第12話 襲いくる悪意
シルヴァランドで過ごす濃密な時間は、その全てが雄輝にとって未体験で、異常な経験値を心身にもたらしていた。
クレアのおかげで肉体的な疲労は少なく、クライアスの指摘した恐ろしい筋肉痛は襲ってこなかった。しかし、疲弊した精神はなかなか平常時に戻ってこず、元の世界ではどこかふわふわとした時間を過ごす。
シルヴァランドでは偶然、近くに出没した神魔の魔獣に襲われかけて情けなくも再びクレアに助けてもらったり、前線から怪我をして戻ってきた兵士の痛々しい姿を目撃してしまったりしている。色々と気を引き締めている分、元の世界に戻る度に気分が浮き上がってしまうのだ。
さらに日常に味気なさを感じつつも、同時に味が薄まった分だけ新しい味に気付くこともある。失ってはいけないものと思える、その感覚が雄輝には不思議だった。
そうした自身の変化を自覚しているのは雄輝くらいで、親も不審に思わなかったぐらいだから周囲には知られていない。
(まぁ、いつもボンヤリしてるしな)
日常の自分を省みつつ、焦点の定まらない学校生活を送って、放課後になると予定がなければ神社の箱に飛び込んだ。
箱を出しっぱなしにしている副作用か、どうやら二つの世界を結ぶ道が安定してきたようですんなりと通ることができる。さらに、時間のズレも少なくなってきて、一日経てばシルヴァランドでも一日経っていることがほとんどだ。
もう、今か今かとクレアが雄輝を待ち構えることもない。
雄輝がシルヴァランドに到着すると、いつもクレアが笑顔で待ってくれていて――どうやら、彼が箱に飛び込んだことを術者の彼女は分かるらしく、いつも先回りしている――、雄輝は毎度真っ直ぐに見られなくて顔を背ける。
色々と慣れてはきたが、彼女の真っ直ぐに向けてくる感情には未だに慣れることはない。
そんなこんなで、クライアスとの特訓もそこそこにこなせるようになった。疲労感は変わらずだが、初回に比べて雄輝の動きはかなり改善されている。
先程も、クライアスの鋭い突きを体のひねりだけでかわして、次撃を距離をとりつつ手にした『未知なる天命』でさばいていた。
「おっ、なかなかやるじゃないか」
そのとっさの判断に素直に感嘆するクライアス。
「ほ、ほんと?」
彼がにかっと歯を見せると、疲れの溜まった体がじわっと軽くなるのを雄輝は感じた。
(何か、あんな感じで避けた方が良いと思ったんだけど……当たってたな)
今日は動きが違うことを雄輝自身も感じていた。
もしかしたら、手にした剣の声が聞こえたのかもしれない、と雄輝は思う。「召喚装具の声を聞く」なんて聞いた時には首を傾げたものだ。
しかし、今はなんとなく馴染んできたように思う。ちぐはぐだった体の動きに、しっかりとした芯ができた感覚だ。
体中に充満する感覚。これを充実感とか達成感というのだろうかと雄輝は天を見上げた。
(体育会系の連中が言うこと、意味分からなかったけど)
スポーツをしている者の練習の成果が、自分の動きであるとか試合の結果だとか、喜びや楽しさと共に感じる感覚。これは悪くない、と雄輝には思えた。
パチパチパチ、と手を叩く音が聞こえる。
横目で見ると、明らかに目を輝かしているクレアがそこにいた。今日は仕事はなく、ずっと雄輝の応援をするために近くにいた。
大げさな拍手に、雄輝は恥ずかしくなってすぐに顔をそらした。
雄輝の初々しい反応に、クライアスはしばらく顔を見ていない我が子を思い出して微笑む。
もう少し王都周辺が落ち着いたら会いに行こうと思っていた。もしかしたら、その時は意外と早く来るかもしれない。雄輝の成長を見て、クライアスはそう感じた。
「そういや、土くれ一個倒したんだって?」
「いや、あれ倒したっていうより剣を振ったら倒れたっていうか」
クライアスが土くれ、と呼んでいるのは神魔が送り込んだ魔術師が操っていた土人形のことだ。意思のない怪物で、王都周辺に出没したのを魔術師共々クレアが退治した。
しかし、一体取り逃してしまい町に侵入したところにクレアを待っていた雄輝が遭遇。町の衛兵が交戦しているところに無我夢中で割り込んで、『未知なる天命』を振るった。
クレアとの戦闘ですでに負っていたダメージも手伝って一撃で、それこそただの土くれに戻った土人形。あまりの呆気なさに呆然としていた雄輝だったが、周囲の歓声で我に返った。
あの時の高揚感を、雄輝は一生忘れないだろう。
「大事なのは剣を振れたってことだ。それはその剣が異物ではなく、おまえの武器になってくれたってことだからな。そうじゃなかったら、まず実戦で振れはしない」
「な、なるほど」
クライアスが真面目な調子で言うものだから、雄輝もついかしこまって頷いてしまった。
「あとは実戦で磨かないとな。クレアと相談してこい、今後については」
「……わかった」
クライアスから事実上のお墨付きをもらって、雄輝は緊張気味に答えた。急に本格的な話になって体が堅くなる。
慣れてはきたものの、まだ化物と相対する自信は雄輝にはない。覚悟も本当の意味で足りない。
ただ、雄輝には一つだけ確かなものがある。
振り返ると、何がそんなに嬉しいのか分からないが、にこにこと笑っているクレアがこちらを見ていた。
(あいつが泣くのだけは、なんか嫌だな)
校舎裏で見た、クレアの涙だけは二度と見たくない。雄輝はそう思っていた。
「さて、どうするか」
雄輝は手にした『未知なる天命』にそれとなく訪ねてみる。もちろん、答えはない。
しかし、ぼんやりと背中を押すような暖かさを感じる。
(やれってか。やれんのかね、俺に)
ふぅ、と大きく息を吐いて観念した心持ちでクレアに近づいていく。クライアスはその背中をにやにやしながら見つめていた。
「あ、あのさ……えっ」
意を決して雄輝がクレアに話しかけた時、悪寒が雄輝の背中を走った。ものすごく嫌な感じが足元から浮かび上がってくる。
「嘘、これって」
その違和感は、クレアも同時に感じ取っていた。瞬時に腰をあげる。
間に合うか、間に合わないかの瀬戸際であったが、クレアの気付いてからの初動が早かった。
「ユウキさん!」
そして、すぐさま雄輝の腰を目掛けて飛び込んだ。そのまま、雄輝を抱えて奥の地面に倒れ込む。
視界が揺れる。その中で、雄輝は轟音と共に天に向かって伸びていく漆黒の巨木を目にした。
「つっ」
背中を打った痛みで雄輝は声をもらす。クレアはすぐに立ち上がって、雄輝を庇うように立っていた。
その先、雄輝がさっきまで立っていた場所には大きな穴が空き、そこから倒れる時に見えた黒い物体が生え、高くそびえ立っていた。
そのまま立っていたら、あの黒い何かに突き上げられていただろう。その事実は雄輝の血の気を引かせるのには十分であった。
その時、巨木に切れ込みが入る。そして、開いた。それも、何箇所も。
「気持ち悪っ」
それは眼だ。人間の顔ほどもある眼が、次々に開いていく。そして、一番上まで開いた時に巨木の先端が二人に向かって曲がった。
そこで初めて雄輝は気付いた。これは大きな蛇のような怪物だ、と。
その怪物の頭にあたる部分に開いた一際大きな眼が、二人を覗き込むように見下ろしている。
クレアは、視線を尖らせる。雄輝が最初に会った頃、集落が魔物に襲われた時にしていた、あの鋭い目つきで怪物を見上げている。
「神魔七柱の一、オデュポーン。なんで、ここに……」
クレアの声を聞いて、オデュポーンは大きく口を開く。全身が闇を思わせる黒なのに、そこだけが鮮やかに赤かった。
縦に開いた眼は爛々と輝き、横に割けた口は体の動きに合わせて揺れ動く。
まるで、こちらを嘲笑っているかのようで雄輝には気分が悪かった。
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