第2話 追う者

「よぉ」

 船頭らしき男が彼に声を掛ける。


「サルなら知らねぇよ」

「あれは役所に行かせとる。それより、これは何ね?」

 問われて彼は頭を掻いた。

 これ、というのは俺のことらしい。


「仕事だよ、仕事。逃げ切れなくてここに来た。すぐに連れてくから安心しろ」

「逃げる? もしかしてアレか?」

「そうだよ。あいつらのせいで大迷惑だ」

「この数百年で初めてじゃろ、書き損じなんて……」

「数百年どころじゃない。ここができてから初めてじゃねぇか? 元老院も慌ててるって話だ」

「元老院は『初めて』に弱いけぇ。役所も対応に追われて機能しとらんとか。お陰でサルが戻ってんけぇ、わしも大忙しよ……おっと、いかん。わしも仕事の途中だったわい。せいぜい頑張んな」

 おう、と彼が返事して、つい、と舟が去ると、再び静かになった。


「見つかったのが奴で助かった。お前はやっぱ隠れてろ。見つかるとヤバイからな」

 言われて大人しく車の中に収まってみる。

 そこで落ち着いて考えてみた。


 どう見たって俺と同じ高校生かせいぜい大学生の彼が、俺を守るなんて変な仕事をしてるのはおかしい。

 そんなドラマや映画のような世界が現実にもあるっていうのか?

 それに、俺は何で諾々と彼に従ってるんだ?

 相手は見ず知らずの人なのに。


 俺が置かれている状況はさっぱりだし。それに一緒につるんでるオジサンは何者? 紳士風だけど、なんか詐欺っぽい怪しい雰囲気バリバリだし。

 それにここどこよ? 都会のド真ん中に何で川が流れてるんだよ。しかも霧に包まれてるし。さっきの船頭風の人は、なんか時代錯誤な服着てたし。


 何が起こってるんだ?


 何が起こってるにせよ、俺は学校があるんだよ。

 そうだよ! 学校に行って俺の現実を生きるんだよ!


 俺は俺自身を奮い立たせて、勢いよくドアを開け走った。

 待てっ、と彼が叫んだけど、聞こえないフリをする。

 とにかくここから逃げなきゃ。こんな人達といる方が危ない。


「あのバカッ」


 無我夢中で霧の中を走った。

 でも、視界の悪い中を全力疾走はできない。

 速度は早歩きに毛が生えた程度だったが、視界が悪いのは向こうも同じだ。


「わっ! すみませんっ」


 ふいに人らしい感触にぶつかって、反射的に謝った。


「迷ったの?」


 顔を上げると、優しそうな女の人が立っていた。


「……あの、ここはどこなんですか?」

「ここ? ここは門の手前よ。あら? あなた……本当に迷ってここに来たのね。それに……リストの子ね? これは好都合だわ」

 にこりと女の人は微笑んだけど、怖い、と思った。


「門へ行きましょう。そうすれば迷うことはないわ」

 彼女は俺の手を取るなり、力強く引いた。

「ちょっ……待って。痛いっ」

 離せっ、と叫んだけど、とても女の人の力とは思えない力で俺を引っ張っていく。


 振り解くこともできず、ヤバイ。

 そう思った瞬間。


「待たせたっ」

 俺と彼女の間に突然割って入ったのは、琳さんだった。

 掴まれていた手は解けたけど、掴まれていた感覚は残ったままで、それを振り払うように掴まれていたところを摩る。


「琳、あなた何をしてるか分かってるの?」

 彼女はとても怪訝そうに彼を見つめた。

「そっちこそ分かってるのか?」

「悪いけど、私はバンを信じてるわ。二人の仕事に今までミスがあった? だからあのリストは正しい。彼もリストに載ってるわ」

「それはミスプリントだ。正しい情報を役所で配ってる」

「それはシーが作ったリストでしょ。バンが全て知ってる。シーは何も知らない。だってシーは……」

「ああ。だが、バンの言葉だ。シーはそれを写しただけだ。俺の仕事を忘れたか?」

「……私達も物? 感情のあるものを管理するのは難しいわよ?」

「知ってる」

「そうかしら?」


 彼女は琳を一瞥して、そのまま踵を返してどこかへと去って行った。

 俺をその背に庇っていた琳さんは、彼女が去った方を見つめていた。

 が、しばらくして振り返ったその顔は怒っていた。


「だから、危ないって言ったんだ。ああいうのに見つかると厄介なんだよっ」

 溜息を吐きながら、頼むよ、と懇願した。

「コンが戻った。ここを離れよう。もう一度言うが、死にたくなかったら大人しく俺の側にいろ。いいな?」

「……分かった」

 俺は大人しく頷いた。

 確かに今は彼の側で彼の言うことを聞いていた方が良さそうだった。


 俺達が車に戻ると、運転席で書類を見つめるコンさんがいた。

 琳さんと一緒に後部座席に乗り込む。

 ドアを閉めると同時に車は走り出した。


「役所はどうだった?」

 あれ? トイレじゃなく、役所に行っていたのか。


「大変そうでしたよ。ロウがいつになく不機嫌でしたからね。ま、無理もないでしょうが。物凄い行列できてましたから。あんなに賑やかな役所は初めてだと思いますよ」

「戻りたくないなぁ……」

「役所で働いてるのか?」

 今の話の流れだとそう思えるけど、どう見たって公務員って感じじゃない。

 おまけにコンさんは定年過ぎまくってる感じだし。


「一応役所の中で働いてるから役所の人間だけど、俺らンとこは二人だけの寂しい部署なんだよね。でも、あんたはそんなこと気にしないで、自分のことだけ考える。あんまり首突っ込まない方がいいことも世の中にはたくさんあるんだよ」


 自分のことっていったって、聞いても全然教えてくれないくせに、と思ったが、それは口にしなかった。

 代わりに別の質問をしてみる。


「なぁ、リストって何? 俺の名前もそこに載ってるってどういうこと?」

 さっきの女の人が言っていた。

「……これは少し説明をした方が良さそうですね。道も戻ったことだし、ランチでもどうです?」

 言われて窓の外に目をやると、霧はどこにもなくて、川も見えなくて、いつもの知ってる街中を走っていた。


「仕方ないな。ハンバーガー屋はその先を右折だ」

「残念。左折車線に入ってしまいましてね。うどんはお好きですか?」


 隣で大きな舌打ちが聞こえた。

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