息を吐いた。


 そして、いつかはじめが『資材管理課ここ』へ来たら、琳のように一をこき使ってやろう、と強く心に誓った。


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