第14話 貫く決意

「坊主、無事か!」

「おっさん……」

 雄輝のもとにクライアスが駆け寄ってくる。


「くそ、なんだありゃ。神魔ってのは、あんなのも生み出せるのか」

 雄輝にではなく、ただ、自身の戸惑いをクライアスは口にする。今まで見たこともない存在にざわめく自身の心を落ち着かせるために。


 クライアスだって、現役だった頃は自身の身の丈の二倍はあろうかという魔物を斬り伏せたこともある。しかし、オデュポーンの体躯はそれを遥かに超えていた。

 初見であれば、その圧力だけで圧倒される。そんな魔獣を前に、クレアは一人互角に渡り合っていた。

 あれが、ずっと前線で戦ってきた者の覚悟なのだろう、と。そう感じるクライアスの右腕は強く痛んだ。


 ここ最近、雄輝の剣戟が重くなっていた。それを受け止めるだけで、クライアスの古傷は悲鳴を上げているのだ。


(これじゃ、加勢どころか足手まといだ)


 何か、自分にできることはないか。

 クライアスはそっちに思考を使っていたから、雄輝の様子に気付くには少し時間がかかった。


「坊主、どうした?」


 雄輝はずっと固まっていた。恐怖で動けないのかと最初は思ったが、どうやらそうではないらしい。

 現に瞳はらんらんと輝き、オデュポーンを注視している。ちょっとしたことでも見逃すまい、そういった強い意志が含まれていた。


「おっさん、ちょっと頼まれてくれない?」


 雄輝はようやく口を開く。その間も、顔は一切動かしていない。

「今、余裕ないから、瓦礫とか飛んできたら助けてほしい」

「何か企んでるのか」

 雄輝は小さく頷く。その様を見て、クライアスの心は決まる。

 腕の痛みが若干和らいだような気がした。


「ああ、任せておけ」

 自分にできることを。

 クライアスは久々に持つ真剣を手に、雄輝の視界を遮らないように前方に立った。


(くそっ、まだか)

 雄輝の額に冷たい汗がにじみ出る。極度の緊張、しかし、それが張り詰める度に雄輝の集中は高まっていく。


 オデュポーンの背中は前方に比べれば少ないものの、やはりいくつもの眼が周囲を見渡していた。そのうちの一つ、それが雄輝をじっと見つめているのだ。

 オデュポーンはその目を攻撃にも使っている。先程から、クレアが背中側にも攻勢をしかけている。そして、オデュポーンは彼女の魔法を瞳から放たれる光弾で撃ち落としている。


 そして、オデュポーンも余裕がないのか、ほとんどの瞳をクレアに向けだした。クレアが先程から何度か飛び上がろうとしている。それを阻止するためだ。


 それでも。

(まだ見てる。いい加減にしてくれよ)

 ジロリと、雄輝を見据えている瞳が一つ。


 覚悟は決めた。しかし、時が経てば経つほど想いはすり減っていく。

 今ならまだ走り出せる。だから、頼む。視線を外してくれ。雄輝は祈るように睨みつける。

 彼の心臓は、もうこれ以上はないほどに早く高鳴っている。破裂してしまったら、もう走れない。


 そんな時、ふっと雄輝を見ていた瞳が横にずれた。撃ち落とされていたクレアの魔法が、そこにまで届き出したのだ。

(あっ)

 今しかない。これを逃したら、今度こそ走り出せない。


 雄輝は力強く地面を蹴る。

 体があまりにも軽く、そのまま前に倒れそうになる。雄輝は構わずに前傾姿勢のまま、次の足を踏み出した。そのまま、勢いをつけたまま、前に。


(クレアッ!)


 強く彼女を呼ぶ。

『ユウキさんっ!』

 クレアの耳にそれが届いた刹那、彼女は左の指を鳴らした。あらかじめ仕込んでおいた術を発動させる。


 雄輝の視界の上方、そこに本来なら見えない足場が生まれる。


(遠いな、おい)


 足場は3つ。1つ目が、地上から5メートルほどの高さにある。雄輝にそんな人並み外れた跳躍ができる自信はもちろんない。

 しかし、右手に握ったままの剣から意思が流れ込んでくる。おまえならできる、と。クレアと同じ熱をもって。


 どちらにせよ、走り出したら止まれないのだ。

(ええい、何とかなってくれ!)

 雄輝は最初の一歩目を、強く踏み出した。


 1つ目。

 無事に届いたことに安堵する。しかし、休む暇はない。続けて一歩、上空に向けて跳ねる。


 2つ目。

 ここまで来ると、地面が遠い。高所恐怖症ではないが、それでも背中に冷たいものを感じる。


 3つ目。

 この足場に着くまでにオデュポーンの頭上が見えた。クレアの言った通り、朱く光る瞳が一つ。3つ目の足場は、計ったようにその真上にある。

 しかし、同時にオデュポーンの目と視線が合ってしまう。気づかれた。オデュポーンは雄輝を撃ち落とそうと力を溜める。


「其は罪人を刈る鎌っ」


 クレアは両腕を振り上げる。

 自分から意識が離れたオデュポーンの顔を挟むように、魔力の刃を叩きつけた。一瞬だが、オデュポーンの動きが止まる。


 同時に雄輝の体に重さが戻る。クレアがかけていた術の効果が切れたのだ。


 問題ない。あとは落ちるだけ。

「行くぞっ!」

 自身を奮い立たせるために雄輝は叫ぶ。


 雄輝は剣を両手で握りしめ、朱い瞳めがけて落下した。全体重をかけて、手にした未知なる天命で瞳を貫く。


 感じたのは確かな手応え。そして、脳まで突き通る断末魔の悲鳴。その音に、雄輝の疲労が一気に増幅される。

 彼の意識は、そのまま遠くなっていった。



「ユウキさん、ユウキさん」

 次に雄輝の耳に聞こえてきたのは、クレアの呼びかけだった。

「……あれ?」

 気絶していたのか、と雄輝の意識がはっきりする前にクレアは彼に抱きついた。

 同時に巻き起こる歓喜の声。

「すごいな、あんな化物倒すなんて」

「本当に勇者なんだな」

 気を失って運ばれたベッドの上で、雄輝達は結構な人数に囲まれていた。


「良かった、本当に良かった」

 感激の涙を流すクレア。まだうまく頭の回っていない雄輝は、彼女が鎧を着ていなければよかったな、と場にそぐわぬことを考えていた。


 それと同時に、どうしても頭にひっかかっていることが雄輝にはあった。

 まだ雄輝の意識がはっきりしていた時、その意識はオデュポーンの悲鳴でかき消されるのだが一つだけ意味のある言葉が聞こえてきたのだ。


 それがどうしても気になる。


――イヤダ、オワリタクナイ……。


(「死にたくない」じゃなくて、「終わりたくない」?)

 その疑問も、徐々に湧き上がってきた高揚感の中に消えていった。


 雄輝がその言葉を再び思い出すのは、まだ先の話である。

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