資材管理課

第1話 誘拐犯かヒーローか

 始まりの先にはいつか必ず終わりがやって来る。

 出会いの先にはいつか必ず別れが待っている。


 みんな知ってる当たり前のことだ。


 でも、当たり前すぎて忘れて生きている。

 だから、その『いつか』が突然目の前にやって来るなんて思いもしない。


 その『いつか』を誰も知らないし、『いつ』と決まってるとも知らない。


 それがどんな顔をして、どんな風に現れるのかも。

 そして、どんな衝撃を伴うのかも。


***


 朝はまだ涼しいとはいえ、全速力でダッシュしたら例え真冬でも汗ばむ。

 ましてや今は夏だ。


 夏休み前の終業式に遅刻しそうになり、必死で走った。

 いつもならあまり信号に引っかからないのに、こういう日に限って全ての信号に引っかかる。

 しかも大通りの一番長い信号に引っかかった時点で遅刻が決定した。


 立ち止まって腕で額の汗を拭い、呼吸を整えるように大きく息を吐いた。

 どうせ遅刻ならここからはゆっくり歩くか、と思った瞬間。


「俺はりん。お前を守りに来た」

「は?」


 突然、背後からドラマか映画のような台詞を吐かれ、俺は反射的に振り返った。


 そこには同じ高校生くらいの少年が立っていた。

 が、俺と違ってどこからどう見ても、よくできた人形のように整った顔立ちをしている。

 よく陶器のような、と肌を形容するが、それはこういう肌のことかと初めて納得する。

 深い黒い瞳は優しそうで、その辺のイケメンとは次元の違うイケメンがいた。

 普通はこういう部類の人間には嫉妬するタイプだが、次元が違いすぎて嫉妬よりも単純にすげー、と感嘆すらする。


「とりあえず説明は省いて、ここを離れるぞ。ちょうどいい、車が来た」

 彼はそう言って俺の手をグイッと引きながら、目の前に停まった真っ赤なスポーツカーのドアを開いた。


 運転席にはメガネをかけたスーツ姿の、この車には似つかわしくない初老の男性がハンドルを握っている。

 いかにも上流階級の紳士、といった風貌だったけど、同時にいかにも怪しい雰囲気も醸し出していた。


 誘拐かと思ったが、俺は普通の高校生だし、父さんは中小企業のサラリーマン、母さんは近所のスーパーでパートで働いている。

 誰かと間違えてるか、誘拐以外に何か目的があるのか。


「とりあえず乗って。命が惜しかったら急ぐ!」

 後部座席に無理矢理押し込められ、彼が俺の隣に納まると同時に車は勢いよく走り出した。


 ヤバイ。


 俺、これから学校なのに。どうする?

 そんな不安とは対照的に、隣から暢気な声が飛ぶ。


「昼飯どうする?」

「うどんが食べたいですね。勿論、キツネで」

「お前には聞いてない。あんたはどうする? 何食いたい?」

「お、俺?」

「そう。高校生ならハンバーガーだろ。俺、ハンバーガー! だってあっちにはないんだぜ? 信じられるか? 世の中にハンバーガーがないなんてなぁ。こんなに切ないことはない。そう思わないか?」

「思いませんね。ジャンク・フードは体に悪いですから」

「だからお前に話してんじゃねぇって。つか、さぁ。お前はもう少し年長者を敬う心ってのを持った方がいいぞ。確かに俺の方が遥かに若いし、カッコイイけどな」

「ナルシストって言葉知ってますか? そのうち水仙になりますよ?」

「なるか、ボケ」


「あのぅ……」


 俺は思い切って質問してみることにした。

 このままじゃきっと説明してくれない。そう思ったからだ。


「俺はこれからどうなるんですか?」


「んー。とりあえずシートベルト締めた方がいいね。で、何かに捕まって」

 え? と俺が声を上げた瞬間、車のスピードが上がり、運転が急に荒くなった。

「何っ?」

「だからぁ、あんたは追われてるんだよ。だから守ってやる。それが仕事だからな」

「し、仕事?」

 言いながら俺は必死でシートベルトを締めた。

「うん。あ、そうそう。これは……コン」

 彼の紹介に初老の男性は安直だな、と憮然としていた。

 偽名なんだろう。恐らく彼の名前も。


「仕事って何をされてるんですか?」

「んー、基本は管理だな。で、たまにこういう仕事もする」

「管理って? こういう仕事って?」

「うーん……」

「書類などの資材を正しく管理するのが主ですが、今回のように間違ったことを修正するのも仕事の内です」

 彼が答えにくそうにしているのを、コンという人が助けた。


「間違いって?」

「複雑な事情があるんです。あなたはただ私達に守られて大人しくしていなさい。今日か明日には全て終わる予定ですから」

「そんな……俺、学校があるのに。そうだよっ、俺、これから学校なんだよ。停めろっ……」

「だぁかぁらぁ。死にたくなかったら大人しくしてろって。人の話聞いてた?」

「でもっ、誰かもよく分からない人間ひとを信じろっていう方が無理だろ。幼稚園児だって知らない人の車に乗ったりしないって」

「でもあんたは乗った」

「無理矢理だろ」

「そう。でも乗った以上は付き合え。つか、信じなくてもいいから大人しくしてろ」

「言ってること滅茶苦茶……っ」


 大きくハンドルを切られたせいで、俺は軽くドアに頭をぶつけた。

 振り返るとバイクが追いかけて来ているのが見えた。

 追われているのは本当だったんだ。


「その先を右に曲がれ。橋があったはずだ」

「正気ですか?」

「他に方法があるか。俺と一緒なら通れるはずだ。とにかく曲がれっ」

 やれやれ、と溜息を吐いて、再び大きくハンドルが切られた。

 一瞬、俺は目を閉じてしまった。そして、車が停まった感覚に再び目を開くと。


「ここ……どこだ……?」


 どこかの岸辺にいた。水の流れる音がする以外、何の音もない静かな場所。

 視界は霧に覆われていて何も見えない。

 街中を走っていたはずなのに、こんな場所、俺は知らない。


「降りろ」

 ドアを開かれ、俺はとりあえず降りた。

 コンさんの姿はなかった。


「何が起こったんだ?」

「とりあえず安全な場所に着いたけど、なるべく早いとこ、ここから出ないとな」

「なんで? 安全なんだろ?」

「俺達はな。あんたはあんまりここには長くいられない」

「なんで?」

「正規のルートで来てないし、ここに来る予定じゃなかったからな。コンが戻ったらここから出る」

「ここはどこなんだ? コンさんは?」

「コンはトイレ。ここのことは聞くな。追手を撒く為に逃げ込んだだけだ」

「誰になんで追われてるんだよ? それに命に関わるってどういう……」

 俺の質問に彼は大きく溜息を吐いた。


「なんでもかんでも聞くな。気持ちは分かるけど……」

 うんざりした表情に俺は反射的にごめん、と謝っていた。

「お前が謝る必要はない。こっちが悪いんだから。あまり詳しく話せなくて悪いな。深く関わらせたくないんだよ」

「仕事に?」

「ああ」

「仕事ってバイト? どう見たって俺と同じくらいだろ。高校生じゃないなら大学生か? そう変わらないよな? 学校は?」

「バイトじゃないし、学校って行ったことないんだ」

「行ったことないって……どういうこと?」

「言葉通りだよ」

「親は?」

「親はいない。それよか人の心配してる場合じゃないだろ」

「でもっ……」

 冷たい視線が口を塞いだ。


「頼むからあんまり聞くな。厄介なのがその辺に……」

 言いかけて彼は再び大きく溜息を吐いた。


 音もなく一艘の舟が岸辺につけてきたからだった。

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