第11話 もの思う夜に
――ごめんなさい。私が、私が失敗さえしなければ……。
顔を伏せた少女の目から、止めどなく涙がこぼれていた。
彼女から送り込まれる治癒の力によって、痛みが遠ざかる。覚醒していた意識が次第に安寧に飲まれていく。ただ、その混濁した記憶の中でも、彼女の声だけはくっきりと浮かび上がっていた。
「ん?」
クライアスの意識がゆっくりと浮かび上がってくる。窓辺で酒を飲んでいたのだが、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
ぐっ、と背筋を伸ばすために両手を上げる。しかし、ピリッとした痛みが走ったのを感じてすぐに下ろした。
「ん~、やっぱり完全にはよくならないか」
長袖をまくって、右腕を露出させる。その上腕部は、肩側と肘側で色が違っている。その境目は、まるで輪のようにくっきりと刻み込まれていた。
「まっ、がっつり切り落とされたんだ。普通に使えるようになっただけ御の字だな」
クライアスは数ヶ月前までは前線に立っていた。神魔軍の侵攻を食い止めるべく奮戦するも、このように右上腕に消えない傷跡が残してしまったのだ。
武器を振るおうとすると、痛みが邪魔をしてくる。雄輝は初心者だから気づけなかったが、戦場では命取りになるレベルで動きが鈍くなってしまう。
剣術指南の役を要請された時は、渋々ではあったが了承した。自分のせいで、仲間を危険にさらす可能性を考えれば、納得できた。
ただ、どうしてもとクライアスの心中はすっきりしない。家族を妻の実家に避難させて、それこそ命を賭す覚悟で神魔軍に相対していたものだから、未だに前線で戦っている者達に後ろめたさを感じてしまうのだ。
考えだせば、ぐるぐると自分では解決したと思っていた問題がクライアスの頭を巡る。こうなると、良い気分とは言い辛い気持ちが心を占めてくるのだ。
「もう寝ちまうか」
片付けながら、先程の夢を思う。頭に浮かぶのは命を救ってくれた恩人が、救えなかったものを全て背負い込んで潰れてしまいそうになっている姿だった。
夢には、王都近くに出現した神魔軍の侵攻に対抗した時の景色が映っていた。クライアスは、今でも鮮明に思い出すことができる。神魔達の本当の恐ろしさを知った瞬間であり、まさしく悪夢であった。
最初は優勢だった。しかし、新手が出現したのと同時に状況が一変する。その中にどうしても対抗できない相手が現れたのだ。
彼が軽く手を振る度に、面白いように吹き飛ばされた。何かしらの魔法だったのだが、手も足も出なかった。後から思い出せば、あれが『色の相性』というものだったのだろう。自分が吹き飛ばされた攻撃に対して仲間は微動だにせず、しかし、続く別の敵兵が呪文を唱えるだけで彼はクライアスの視界の外に弾き飛ばされた。
近づく敵影に抗うことができず、鋭利な刃をかわそうとするも間に合わず、右腕で体をかばった。痛みを感じるよりも早く、自分の腕が飛ばされる光景が目に入る。そして、敵兵の第二撃。
ああ、ここまでかと振り下ろされる刃を見つめていたクライアスの視界を純白の翼が覆った。
――其は破滅呼ぶ風。蒼き嵐をここにっ!
クライアスに襲いかかっていた敵の体を白刃で打ちのめすと同時に、集めていた魔力を前方の集団にぶつけた。彼女が放った魔法は蒼く輝く無数の刃となって戦場で暴れ狂う。その荒々しさとは裏腹に、繊細な動きを見せて仲間には一切傷をつけていない。
次々に倒れていく神魔軍の魔物達。頭に登ってきた痛みに耐えながら、クライアスはそんな光景を眺めていた。
ふと、右側に暖かな熱を感じる。
そちらを見れば、切り落とされた腕を必死にくっつけようと、翼を目いっぱいに広げつつ、全開で魔力を送り込んでいる少女の姿があった。
桃色の長い髪は乱れ、息も絶え絶えになっている。目尻に涙をためながらも、歯を食いしばって彼女は呪文を唱え続ける。まるで、自らの命を削り出すように。
少女は史上最年少で魔法に関する王都の守護者として選ばれた。その名は、クレアルージュ・シアンフィールド。
クレアが駆けた戦場は、彼女一人の登場によって一気に戦況が好転したのだった。
「クレアルージュ、ここにありってな。努力が実ったわけだ」
ある日、預言者は告げた。神魔の復活と、それを撃ち破る勇者が現れることを。誰も真剣に聞いていなかった。しかし、幼いクレアは予言を信じた。蒼い瞳を輝かせて、彼女は周囲に言ったのだ。
――神魔が現れたって、だいじょぶだよ。私がみんなを護るからね。
世にも珍しい白の召喚装具を持って生まれた少女は、自らの運命を悟って、自分が勇者になると誇らしげに語ったのだ。そして、魔法を行使することにより偏りが生まれるところを、彼女は白に保ったままでここまでやってきた。その努力は想像を絶するだろう、とクライアスは思う。
神魔の魔獣を圧倒する力を持つ彼女はきっと神魔を討つことができるだろう。しかし……。
「何だって、ああも背負い込むかね」
神魔が復活して半年、そこからの彼女の背中は常に悲壮感を漂わせていた。表情は陰り、日常を過ごしている時もどこか焦りを感じている、そんな様子だった。
「いくら強かろうが、女の子一人に俺達は背負わせすぎていないかね」
自分を戒めるように、クライアスは呟く。
クライアスにとって、クレアは命の恩人であるが、それ以上に彼女のことを幼い頃から顔を知っている存在だ。母親を早くに流行病で亡くし、クライアスの上官であった父親も任務中の事故で命を失った。天涯孤独となった少女はそれでも、周囲に笑顔を振りまいていた。
彼女の父親に恩を感じているクライアスは彼女を助けようと色々世話を焼いた。クレアには彼の息子が懐いていたこともあって、彼女はよく面倒を見てくれていた。
そんな彼女を知っているから、神魔に対する彼女の表情にいつも危うさを感じてしまうのである。
「しかも、また無茶してきたっぽいし」
クレアの左手を思い出しながらクライアスは大きく息を吐いた。
「相変わらず、自分の怪我治すのは苦手なんだな」
クレアの治癒は二種類。本来持っている力を増幅させるものと、相手に自分の力を分け与えるもの。クライアスを救ってくれたのは後者であるが、他者にしか使えない。そして、前者も自分で背伸びをするようなものだから術者本人には効き目が薄いのだ。
あとから聞いた話だが、クライアスが雄輝に稽古をつけていた間に神魔軍に襲撃された集落があったらしい。被害は少なかったのは、恐らくクレアのおかげなのだろう。
その時に負った怪我(報告によれば火傷の類)が、傷跡として残ってしまったのだろう。クレアは雄輝にだけは見せないように立ち回っていたから、クライアスにはしっかりと見えてしまった。
生々しい火傷跡に胸が苦しくなった。
傷跡は消えるのだろう。これまでも彼女は傷を負う度に表面上は消してきた。
しかし、同時に傷ついた心はどれほど痛めつけられてきたのだろう、と思うと戦場に立てない自分をクライアスは恨めしく思うのだ。
しかし、だ。今の自分にも彼女にしてあげられることがあるとクライアスは心中で頷く。
「頼まれたからには一人前にしてやらねぇと」
クライアスはクレアが連れてきた少年、雄輝の顔を思い出す。
「どう見たって素人だから、逃げ出さないかだけ心配だな。まぁ、また顔を見せるんなら、それだけで見込みがあるか」
雄輝の相手は面倒ではあったが意外と楽しかった。
何の基礎もできていない、そもそも訓練なんて無縁な体をしていたから不安ではあったが、彼自身思うところがあったのか心の土台はしっかりしていた。
そこに、クライアスが教えることが、ゆっくりとではあるが着実に積み重なっていく。その様を見ていくのは、新鮮で興味深かったとクライアスは振り返る。
寝床に横になったクライアスの閉じた瞼に映るもの。
――ユウキさんに剣を教えてあげてください。だいじょぶです、許可はもうもらってますから。
それは、久しく見ていなかったクレアの心から湧き出てきた笑顔。少女は、自分が勇者になると語っていた、あの頃と同じように瞳を輝かせていた。
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