草むらに眠るアザラシ
森を抜けた所にある広大な平原。
空は晴れ渡り、草は日光を浴びて元気良く輝いている。遠くを見れば街や城などが見える。時折吹く風は気持ちが良い。
アルプスのハイジに出てきそうなこの平原に、日本の高校生が羊の集団を見張るという絵があった。
「と、何となく現実逃避っぽく考えては見たものの……」
暇だ。
羊の集団は銀色の少女の元に集まり、一匹ずつお手入れされていた。
ランから、「羊が逃げないか見張ってて下さい」なんて言われたが、逃げるどころかランに向かって羊の列が出来ていた。
「どんだけ礼儀正しい羊なんだよ……」
お手入れされている羊はというと、ランの手によって毛を整えられている。
とても幸せそうな表情をしている。悔しい程に。
暇ついでに羊の行列を数えてみたところ、大体100匹以上はいることが分かった。モコモコの集団はなおも列を乱さない。その光景は握手会で順番を待つお客に似てなくもなかった。
「……約束」
それは今から何分か前の事。 契約が成立した時の話である。
「契約って何?」
ランに尋ねる。するとランは呼吸を整えいつもの明るい笑顔で説明してくれた。
「契約というのはですね、儀式を行い、何らかの形で主との間に誓約を立てる事ですよ」
「でも」とランが申し訳なさそうに。
「ちゃんと伝えてから行うつもりだったんですよ、まさかあんな形で成立するものだとは知りませんでした」
ぺこり、と頭を下げるラン。尻尾も下がった。その姿は悪戯がばれて親に叱られた後の子供みたいだ。
「顔上げろよ、契約はともかく約束は守るし、それに、契約って約束とあんま変わらないんだろ」
正直、変わらないかどうか知らない。けれど、ランを悪く言われる事に腹が立ったのは本当だ。
誤解を解きたい、それが今の俺の目的である。
「私が唐真様を召喚した訳ではないので、良く分かりません」
「ランじゃなかったのか? なら、誰が呼んだんだよ」
「ラミージュ様という魔女です」
「魔女?」
魔女もいるのか、と俺は軽く驚く。まあ、鎧を平然と着てる奴がいたしいても可笑しくはないか。
「はい、何かと面倒を見てくれるお優しい人で、誤解を解きたい事を話したら、味方を呼んでくれると言って、地下で儀式をしてくださったんですよ」
「その魔女はどこに?」
「待つのが面倒、という事で王国に帰りました」
「おいおい……」
中途半端な魔女だな、ちゃんと最後まで見送れよ。
しかし、俺以外にもランの理解者がいたことには素直に嬉しかった。 会えたなら話してみたいな、あと元の世界に帰る方法も聞こう。
「でも、こうして唐真様がやって来たのですから、ラミージュ様には感謝しています」
純粋な笑顔を浮かべるラン。心の底から感謝しているのが伝わる程に眩しい笑顔だった。その可愛さに顔が熱くなるのを感じ、照れ臭くなった。
「ま、まだ何もやってないし、お礼とか早いよ」
「そうですか?」と小首を傾げるラン。
いちいち態度が可愛すぎる!!
「と、ところで、この家にはラン以外に住んでる人はいないのか」
顔が赤いことを悟られないため、新しい話題を振った。
「いますよ、よっちゃんって言います」
「よっちゃん?」
ペットか何かなのだろうか、俺はよっちゃんのイメージを想像する。
「そいつも魔物なのか?」
「はい、それに凄く可愛いんですよ」
「へぇー」
俺の頭の中に、愛玩動物が生成される。可愛いというのだから、うさぎみたいなものなのだろう。
「そろそろ時間ですね、唐真様も手伝ってくれませんか?」
「おう、何でも手伝うよ」
そして、今に至る。
「ああ~、暇だ」
ついに俺は見張りを放棄し、草の上で大の字になった。後ろには柔らかい草の感触、前はお日様の暖かい光り。まるでベッドに寝ているような心地だ。
「元の世界じゃこんなこと中々出来ないよな」
う~んと伸びをして、辺りを何となく見回す。空に、草むらに、羊に、岩に。
「……ん?」
草原に目が止まる、視線の先に奇妙な物体を発見する。
一見岩の様にも見えるが、良く見ると黒い斑点模様がある。
一応確認のため辺りの岩を見てみる、しかし、斑点があるのはさきほどの岩のみ。
「何だろう? 見てくるか」
興味本位でその岩に近づいてみることにした。
ランは羊の毛繕いに集中してるのでもちろん気付かない。
そして、岩の近くに到着する。
「これ、良く見ると岩じゃないよな」
丸かった。
普通岩とはゴツゴツしてるものだ。しかし、こっちでは丸い岩があるのかも知れないので断定出来ない。
奇妙だなと思いつつ、とりあえず観察することにした。
「うおっ、触ってみると柔らかい」
凄く柔らかくて、指に吸い付く様だった。適度に湿っていてその冷たさが気持ちいい。
「……湿ってる?」
良く考えれば、岩が湿ってるのはおかしい。雨が降ったかどうかは周りを見れば一目瞭然だ。何故この岩だけ湿っているのだろう。
「この岩、どうなってんだ?」
岩に対する疑問に頭が溢れ、ほんの観察程度に軽く蹴ってみる。
その時。
「う~ん、くすぐったいな」
岩が立ち上がった。何の比喩でもなく、文字通りに。
「えっ⁉ 嘘だろ!」
立ち上がった岩には顔があり、その顔は元の世界でもみたことがある動物……、
「何でアザラシが立つんだよ⁉ てか何でアザラシがこんなところにいるんだよ!」
混乱とツッコミの嵐が俺の頭を支配し、逃げるという選択肢を忘れさせた。
「ん? 枕がある」
そこで俺は、アザラシは皮で、それを被った少女に目を付けられ。
「おやすみ」
と言って、俺を抱きしめて眠った。
「……」
いや、いやいやいや‼ まずい、何か色々とまずい。
体に何か暖かいものが2つ押し付けられている。それに、体を強く抱きしめられているため息が出来ない。
最高とも言えるが最悪とも言える。
いや、三歩譲ればこれも悪く……。
「ってそうじゃない! ラン、ラン助けてッ~‼」
必死に助けを呼んだ。ここまで声を張り上げたのは人生初かも知れない。
「どうしました唐真様‼」
俺の助けを呼ぶ声を聞いてランがすぐさま駆けつけてくれた。
あー良かった、これで俺は天国、いや地獄? とりあえず抜け出せる。
「あ! よっちゃん」
……よっちゃん?
「ん、ランラン」
「よっちゃん、その人が苦しんでるから離してあげて」
「その人? 誰」
俺のこと本当に抱き枕だと思ってたのかよ!
心の中で全力にツッコんだ。どうやったらそう見えるんだ。
「その人、抱えてる人のこと」
「ん? あ、本当だ」
そこでようやく、俺はアザラシ女の手から解放された。
「ハァ、ハァ、……死ぬかと思った」
「ごめん、枕と勘違いした」
「俺のこと本当に抱き枕だと思ってたのかよ⁉」
言っちゃったよ、おい!
「てか、お前誰だよ」
「あ、私が紹介しますね」
アザラシ女の横に移動するラン。
「この子は、ヨーン・ローン。ローンというアザラシ族の女の子です。私の親友何ですよ」
ランは嬉しそうにアザラシ女ことヨーンを紹介する。
ランが言っていたよっちゃんというのは、アザラシ女、ヨーンのことだったのか。
海の様な青い眼、肩まで伸びた黒髪、膨らんだ胸。アザラシの皮をローブのように被った少女。
俺は早速、愛玩動物のよっちゃんから危険人物のよっちゃんにイメージを切り替えた。
「おはよう」
そういって、ヨーンは片手を上げる。良く見ると指と指の間に薄い膜がある。
「ヨーン、さん? それは」
「ヨーンで良いよ、これ? 水掻きだよ、これで海の中を泳ぐんだ」
俺より背が高いヨーンは、水掻きが見えやすい様に広げてくれた。
「……キレイだな」
透き通る程に透明で、その膜を通して見える景色もまた美しかった。
「ふふっ、そう言われると悪い気しないな」
寝ぼけ眼で微笑むヨーン。ランとは違う別の美しさがあった。
「えっと、名前何て言うの?」
「おっと悪い、俺の名前は吉原 唐真。よろしく」
「よろしく」
何やかんやあったけど、別に悪い奴ではなさそうなので安心した。
「そういえばラン、羊は良いのか?」
緊急事態だったとはいえ、ランの仕事を邪魔したことに悪いと感じた。心配で一応聞いてみると。
「大丈夫です、もう終わりましたから」
「……すげーなお前」
100匹以上をこの何分かで世話するって、俺には無理だな。
「よっちゃん、この人がね、私達の誤解を解いてくれるの手伝ってくれるって」
「……本当に?」
チラッと視線を俺に送るヨーン。しかしその目は、先程の寝ぼけたものではなかった。真剣そのもので何かを見分けようとするかのように鋭い。
「じゃあ君は、ランランや僕の事を助けてくれるってことかな?」
「助けるって言うよりは、誤解を解くだけなんだけどさ」
最も、この先の方針やら方法やら具体的なことは決まっていない。
「先に言うけど、ランランを悲しめるようなことしたら僕が許さないよ」
ヨーンの眼に強い意思が宿る。先程の眠たげな表情は一切無い。
確かめているんだ。俺がランのことを助けられるか。
俺はなんと無しにヨーンが気にかけていることを分かった気がする。今朝やって来た兵士の視線を思い起こす。あの差別的な視線を……。
だから、笑った。
「……何がおかしいの」
「はははっ、ごめん、何か嬉しくて」
「嬉しい? 何が」
俺はまだこの世界に来たばかりだが、ランに対する軽蔑の視線を忘れないでいた。
いや、本当は何も言い返せなかった俺自身の悔しさなのかもしれない。
けれど、なんというか。
「優しいんだな」
ん? と小首を傾げるヨーン。
「優しいから、俺のこと確かめてるんだろ。ランのことを傷つけないか」
「ふーん、分かってるじゃん」
ゆっくりとした口調の中に警戒の色が見え隠れする。
俺はありのままの気持ちを伝えることが正しいと思い、偽りの無い言葉を掛けた。
「大丈夫、俺はランやお前を悪くいう奴みたいなことは言わない。何も知らないまま悪く言うことはしない、だから、俺のこと見ててくれよ」
「見る?」
「おう、正直まだ解決策なんて考えてないんだ。だからランやヨーンにも手伝って欲しい。その中で決めて欲しい、駄目か?」
う~ん、と悩み始めるヨーン。
そこに、今まで口を閉ざしていたランが割って入る。
「唐真様は優しい人だと見ていて理解しています。だから、そんな事思ってるなんて私は思いません」
ランは尻尾を振った、右に左に。微笑む彼女が素直に可愛かった。
「う~ん、分かった、見てるよ」
そこでヨーンから返事がきた。
「ランランも信用してるし、僕もまあある程度信用するよ」
「ありがとう、ヨーン」
彼女達との間に、微かだが信頼のようなものが出来た気がする。
俺はヨーンに向かって微笑む。これから頼るであろう友達に。
「後さ」
と、ヨーンが付け加える。
「寝ていい?」
欠伸(あくび)をするヨーン。
返事を待つ気はないらしく再び横になって眠る。
「何か、色々と大変だな、俺」
ランやヨーンから期待されている。そしてその期待に答えたい。だが俺にそこまでの力があるだろうか……。
「大丈夫です、私達も手伝いますから」
ランはガッツポーズを決める。
やる気が伝わっていき、俺も頑張ろうという気になった。
「あー、よろしく、ラン」
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