第10話 無垢なる翼

 クライアスはクレアの召喚装具、無垢なる翼についてこう語った。

 曰く、それは鳥の羽根にあらず。持ち主の心中深くに存在する魔力を表層に引き出し、外の世界に表出させる為の装置なのだと。


「クレア、優雅に飛んでるように見えただろ? あれ、必死に空を走っているだけなんだぜ」

「なにそれ」

 わざとおどけた言い方をするクライアス。それに愛想笑いを返せるぐらいには雄輝の体力が戻っていた。

 クライアスが言うには彼女の翼に空を飛ぶ機能はついておらず、自身の重量変化と空中に作った足場を駆使して移動しているのだそうだ。

 それならばクレアの力を借りて跳ねる練習をすれば自分も彼女のように飛べるようになるのだろうか、と雄輝はそんな自分を想像する。

 ちょっとだけ、雄輝は楽しくなった。同時に、自分にもまだそんな童心があったのかと驚く。


 空は何よりも自由だ、という想いが雄輝の中にある。

 こうして色々あったが、結局クレアの望み通りの行動をしている雄輝。その根幹には出会った時のクレアの姿がある。純白の翼を広げる彼女は物語の天使のようで、亡者を屠る姿は神話の神様のようだった。

 つまり、そんなクレアの姿に憧れを抱いてしまったのだから仕方がない。クレアのように飛べるのなら、やってみたいと思ってしまうのも仕方のないことなのだ。


 そうして、クライアスは興が乗ったのか次々と話していく。聞いてもいないクレアの個人情報を話しだした時は、さすがに雄輝は戸惑った。

「白ってのは、どの色にもなれる可能性があるんだ。そのおかげで、神魔の連中とクレアだけは互角以上に戦える」

 そして、ようやく雄輝の疑問の核心に届く話が始まった。

「ただ、クレアの『無垢なる翼』はずっと真っ白なままなんだよな。普通は他の色に染めちまったほうが楽なのに」


 真っ白なまま。染めてしまったほうが楽。


 そのキーワードは雄輝が当初クレアに抱いた疑念と概ね一致している。やはり、心を表す色が『無垢なる翼』のように真っ白なのは無理があるのだ。

「染まったらどうなるのさ」

 話を膨らませるために、雄輝は疑問をクライアスにぶつける。

「別にどうにもならんぞ。色なんて、あんまり召喚装具の性能に関係がないんだ。それこそ、神魔なんて蘇らなきゃ俺も自分の色なんて意識してなかったぞ……ん?」

 なめらかに話していたクライアスの口が急に重たくなる。顔を曇りだした。

「あー、そうか、うーん」

 なにかが彼の心の地雷を踏んでしまったのか、クライアスはしばし険しい顔で虚空を見つめていた。しかし、すぐに笑顔を取り戻し、雄輝に向かいなおる。

「坊主、俺の召喚装具は何だと思う?」

 あまり上手ではない話題の切り替え。これ以上、話したくない。クライアスの態度から雄輝はそんな気持ちを感じ取った。

 ここで、自分の聞きたい話に戻すコミュニケーション能力も相手の心の地雷原をずんずんと進む図々しさも雄輝には足りていない。

「おっさん。そんなの、ノーヒントで答えろってのは無理だって」

 結果、曖昧に返事をする選択肢しか残されていなかった。そんな雄輝にクライアスはにやにやと笑っている。

 その表情は若いというよりは子どもみたいだ、と雄輝は思う。


 クライアスの召喚装具。剣術指南役なんて職についているのだから、何かしらの武具だろうか。剣、いや斧なども似合いそうだ。

 そんなことを雄輝が想像していると、クライアスの口から驚くべき答えが出てきた。

「包丁だよ」

「ほうちょう?」

 思わず雄輝は言い返す。眼の前の屈強な男が包丁を握っている姿を想像した、が、あまりの似合わなさに雄輝は吹き出してしまう。

「銘は『健やかなる息吹』。毒とか人が食べられない要素を消してくれるから、現役の時は重宝したぜ。まぁ、味の保証はしないがな」

 ガハハ、と豪快に笑う彼に愛想笑いを返す雄輝だったが一つだけ引っかかっていた。


 現役の時、つまりは今は引退しているということだ。手合わせしていた雄輝には分からないほどにクライアスの動きは力強かったが、それでも前線からは退くほどの力量なのか。

 当然のことなのだが、この国の戦士と自分との違いに雄輝は頭が痛くなる。本当に、クレアが望むように戦えるようになるのだろうか、と。


 敵の姿を思い出すと、雄輝は自分の手が震えていることに気付く。覚悟したつもりだったが、何もかも足りないようだ。


「終わりましたか?」

 いつの間に戻ってきたのか、クレアが二人に声をかけた。彼女の言葉で震えが止まる手を見つめたまま、何て単純なんだろうと雄輝は自虐的に笑った。

 そんな雄輝の様子に、クレアは不思議そうに首を傾げた。

「おう、今日のところはここまでだな。でも、明日はできないか。坊主の体、動かす度にバッキバキに痛むようになるぞ」

「え、そうなの?」

 クライアスの一言に反応して、雄輝は顔をあげた。ここまで厳しい運動を雄輝はしたことがない。確かに筋肉痛とは無縁の人生を送ってきたから、その痛みというものは想像できないのだが、そんなに痛いものなのだろうか。


「ユウキさん、だいじょぶですよ。私が回復を早めておきますから」

 クレアが胸を張る。彼女の魔法はそこまでできるのか、と雄輝は素直に感心する。

 ゲームで言えば、回復系の魔法と攻撃系の魔法は相容れないものというのが相場であるが、彼女は両方を同レベルで使いこなせるということか。雄輝は昔の記憶から、賢者という職業を思い出した。

「それとも、こっちにいる間はあちらの時間も経過しませんし、私の家で少しお休みになりますか?」

「ムリムリムリムリ、帰る帰る。だから、魔法だけで頼む」

 クレアの誘いを雄輝は即突っぱねる。彼の首を横に振る頭の動きが早すぎて残像が見えるほどだ。

「そんなに嫌がらなくてもいいじゃないですか」

 クレアは見るからに落ち込んでいた。確かに雄輝自身も断り方が不自然であることは自覚していたが、ありがとうと素直には受け取りづらかった。


(こいつ、あの話のあとでよく自宅に誘えるな)

 あの話、とはクレアの雑談の中にあった彼女の生活についてだ。宮殿近くに家をもらったが、一人だから持て余していると彼女は言っていた。家をもらう、という言葉に食いついた雄輝に「私、意外と偉いんですよ」とクレアは胸を張っていた。

 つまり、先程の誘いはクレアが一人で住んでいる家に雄輝を招待した格好になる。クレアの言動は親切心からだということは理解しているが、家に誘うという意味を必要以上に深く読んでしまうほどには、雄輝は思春期だった。


 そんなやりとりをする二人をクライアスは微笑ましく見つめていた。

「じゃあな、坊主。頭の中だけでいいから復習しとけよ」

 しかし、視点はクレアの左手から動かない。彼女は気づかれないように上手く隠しているが、歴戦の戦士であるクライアスの目はごまかせなかった。

 それをクライアスは口に出さない。なぜなら……、彼女が隠したがっている相手は雄輝だということに気付いていたからだ。


(そういうのも言えるようになるといいな、クレア)

 記憶に焼き付いている顔と違う、クレアの柔らかな表情に安堵しつつ、クライアスは彼女の未来を案じていた。

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