第6話 名前
あの世と現世を隔てるのは『門』といわゆる『三途の川』である。
琳とコンは『門』を潜り、『三途の川』を渡って現世へと行く。
川には船頭のセンとその相棒のサルがいる。
人の魂はこのセンとサルが操る舟に乗らねば、あの世に来ることはできない。
だが、琳とコンのようなあの世の者は舟に乗らずとも渡ることが可能だ。
彼らが川に訪れると、勝手に橋が現れる。
ただし、これができるのは死神と役所勤めの中でも資材管理課の二人だけなのだ。
二人が所属する『資材管理課』はその名の通り、『資材』を『管理する』部署だ。
その『資材』の中には人の魂も含まれる。
通常、人の魂を扱うのは死神の領域だ。
ただし、鬼籍に名前が載った、これから死ぬ運命の魂に限定される。
そのため、今回のように間違って鬼籍に載ってしまった魂は、死神の領域を出ることになる。
そういった特殊な場合に出動する部署であり、普段は役所の窓口からもたらされる書類整理が主な仕事になる。
だから、こんなに現世に行ったり走り回ったりするようなことは珍しい事態なのである。
「……せっかく現世に堂々と行けるのに、ハンバーガーすら食べさせてもらえない」
現世に着くなり、琳がそう文句を言うと、コンが呆れた顔をした。
「どこから突っ込んだらいいですかね? 堂々とって言いましたが、内密に、と言われて来てるんですよ? それにハンバーガーは無理です。こちらにハンバーガー屋の知り合いはいません。あのうどん屋は特殊でしょうに」
「それじゃあ反論するけどな、
早口にそう反論され、コンはうんざりして目を細めた。
「……そんなに言うならハンバーガーくらい行ってさしあげますよ」
少し棘を含ませて、コンは渋々琳に付き合ってハンバーガー屋へ行くことにした。
あまり現世に行くことがないのだし、本来の業務ではないのだから、少しくらい現世を楽しんだっていいか、とコンも考えを改めた。
琳と長く一緒にいるせいか、琳のそういう考えがコンにも浸透し始めている。
悪い影響、とコンは思っているのだが。
時折、琳のこの考えが功を奏することもある。
ハンバーガー屋に入るなり、琳が声を潜めた。
「ここに来て正解だったな」
ニカッと笑った琳の視線の先を追うと、店の隅でぎこちなく、不思議そうにハンバーガーを食べる少女の姿があった。
深緑の長い髪、褐色の肌、けれどその目は燃えるように赤い。
深い緑色のワンピースにグレーのケープを羽織っている。
目立つ風貌だが、人の多い都会ではそこまで目立たない。
変わった服装の人は多いし、髪をいろんな色に染めている人もいるし、カラーコンタクトもいろんな色がある。
それに、人との関わりも希薄で淡泊だから、あまり見ず知らずの他人に関心を持たない。
故にそんな変わった少女がいても、特に騒ぎにならない。
「バン……こんなところで何をしてるんでしょう?」
コンが不思議そうに眉間に皺を寄せる。
「現世を満喫してるんだろ。ハンバーガーとは良いチョイスだ」
琳は俺のお陰だ、と言わんばかりにニヤついた。
その笑みにコンはいささか不快そうに眉間の皺をさらに深くした。
「気づかれないように見張ってろ。俺は注文して来る」
そう言って琳は慣れた様子でハンバーガーなどを注文し、トレイを持ってバンの目の前に座った。
「……連れ戻しに来たの?」
慌てて逃げ出すことはなく、バンは二人を見上げて静かにそう訊いた。
「ま、最終的にはそうなるだろうけど、その前にどうやって
「
だから内密に、と言ったのか、と二人は納得した。
「何を見たかったんだ?」
「私は名前を吐くのが仕事なんだ。名前を言ったらその人は死ぬんだ。だから、生きてる人を見たくて……私の吐いた名前の人がどんな顔をしてるのか知りたかったんだ」
バンのその答えは二人の予想とは違っていた。
ただ現世を見たい、という観光気分なものではなく、もっと深刻なものだった。
でも、バンのその願いを叶えたら、恐らくもうあの世に戻って、再び同じ職務を続けることはできなくなるだろうことも容易に予想できた。
だが。
「……変わらなかったよ」
バンのポツリと漏らしたその一言に、二人は同時に「え?」と聞き返した。
「私が名前を言うから人が死ぬんだろ? だから、頭に名前が浮かんでも言わなかったんだ。ここにはシーもいないから書き留める人もいないのに。それなのに、その人は死んじゃったんだ。だからね、死なないように助けてもみたんだ。でも、それでも人は死んじゃうんだ。ねぇ、どうしたらいいの? どうしたら死ななくなるの?」
赤い目に涙が浮かぶ。
既にもう、バンは
遅かったか、と二人は心の中で悔やむ。
「……残念ながら、死をなくすことはできません。人は死んだらあの世へ逝き、あの世で死神などの職を経験し、そして再び現世へと生まれ変わります。ですから、死は終わりではなく、始まりでもあるのですよ。だから……」
悪いことではない、と言おうとしてコンは口を閉ざした。
そんな陳腐な言葉で説き伏せることができるとは思えなかったからだ。
バンは俯き、涙が握りしめたハンバーガーへと零れた。
「……人は生き返るから安心しろ」
琳はそう憮然として言った。
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