常識は時に惑わす
ラミージュがやって来たその日、俺達は『森の賢者』について調べていた。
この家は3階から地下1階までで構成されている。地下の部屋を使うのは主にラミージュ。そのため訳の分からない道具が散らばっている。
1階は、主に食事、団らんのために使われている。
2階は各々の部屋、そしていくつかの本棚がある。
そして、3階。
「なんか、地球儀の中にいるみたいだな」
「そうですね、感じとしては合ってます」
天井と床には地図の様なものが貼ってある。また、真ん中には円卓があり、その上には羊皮紙の山と羽ペンが置かれてある。
「可愛いラン、小僧、椅子に座るのじゃ」
「ほら、ランラン、こっちこっち」
部屋の中を見ていたら、先に座っている二人に座るよう促された。
「で、ここは何をする部屋なんだ?」
「簡単にいえば、書庫かの」
書庫? と俺は聞き返した。
そもそもこの部屋には壁を覆う地図と、円卓ぐらいしかない。どこにも本など見当たらないのだ。
「聞き返すのも無理はないの、確かに、今は見ての通りのだだっ広い部屋じゃ。しかし、今から行う儀式によって、小僧が欲しがってる森の賢者殿の情報を集める事が出来る」
やけに自信満々とラミージュは言う。やはり、魔法を使うのだろうか。
「では、始めるとするかの」
そう言うと、ラミージュは華奢な自分の腕に刃を当てる。すると、紅い雫が刃先に集まり、ラミージュが置いていた羊皮紙の上に一滴垂らされる。
「問おう、うぬは何を知りたい?」
ラミージュは静かに質問する。表情は一変して静かで、別人に入れ替わったのではないかと疑いたくなるほどに落ち着き払っていた。
しかし、ラミージュの視線は自分の血が零れた羊皮紙のみに注がれる。
「森の賢者様について、です」
ランは、ラミージュの独り言に近い問いに答える。
すると、ラミージュの見ている羊皮紙に、紅い文字で『森の賢者』が浮かぶ。
「問おう、森の賢者について、何が知りたい?」
再び、独り言に近い問いが始まる。
「森の賢者って、どんなお方?」
と、今度はヨーンが答えた。
今度は羊皮紙に血そのものが文字を描き始める。まるで、羊皮紙の中で金魚か何かが泳いでるみたいだ。
ラミージュはその度に、血を一滴ずつ垂らす。
「問おう、『エント』の何が知りたい?」
静かな空間の中で、俺は意識を集中し、たったひとつの質問をした。
「エントは、どこにいますか」
途端、ラミージュが垂らす血が床の地図に向かって飛んだ。
血はまるで蜂のような姿であった。
そして、血は一点のところにぶつかり消える、後に残ったのは紅い染み跡。
「……うむ、儀式は完了じゃ。ご苦労じゃったな」
ラミージュは、どこか穏やかな表情で告げた。
その表情は姉か母親のような人を落ち着かせるものであった。
「今、何が起きたんだ? 儀式の内容は聞いていたけど」
「ラミージュ様によって『エント』の情報と場所を特定したんですよ」
と、明るく説明してくれるラン。
「そうじゃとも、この『エント』に関する情報はこれから必要になるからの、しっかりと覚えるのじゃぞ」
と、胸を張るラミージュ。
しかし、俺はこの儀式が始まる前から気になっていた疑問を、ぶつけずにはいられなかった。
「ラミージュさん、あんたはさっき、力を貸すつもりはない、ってきっぱり言ったくせに、どうして助けてくれるんだよ」
気まぐれなのか? それとも嘘か。真意は分からない。
見下ろす彼女の瞳に、俺だけが映る。
「知識は誰にでも平等に与えられるべきものじゃから、かの」
ラミージュは、悠々と答えた。
「儂は力を貸している訳ではない。ただ知識を与えているだけじゃ」
「でも、知識が身に付けば、それは力になるのと同じだ」
御主はバカか? と言われてしまった。
「知識は、所詮知っているというだけじゃ。知っていれば敵うものなど無い。例えば御主、セレラントを見たとき、どうじゃった?」
ラミージュは、ランとヨーンが話したセレラントの件について聞いてきた。
俺は初めて見たとき――ルンちゃんと出会った時の事を思い出す。
「怖かった、それに力が強い、見た目の割りにすばしっこかった」
俺は、あの日に思った事をなんの偽りなく告げた。
そう、とても怖かった。あれが野生の魔物なんだと全身で体感した。魔物が放つ気迫と殺気、きっとランやヨーンが側にいなければ、俺は身動き出来ないまま殺されていただろうと確信している。
俺一人が出来ることなど、きっと無い。
「そうじゃな、セレラントは大体そうじゃ、では、うぬが服従させたセレラントはどうじゃ?」
俺はすぐに、ルンちゃんの事を思い出す。記憶に沿って一つ一つ、はっきりと。
「最初こそ怖かった、けど結構生意気で、ランやヨーンに甘える、優しい猿だよ」
「ふむ、そこで聞きたい。セレラントとルンちゃんは同じか?」
「……違う」
全然、全く、違う。
俺が聞いたセレラントというのは、凶暴で、馬車を投げつける程の怪力で、森にも嫌われている厄介者だ。
一方ルンちゃんは、最初こそ恐ろしかったが、ランやヨーンの言うことを聞く奴だし、俺と毎日喧嘩はしているが、本気で殴ったりしてきたことはない。
ルンちゃんは、どちらかというと家族だ。
「そうじゃろ。所詮知識とは、人が作り出した集合的知識、良くある事柄を抜き取ったものに過ぎん。
最後の最後に物を言うのは、知識ではなく、その知識を扱う人じゃよ」
ラミージュは両手を使ってこの部屋全体を示す。
「この地図を見よ。人の知識が集まれば、ひとつの大陸などすぐに分かる。しかし見よ、知識とは常に変わるものじゃ、ここに載っているいくつかの島や国はもう無い。
つまり、常識などに縛られるな、ということじゃよ」
ラミージュは胸の前に腕を組んで、そういった。
そして、ラミージュという人がどんな風に知識を持ち、考えているのかを触れることが出来た気がする。
「結構、色々と考えてるんだな」
「まあの、魔法を扱う者として、この世の事柄を知り、変化していく世界に適応するのも、魔女の仕事じゃ」
気分屋で、自由人。でも、根はとても真面目な人で、ランやヨーンが慕う理由が、何となく分かった。
「唐真様、これを見て下さい。役に立つかも知れませんよ」
「トウマ、真面目に勉強しないとやられちゃうよ」
二人の女の子が、円卓で羊皮紙とにらめっこしていた。
俺も調べようと一歩出ると。
「愛娘を頼んだぞ、小僧」
と、優しい言葉に背を押された。
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