彼岸の向こうに楽園はあるか

俺は、死を覚悟した。

何故こうなったのか、何故そうなったのか、分からない。

けれど俺は、魔法に対する対抗手段を知らない。

俺は目を瞑り、歯を食い縛った。

「……な~んての」

不思議な力から解放された俺は、これもまたなんの抵抗も受け身もなく床に倒れる。

「……俺、死んでない?」

「死んではおらんよ」

と、金髪の女が可笑しそうに笑う。


「……死ぬかと思ったじゃないかッ!!」

「すまんすまん、ちとやり過ぎた」

片手を上げて反省の意を見せる謎の女。

全然伝わらないけどね!

「あんた、一体どこから入ったんだ!」

ただの冗談で人を金縛りにかけた謎の金髪に俺は睨みながら問う。足の震えが悟られていないことを願いつつ。

「我が家に戻る時、いちいち扉を通る必要があるのかの?」

流石謎の女、意味不明だ。

ていうか、我が家?

「う~ん、うるさいな。静かにしてよ、眠れないでしょ」

ヨーンがぼんやりとそんなことを言って目を開ける。ていうか逃げろ、危ないぞ。

「可愛いヨーン、目覚めたのかえ?」

「ん? ラミージュさん?」

ラミージュと呼ばれた女に気付いたヨーンは、女の方に向き直った。

もっとも、ソファーに寝そべったままだが。

どんだけ寝意地を張るんだよ……。

「お帰り、今回は遅かったね」

「すまんな、愛娘。国王殿からくだらん用件を頼まれての~、う~ん! やはり抱き心地抜群じゃ」

金髪女はヨーンのいるソファーに寄り、ヨーンに抱きついた。

「う~ん、苦しいよ」

「良いじゃろう少しくらい、儂らは家族見たいなものじゃ。可愛いヨーンこそ、遠慮しなくても良いのじゃぞ?」

「僕は、寝てる方が良い」

「ぬ~、そうケチケチしなくても良いじゃろ」

ヨーンを抱き寄せた金髪女は、少女の顔に自分の顔を寄せ、頬擦りを開始した。

金髪の方はだらしない感じの表情。ヨーンは苦しそうであるものの寝ぼけた表情は変わらない。

「そこもまた可愛いがのー!」

「……」

俺、完全にボッチだ。

さっきまであった緊張感はどこにいったのだろう。


「あ、あの、ラミージュさん」

「静かにせい、今儂は忙しいのじゃ」

「どこがだよッ! てかさっきまでの時間を返せ!」

「今帰りました。って、ラミージュ様!?」

丁度帰って来たラン。その声に反応した金髪女は、まるで野獣の様な視線をランに向けた。

「おおー! ランではないか! 会いたかったぞ!」

すると、魔女はランに抱きついていた。

「ラミージュ様、ちょっと、止めて下さい」

「良いではないか、ここ最近会えなかったのじゃし」

「最近って、1週間程ではありませんか!? あ、キャー!」

ランが悲鳴を上げる。一方魔女は、恍惚な表情を浮かべてランの自慢である尻尾を弄ぶ。

「う~む、この手触り、毎日手入れをしている証拠じゃの~」

「や、止めて下さい! 尻尾は駄目だと毎回言ってるではないですか!」

恥ずかしそうなランと、うっとりする魔女。

そして俺はついに、最終手段に出た。

「いい加減相手しろやー!」

思いっきりツッコミを入れる。

元の世界で漫才師が良くするあの物理的ツッコミだ。

彼女の金髪に触れた。とても気持ち良かったが、その感触に浸るつもりはない。

「ん? 何じゃ?」

「何じゃ? じゃねーよ!」

美女だからっていちいち許されるとは思うなよ!

無駄だと分かりつつも戦闘体制を取る。無論武道経験の無い俺だから拳を突き出す喧嘩の構えだ。

「お前が、ラミージュ何だよな。俺を呼び出した張本人っていうのは!」

俺は腹の底まで力を入れて言い放った。ここまでラミージュって呼ばれてたら流石に誰のことか分かる。

すると、流石に無視しきれないとでも思ったのか、ラミージュは渋々という風にこちらに振り返った。

「何じゃ小僧。儂の楽しみを奪って、年寄りは大切にと教わらなかったのか」

「大丈夫だ、あんたのテンションは年寄りのものじゃない」

いっそそのテンションを分けてもらいたいところだ。


はあ~、とため息をつく彼女だが、俺は無視した。いちいち構ってたら日が暮れそうだ。

するとラミージュは、さっき座っていた食卓に腰掛け挑発するように足を組む。

紅い瞳に腰まで伸びる金髪。みずみずしい唇に肌。ヨーンにも負けない長身で、足はすらりとしている。体には大きな果実が2つあり、無駄な肉などどこにもなかった。

女王、彼女を見て瞬時に思い浮かんだ単語。黙っていても、その威圧で人を従えられそうだ。

ラミージュは、億劫そうに尋ねる。

「御主、さっき儂が呼び出したとか言っておったの、ということは、じゃ」

ちらり、とランの方を見る女王様。ランは尻尾を振りながら、首を縦に振った。

「そうか、成功したか。まあ当然じゃがな」

まるで、生意気な子供みたいな態度のラミージュ。

しかし、この人をランとヨーンは慕っている。寝てるところを邪魔されたのに不機嫌にならないヨーン。自慢の尻尾を弄られはしたものの仕方ないという風に受け入れていたラン。

この傲慢そうな女のどこに尊敬の念を抱けるのか疑問だが、彼女達から見たら偉大な人なのだろう。

再度、ラミージュを睨む。

「なら、挨拶せねばの。儂はラミージュ・ランジェ。ハスパード王国を守護する『蜃気楼の魔女』じゃ。よろしくの」

自由な割りにそういったところはちゃんとしていて、少し驚いた。しかし突然金縛りを掛けるような奴である。何をするか分からない。

「俺は、吉原 唐真。よろしく」

警戒しつつ自己紹介を済ませる。信用して良いのか分からない。

挨拶が終わると、ラミージュはそれで? と話を割ってきた。

「今のところはどうなのじゃ?」

「今のところって、何が?」

「焦らすの~、もちろん愛娘の誤解が解けたかに決まっておろう」

ああー、それか。と俺は現状を報告した。

「まだ解けてない、今は準備中何だ」

「準備中? 何の準備じゃ?」

「私が説明します」

と、ランが俺とラミージュに小さくお辞儀をしたあと、俺の隣に移動して説明を開始した。

「私達は今、唐真様の提案で『動物園』を作ろうと頑張っているんですよ。そのために今、色々と準備をしているんです」

動物園というのはですね。と、ランは細かく丁寧に、ラミージュに説明した。

当の本人はデレデレ顔だが。

「つまり、じゃ。魔物と人とが触れあえる場所を作っているのじゃな?」

俺とランは強く頷いた。

そう、俺達はそこを目指している、魔物と人間とが分かり会える場所を。

俺は一歩前に出る。どうしても彼女に頼みたいことがあるから。

「ああ、そのために、力を貸してもらえないか」

「ふ~む……」

金髪の魔女は顎に指を添えて深く考え込む。

ここではいと返事をもらえなければ、一向に進まない。


「……可愛いラン、契約内容を教えてくれ」

「はい」

さっきまでとは違って、キリッとした表情でランから契約内容を聞く。

どんな態度をとっても、決して彼女の美しさは欠けることがない。そこには長年生きてきた者の風格と、美に対する情熱すら感じる。

「なるほど、誤解を解くまでか。小僧、最初に良いことを教えてやる」

良いこと? と俺はオウム返しした。

「そうじゃ、御主が儂の可愛い子犬とアザラシの誤解を解けば、御主はすぐにでも元の世界に帰れる」

ここに来て初めて、元の世界に帰る方法を知った。

あまりに突然だったため、その場で俺は口を開けて固まった。

「ほ、本当か?」

「本当じゃとも。そもそも契約とは、契約するものを縛るための道具に過ぎん。条件さえ満たしてしまえば、その効力はあっという間に無くなる」

そういうものじゃ。と締めくくる。

つまり、ラン達の誤解を解くことで、ラン達は幸せになり、俺もまた、平凡な日常に戻れると言うわけか。

突然知らされた元の世界に帰る方法を聞いて、腹の底から力が込み上げて来るような感覚を感じた。

ここでの暮らしも決して悪くはない、でも、残してきた人達の事を思うと、帰らなければという使命めいたものを考えてしまう。

「なおさら、力を貸してくれよ。あんただってランやヨーンの誤解が解けて欲しいと思ってるんだろう」

「まあの」

カラカラと笑うラミージュ。いちいち態度が豪華だな。

「しかし、力はまだ貸さぬよ」

「えっ!? 何でだよ!」

「まだと言っておるじゃろ、御主達が儂の条件を呑んでくれたら、力を貸そう」

両手の指を組んでラミージュは言った。

俺には、彼女の心意が分からない。助けてくれるのか、助けてくれないのか、それさえもはっきりとしていない。

彼女はまるで、ゲームでも始めるかのように俺を見てニヤっと笑い、ゆっくりと、ゲーム説明を始めるかの如く話す。


「なーに、御主にとっては一石二鳥な条件じゃ。最近、『森の賢者』殿の元気が無くての、元気付けて欲しいのじゃ」

「……それだけ?」

俺は拍子抜けした。勿体ぶっておきながらそれが条件とは。肩透かしを食らったように、俺の気持ちはまたも行き場を無くす。

「『森の賢者』様をですか!? それは無茶です!」

と、ランが吠えた。彼女にしては随分と取り乱していた。

「何、得る物は得れよう。何が不満なのじゃ?」

「だって、賢者様ですよ! 一歩間違えれば間違いなく死にます」

それを聞いた俺の体に電撃が走った。

今、何て言った。死ぬ?

「賢者殿はそこまで乱暴ではない。ちゃんと聞く耳はある。それに、この家を守ってくれているのも賢者様じゃぞ? 御主達の計画に必要だと儂は思うがの」

ラミージュは、意見を変えるつもりはないらしくにっこりと微笑む。

この人、美人に化けた悪魔か?


「良いか、賢者様を元気付けることが条件じゃ。それが達成するまで、儂は力を貸すつもりはない」

言いきった。まるで子供を突き放すかのように。

俺は、地に落ちた気分がした。また、命を賭ける事になるなんて、思わなかったのだから。

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