第13話 呪いの大蛇
オデュポーンの一際大きな瞳が怪しく輝く。
「!?」
クレアの蒼い瞳に禍々しい朱が映った瞬間、彼女は右手を大きく横に振る。
その動きに合わせるように、彼女の無垢なる翼が広がった。
強制召喚。
準備に要する時間が足りない時に召喚装具を引っ張り出す所業。体の負担は大きいが致し方ない。
クレアは首筋に走る痛みに耐えながら、魔力による術の構築を開始する。
行使する魔法は三種類。それを一言の詠唱で発動させるのだ。
クレアの体中を魔力が駆け巡る。
クレアの反応は早かった。それでも、予測した時間までに準備が整うか。滞り無くてもぎりぎりといったところだ。
間に合うか、いや、必ず間に合わせないといけない。
なぜなら、オデュポーンの瞳が見ているものはクレアではなく、
(あとは、心を繋げば……)
彼女の右手後方で、ようやく体勢を立て直しつつある雄輝なのだから。
赤い瞳が発した閃光が周囲を飲み込む。クレアの魔法が完成したのは、それとほぼ同時であった。
「其は枷なき旅人っ!」
右腕に血液を押し流すような奔流を感じたクレアは、それをそのまま掌から発する。
「おおっ!?」
事態が飲み込めていない雄輝は、クレアの魔法によって声だけ残して弾き飛ばされていた。その声も、即座に起きた爆音でかき消される。
周囲は閃光と、急に舞い上がった土埃で何も見えない。事態に気付いた衛兵が駆け寄ってくるも、何が起きたのか分からずに立ち尽くしていた。
「ググッ」
オデュポーンが悔しそうに呻く。
視界が開けた時、そこにあったのは大地に刻まれた爪痕。雄輝がいたところが大きく抉られ、隕石でも落ちたかのような穴が空いている。
オデュポーンの眼は見つめる相手を焼き殺す呪いを放つ。それを最大の出力で撃ってきたのだ。
「はぁ、はぁ」
クレアは荒れた息を整えることもなく、ただ一人オデュポーンに正対している。石つぶてで切った皮膚から、朱い血がにじんでいた。
無理をしたせいか、右腕を少し動かすとズキリと痛みが走った。それでも、まだ体は十分に動く。
クレアは眼前の黒い巨躯を恐れず睨みつけた。
(間違いない。こいつはユウキさんを狙っている)
本来、西の山に陣取っているはずのオデュポーンが街まで攻め込んできた。想定外の事態に頭が追いついていなかったが、オデュポーンが雄輝を亡き者にしようとした事実で合点がいった。
神魔も雄輝の存在を知ったのだ。おそらく、彼が土人形をほふった、あの時に。
それで、神魔は現状出せるカードの最高手をうってきたのだ。
「欲を言えば、もう少し余裕が欲しかったですね」
クレアは愚痴るが、その声色に悲壮感はない。きっと、この難局は問題なく対処できる。
自信は繋いだ心から、流れ込む暖かさから生まれてくる。
「其は断罪の白槍。悪しき思いを穿てっ!」
雄輝に向かっって体を動かそうとしたオデュポーンの瞳を一つ狙って、クレアは魔力の槍を投げる。思惑通り、口の下に開いた目に命中する。
オデュポーンは痛みを感じた様子は見せなかったが、クレアが続けて攻めると体を震わせて苛立っていた。
「いい子だから、こっちだけ見てなさいっ!」
クレアは注意を自分に向けるように画策していた。このまま攻撃を続けても、オデュポーンに傷はつかないことは分かっている。それでも、オデュポーンが持つ呪いの力を自分にだけ集中させたかった。
道はきっと、虹色の刃が拓いてくれる。
一方、弾き飛ばされた格好となった雄輝はクレアとオデュポーンの激しい攻防を離れたところから見つめていた。
結構な衝撃で飛ばされたと思ったが、地面に叩きつけられることはなく、体に痛みはない。立ち上がろうとすると、バランスを崩して前のめりになった。
ふわふわと、重心が安定しない。クレアが何か魔法をかけたかもしれない、と雄輝が思い至った時、急に耳元で声が聞こえてきた。
『ユウキさん、お怪我はないですか?』
クレアの声だ。この感覚に、雄輝は覚えがある。
教室に現れた彼女が使っていた心話の術だ。確か、クレアに伝えようと思うだけで会話ができたはずだと雄輝は思い出す。
(俺は何とも無いけど、おまえはこんなことしてて大丈夫なのかよ)
雄輝の声が本当に大丈夫そうで、クレアは安堵していた。オデュポーンと戦っているというのに、笑みをこぼすほどに。
クレアが案じたのは、雄輝の体ではなく心の方だ。良い意味でも悪い意味でも慣れてきた雄輝は、魔物の存在に怯えていた頃より大分図太くなっている。
『あ、だいじょぶそうですね。私は平気ですよ、慣れてますから』
ちょうど、クレアがオデュポーンの朱い光を受け止めていた。気を抜けば、そのまま貫かれそうな閃光をクレアは上空に弾き返す。続けざまに、オデュポーンは呪いを撃ってくるが、クレアはその尽くを白刃で撃ち落としていた。
雄輝にも分かる。その一つ一つが必殺の攻めだ。そんな命を削った戦いをしているはずのに、クレアの飛ばしてくる声に危機感は薄い。
(軽いな、おまえ)
おそらく、雄輝を安心させる為にわざとそうしているのだろうと彼は察したが、その軽さに救われているのも事実ではある。
気を抜けば、足が震えてきそうだ。実際、雄輝の手は尋常ではないほどに汗をかいている。
『ユウキさんこそ、体は軽くありませんか?』
(これ、やっぱりおまえのせいか。やたらフワフワして気持ち悪いんだが)
『そんな変な魔法じゃないですよ。私、いつも使っていますし』
――クレア、優雅に飛んでるように見えただろ? あれ、必死に空を走っているだけなんだぜ。
雄輝の脳裏に、クライアスの言葉が蘇ってきた。
クレアがいつも使っていて、体が軽くなる魔法。それは、彼女が「必死に空を走っている」時に使っているものと一緒ではないかと雄輝は思い至る。
なぜ、そんな魔法を自分にかけたのだろうか。それを考える間もなく、クレアが驚きの一言を発してきた。
『ユウキさん、空からこいつの脳天に一撃お願いします』
(……はい?)
何を言っているのか、雄輝には本当に分からなかった。
『あれ、聞こえてませんか?』
(いや、聞こえてるよ。なんだよ、脳天一撃って)
あまりにも俗っぽい言い回しがクレアの声で聞こえてきたものだから、雄輝の言語処理が追いついていなかった。
『そのまんまですよ。頭の上に常に朱い瞳があって、そこが弱点なんですけれど……うん、今の私からは見えません。だから、ユウキさんに飛んでほしいんです』
(飛ぶって、俺が?)
オデュポーンも自らの弱点をさらけ出すことなんてしない。離れた位置の雄輝から見ても、オデュポーンの巨体の頭上など判別できない。地上からでは難しい。
だから、空からとでも言うのだろうか。雄輝は眉根を寄せる。
『足場は私が用意するので、お願いします。目玉、と言ってもけっこうな堅さなんですけど、未知なる天命なら貫けるはずですから』
雄輝は未知なる天命を握りしめる。
雄輝は自身の血が冷たくなっていくのを感じる。極度の緊張から、説明を続けているクレアの声が徐々に遠ざかっていく。
(俺にそれができるっていうのか?)
それは自身への問いかけだった。しかし、無意識に誰かに聞きたかったのだろう。届ける意思はなくとも、クレアの元にその言葉は届いた。
心話では珍しく、独り言のような呟きにクレアは一瞬険しい顔を見せる。また間違えてはいないだろうか、自身に問いかける。
それでも、クレアの雄輝に対する思いは一つであった。
オデュポーンの口に青い弾丸を指から撃ち込みつつ、クレアはただただ己の本心そのままの言葉を引っ張り出した。
『だいじょぶですよ、ユウキさんなら。私は信じています』
「……よしっ」
我ながら単純だと自嘲するも、雄輝の心は決まった。
クレアの一切の汚れなき期待が、彼の心を揺さぶった。やり通せる自信などないというのに、クレアができるというのであれば本当にできる気になってくる。
(あいつがこっち見なくなった時に合図すれば良いんだな?)
雄輝の意思が固まる。その言葉がクレアの心に届いた時、交戦中だというのに彼女の顔に笑みが浮かんだ。
『お願いします』
クレアは意識を戦闘に集中させた。
想像するのは白杖。人に仇なす存在を打ち砕く鉄槌。
「其は祈りの杖。拒むは黒き野心」
クレアは攻撃の手を緩めない。
雄輝のために、少しでも注意を引きつけたかった。
ただでさえ、恐怖心に震えている雄輝。そして、少しでも気を緩めたら機会を逃しそう、そんな強迫観念が彼の鼓動をさらに早める。
「だいじょぶ、だいじょぶ。俺ならできる」
雄輝はクレアの口調を真似しながら、ざわざわとうごめく心を鎮めようとする。そんな雄輝を、オデュポーンは背後にある瞳でしっかりと見据えていた。
「まだ見てる、まだだ、まだダメだ」
焦る気持ちを抑えつけ、生まれる恐れにふたをして。
雄輝は手にした剣を強く握りしめた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます