彼にギターは弾けますか

ギターが欲しい。

 そう主人に言うと、鼻で笑われた。



「そんな反応ないと思います」

「お前の短絡的な思考にはヘドが出そうだよ。どうせモテたいとか、かっこよく見られたいとかそんな理由で始めるんだろう」

「偏見だ」

 主人は見た目はいいのにひどく口が悪い。黙っていれば美人なのになあ。といつも思う。

 たいていはどろどろの絵の具の海の中に横たわり、爆睡したりスナック菓子を食べてだらけていたりする。しかし今日はめずらしくまじめに絵を描いていた。

「大体お前はロボットなんだから、その手のソフトをインストールすればギターの音くらい出せるんじゃないか。ほら、MIDIデータで」

「どんだけ昔の形式だと思ってるんですか」

「不便だな」

 一人がけの椅子に座った主人は足を組み替える。スカートの中が見えかねないのでやめてほしい。部屋は薄暗い。主人はケチなので夜になるまで電灯をつけてくれない。



 マスコミや某ロボットメーカーのロビー活動によって、ある程度の「感情プログラム」を持つ機械の権利が守られるようになった。故意に傷つけようとすれば罪に問われるし、無理やり住む場所を追われることは(書類上は)なくなった。

 だが、「生きる」には制限がつきものだ。

 その一つの象徴が、僕であり彼女だった。



 主人は絵を描いて生計を立てている。若いのに学校にも行かずに。あののたくった絵が何百万になるのだから世の中って怖い。

 ちなみに僕は学校にまじめに通っている。何か間違っている気がするぞ。

「学校で、小論文の授業があったんですよ」

「ほう」

「趣味について、というテーマで、そういや僕、趣味ないな、と。だからギターを」

「ばかばかしい」

 全否定だ。主人は全否定が趣味なのかと思うくらい全否定をよくする。いっそ日本全否定チャンピオンに出て優勝すればいいのに。

 主人は絵の具で汚れた割烹着を、脱いで部屋の隅のゴミ箱に捨てた。

「そういう短絡的な回路は、男性特有のマッチョさを感じるぞ」

「僕は無性ですけどね」

「そんなことは知っている」

 じゃあ言うな。

 ちょっと解説すると、ロボット、というか人工知能にはM(男性系)、F(女性系)、N(無性あるいは複合)という3つの性別がある。これは人工知能のモデルである脳のつくりが女性と男性では微妙に違うからだ。

 ぼくは性別がニュートラルになるよう作られているのでNというわけ。意外かもしれないけど、Nを作るほうが難しいしお金もかかる。

「お前の考えは理解に苦しむよ。趣味など望んで作るものではないさ」

 主人はデッキブラシを持ってきて床を洗い始めた。それ僕の仕事ですけど。そういう気まぐれに掃除するの逆に混乱するからやめてほしい。

「でも」

「買うなとは言っていない」

 主人は鼻を鳴らした。

「お前の金だ。好きにするがいいさ」

 そう言われて、ぼくはアルバイトのお金を回路の中で計算してみる。ギターはすぐに買えるだろう。一番いいやつが。だがぼくの求めているものはそんなんじゃない。



 結局ぼくが買ってきたのはレトロなエレキギターだった。持って帰って試しに弦をはじいてみる。場所は主人のアトリエ。自室? そんなものはない。

「あっ、音が出ました」

「当たり前だろう。いちいち騒ぐな」

 主人は傲慢にも、本から目を上げない。人がこんなに喜んでいるのに。

「意外と音が小さいな」

「アンプっていうやつにつないで音を大きく変えるらしいですよ」

「どうしてあいまいな言い方なんだ。公式マニュアルデータをメモリにダウンロードしなかったのか」

「だからぼくの求めているものはそんなんじゃ」

「面倒なやつだ」

 主人は読み終わった本をぱたん、と閉じた。タイトルが英語の本だった。ほんとに読めているんだろうか。


「お前がギターがどうのと言い出したのには何かしら理由があるのだろう。例えば『心』に関して何か言われたとかな」


 ぼくは鉄面皮(文字通り)のままだった。

「なんのことですかね」

「お前本当に『心』が欲しいのか?」

「……どうだか」

 ぼくがはぐらかすと、目の前の人間は冷たいかんばせをいくらかゆがめて、吐き捨てた。

「お前に『心』を与えるなど、政府もばかばかしいことをするものだ。いいか、お前は兵器なんだぞ」

「そうですね」



 あらましはこうだ。

 かつて、無人戦闘機や無人兵士ロボットの存在が、非人道的だとやり玉にあがった。彼らは感情を持たなかった。無機質な「もの」が人を殺していくのに嫌悪感を覚える人は多かった。

 兵器会社は、それならば武器が感情を持てばいい、と考えた。彼らは兵器の人工知能をクラウド化し、そこに「感情」組み込む試みを始めた。ぼくはその人型端末の一つにすぎず、ぼくの一部は今もどこかで爆弾の雨を降らせていることだろう。

 主人の家にいるのは、彼女から「感情」を学ぶためだった。



「でも、『そう作られたから』そうなんです。じゃあ主人は、人間に生まれたことを疑問に思ったことはあるんですか」

「ある」

 ありゃ。

「……それはどういう気分ですかね」

 非常に気になる。

「お前には言いたくない」

 この人、なんでぼくを受け入れたんだろう。えらい人の頼みとはいえ。


「お前は人間になりたいのか?」


 自分が受けた質問に答えないまま質問を返すのは失礼だが、ぼくは優しく作られているので気にしない。

「そうじゃない。『理解したい』んですよ」

「わからんね」

 主人は首をこきこき鳴らした。命令されるまで、肩は揉んでやらない。主人は立ち上がり、空になったマグカップを持った。


「理解してしまったら、お前は機械ではいられないだろう、きっと」

 ……そんなもんかな。



 ギターが弾けるようになったら、学校の友達に聞いてもらおう。主人には絶対聞かせない。どんなもの弾いてもボロクソ言われるに決まってる。

 つけっぱなしのテレビでは、岩の砂漠で、爆弾の雨が降っている。それは悲しいことだ、と設定されている。友人や主人にとってもそうなのか、はまだ知らないんだ。

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