第7話 勇者、誕生

 夜は嫌いだ。明けないことを想像してしまうから。


 クレアは自宅近くの森で、星をじっと眺めていた。眠れない時は、よくこうして散歩に来る。

「あ、光った」

 暗く、沈み込む気持ちを流れ星が癒やしてくれた。そうだ、まだ希望はあるとクレアは己に言い聞かせる。

「だいじょぶ、だいじょぶ。私は今度こそ間違えない」

 夜空に向かって呟くのも、これで何度目だろうか。誰にも聞こえることのない声は、闇の中へ消えていった。


 幾度も間違いを重ねて、今日までやってきた。その度に自身を省みて、今度に活かしていくのだ。

 ただ、今回ばかりは反省ばかりで改善点が見当たらない。

「う~ん、ちょっとは落ち着いてきましたか?」

 クレアは自分自身に聞いてみるが、答えは帰ってこない。


 昨日の彼女は明らかに浮かれていた。

 苦労の末に探し出した世界を渡る術。失敗を繰り返して、ようやく光明に辿り着いた。観月雄輝という異界の少年は、まさしく光だった。

 クレアははっきりと見たのだ。彼女に備わった、可能性を見通す蒼い瞳で。彼の心は、クレアが今まで見たこともない色で輝いていた。

「綺麗だったな」

 クレアは、ぼそっと口に出した。

 しかし、希望と同時に思い出すのは彼の絶望の表情だ。


 幼いころ、想定外の出来事にとてつもなく弱かったことをクレアは思い出す。そうなった時に慌てふためくのが嫌で、先の先の、そのまた一歩先まで考え尽くして行動する癖がついていた。

 その姿勢が功を奏して、どんな難儀なことも対処できるようになっていた。ただ、本質はそう簡単に変わるものではなかったようだ。

「想定外の出来事に弱いのは、相変わらずなんですもの」

 クレアは久々に、あの頃の感覚を思い出した。


 本当は連れ戻すつもりで、クレアは元の世界に戻った彼に会いにいったのだ。それなのに、いざ彼の前に立つと何も言葉が思いつかず、心から溢れ出てくる感情に任せるしかなくなってしまった。

 そうして、結局、何もできずに逃げ出したのが今のクレアである。雄輝が自分が逃げ出したことを悪く言っていたが、自分こそ本当の臆病者だとクレアは思っていた。

「だいじょぶ。だいじょぶ。今度こそ、うまくできるから」

 もう一度、励ますようにクレアは自身に語りかける。弱々しいが返事が聞こえた気がする。

 これなら、また彼の前に立てるかもしれないとクレアは安堵した。


「……あれ」

 ここで、クレアは自分が、とてつもなく大きな失態をしでかしたかもしれないことに気付く。


 異界渡りの法。試した限り異界にいる間は、元の世界の時間が進むことはない。しかし、元の世界にいる間は異界の時間はどうなってるんだろう。

「分からない」

 それは経験していない。ざわざわと揺れ始めた心を、クレアは必死に抑えながら思考を続ける。

「もし、時間軸がとてつもなくずれていたとしたら」

 次に異界へ渡った時、そこはもう雄輝の生きる時間ではないのかもしれない。そうなったら、彼とはもう二度と会うことはできないのだと、クレアは自身の至った結論の意味に震え上がった。


「其は無垢なる翼」

 月が、純白の翼を優しく照らし出す。

 彼女が呼び出すのは、生まれつきクレアに備わった相棒だ。普段はクレアの精神と一緒に心の中に住んでいるが、彼女の呼びかけに応じて力を貸してくれる。その『無垢なる翼』がクレアを応援してくれる。

 おかげで、冷静さを取り戻した。

「我の祈りに応え、我が進む道を示せ」

 羽の一枚一枚に力がこもる。

 考えてみれば、異界渡りの法で同じ世界を目指すのも初めての経験であったがクレアはそこまで考えつかない。ただ、再び雄輝に会いたいという気持ちだけが彼女を動かしていた。

「我は心を汝に託し、汝は我に力を託す」

 両手の指を絡める。クレアの想像する景色に、はっきりと雄輝が生きる世界が映りだす。彼女の周囲に浮かんでいる力、その行く先を知らずにさまよっている者達を集めて、クレアははっきりとした形を作っていく。


「想いをここに、我を導く灯となれっ!」

 締めの言葉とともに、魔力は結実し、クレアの眼前に見覚えのある宝箱となって現れた。


 成功に安心することなく、クレアは駆け寄って箱に手をかけた。そして、見た目よりも軽い感触のそれを勢い良く開け放った。

 同時に、視界が黒いものに遮られた。

「……?」

 刹那、何かがクレアの鼻にぶつかった。突然のことに防御が追いつかず、そのまま後ろに跳ね飛ばされる。

「つぅ!?」

 すぐに体勢を立て直したものの、衝撃でクレアの視界に火花が散っている。おさえた鼻が熱を持って赤くなっていた。

「もう、何なんですか、いきなり」

 痛みが治まり、視界が開けた時、クレアは言葉を失った。


「それは俺の台詞だ! もう少し、排出の勢いを抑えてくれっての」

 なぜなら、そこにはもう会えないかもしれないと思っていた雄輝の姿があったからだ。立ち直ったクレアとは違い、未だに痛がって地面に転がっていた。

「何で顔面がそんなに硬いんだ。おまえは」

 雄輝は頭頂部をおさえている。そこで自己主張するこぶが衝撃の強さを物語っている。


「なんで」

 呆然とするクレアに、ようやくまともな思考を取り戻した雄輝は深くため息を吐いた。緊張をごまかすために、彼はクレアから視線をそらして鼻をならした。

「別に、ちょっとした気まぐれだよ」



 クレアの予想した通り、シルヴァランドと雄輝のいる世界では時間軸がずれていた。しかし、それは雄輝の時代でなくなるほど大きなものではなかったのだ。

 7日間。雄輝はクレアと別れてから、一週間を悶々とした状態で過ごしていた。

 3日は体が拒否して、神社に向かうことすらできなかった。覚悟を決めたのは4日目だ。ただ、恐る恐る神社に向かってはみたものの宝箱の姿を視認できなかった。あれは夢だったと思い込もうとしたのは5日目。しかし、忘れようにも忘れることができずに残り2日間は時間が空く度に、神社に向かって入り口を探すことを繰り返していた。

 ようやく、宝箱を発見できた時、雄輝の心を満たしていたのは恐怖よりも喜びだった。



「なんで」

 クレアはもう一度、疑問を口にする。その言葉に続くのは、なんでここにいるの、ではなく、なんでそんなに輝いているの、だった。

 彼の心の輝きは、最初に見たときよりも強く、クレアの持っていた憂いを吹き飛ばすほどであった。


 彼女の視線の意味に気づいていない雄輝は居心地の悪さに頭をかく。

「だから、気まぐれだって」

 本当はクレアのことを夢に見るほどだったということは、さすがに彼女に伝えることはできない。雄輝はふぅ、と大きく息を吐いて彼女に向き合った。


「おまえは俺が何かできるって、今でも思ってるんだろ?」

 雄輝の問いかけにクレアはただただ頷いた。

「だったら、何ができるのか教えろよ。それを、聞いてからでも、止めるのは遅くないだろ」


「……はい。よろしくおねがいします、ユウキさん」

 クレアの目に涙が光っている。冷たい涙は、もう経験したくないほどに流している。

 しかし、クレアはこの涙に、何度でも味わいたい暖かさを感じ取っていた。

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