第6話 想いの重さ
「おまえ、こっちに来てて大丈夫なのかよ」
放課後、今は使われなくなった焼却炉の側はひっそりと静まり返っていた。部活動に勤しむ生徒の声がグランドから聞こえてくる。
目を閉じれば、雄輝の網膜にはシルヴァランドでの出来事が焼き付いている。だから、口調はぶっきらぼうではあるものの心配は確かなものだった。
あの時、クレアがいなければ町は壊滅していたであろう。
「ご心配は無用です。こちらとあちらでは時間の流れが一致してませんから」
向こうに戻ってもほとんど時間は経ってないはずです、とクレアは言う。
そういえば雄輝がこちらに戻った時も時間の経過は少なかった。元の世界を離れている間は、時間が進まないのだろうとクレアは結論づけている。
桃色の髪が風に揺れていた。ひらひらとしたスカートといった細部に施された少女らしい意匠と、金属製の上半身を保護する鎧といった騎士らしい勇ましさの融合。彼女の装束は非常に悪目立ちした。
背景の校舎の方が間違いである気がしてくる。それぐらい、だめな方向に浮いてしまっていた。雄輝にしか見えないのだから問題はないんだろう。
だが、彼の精神的な健康にはよろしくなかった。彼女がまとった戦闘用の衣装も、雄輝にとっては血の匂いを思い出させる要因でしかない。
「それなら、まぁ、いいのか」
雄輝はいまだに続く吐き気に苦しんでいた。
全てが幻想の内なら、どれほど気が楽になるであろう。しかし、もうクレアの存在は否定できないし、シルヴァランドを夢だと言い張ることもできない。
雄輝は雄輝なりに覚悟を決めて彼女に向き合っている。
「それで、かっこ悪く逃げ出した俺に何の用だよ」
雄輝は自虐に口端を歪め、力ない視線をクレアに向ける。語調を強めるも、どこか弱々しい。
後ろめたさとか、罪悪感とか、ごちゃごちゃと心の中でうごめいている。自分にも制御できない感情が雄輝を襲っていた。こんな複雑な気持ちは生涯感じたことがない。
いつも、大きな感情の動きから逃げていた。今回はそれとは違い、外界が半ば強制的に雄輝の心を揺さぶってきた。その中心にいるのが眼前の少女、クレアルージュ・シアンフィールドだ。
心底、戦うクレアを『美しい』と感じてしまったからこそ、その光に照らされて雄輝の暗い部分が浮き彫りになっている。
雄輝は恐る恐る視界を上げていく。
ここに二人きりになってから、彼は無意識にクレアと目を合わせないでいた。彼女の強い輝きに対する恐怖心がそうさせていた。
しかし、眩しさに備えて見た彼女の顔は……影が強く、暗く淀んでいたのだった。
「ただ、謝りたくて」
泣くのをこらえているかのような表情で、こちらをじっと見るクレアに雄輝は戸惑った。
「ユウキさん、ごめんなさい」
その謝罪と同時に、涙の代わりに言葉が決壊した。
「私、知っていた。ユウキさんにとって、シルヴァランドが危険なところだって。それなのに、舞い上がって何も見えていなかった」
堅苦しかった敬語を使う余裕がないのか、クレアは年相応の幼さを感じさせる物言いで続けていく。
「分かってたのに……、あいつらと初めて戦ったときのこと、覚えてるのに。ユウキさんにとっては、今回がそうなのに、私は何も考えていなかった!」
声が荒くなる。クレアの初めて見せる表情は憤り、それは自分自身に向けられていた。
ここまでくると、雄輝はただ呆気にとられてしまって、気づけば吐き気は治まっていた。そして、同時に疑問に思う。
観月雄輝は、彼女にまずい対応をここまで後悔させる存在なのだろうかと。
荒げた息を、一つ二つ息を吐いてクレアは整えていく。乱れた佇まいは、みるみるうちに回復していく。
まるで、感情を吐露した時間などなかったかのように、彼女は凛として雄輝の前に立っている。
「ユウキさんにシルヴァランドを知ってもらえれば、きっと一緒に救いたくなるって思ってたんです。貴方の事情を少しも考えていなくて。本当にごめんなさい。でも……」
断ち切ろうとするが、なかなか切れない未練に引きずられて彼女は言葉を濁した。
一回、自分の心に向けて彼女は頷く。そして、満面の笑みを添えてこう言った。
「本音を言えば、もっとシルヴァランドの良いところを見てほしかったです。嫌な思い出として、残ってほしくなかったから」
クレアはそれだけ告げて、白い羽を展開する。
「ちょ、ちょっと待てって」
このまま別れるのは、さすがにバツが悪い。そう思って、言いたいことだけ言って雄輝の前から消えようとするクレアを呼び止めた。
しかし、言葉が続かない。
「あー、なんだ」
対人関係をあまり考えずに育ったツケだろう、こういった時に本音を口にすることも相手が望む答えを言うことも上手くできない。
ただ、クレアの悲しい顔だけは見たくないとだけは強く思った。その感情の根っこにあるものを、雄輝は分からなかったが。
「そんなに悪くなかったぞ。観光なら、行ってもいい」
「ふふふ」
何とか絞り出した言葉はどことなく間抜けだった。ぎこちない彼の様子に、クレアはおかしくなって吹き出す。
その様子に、雄輝は少し安堵を覚える。
「ユウキさんが手伝ってくれたら、すぐにでも観光できるようになりますよ」
「うっ」
幾分堅さもとれて、さきほどまであんなに悔やんでいたくせに再び勧誘を始めている。ただ、その言い方は冗談めいていて本気の想いは感じない。
「あ、あのな。俺なんていなくても、おまえ一人でなんとかなるだろうっ」
本音だ。
少なくとも、あのような非常な出来事で自分ができることがあるなんて雄輝には思えない。そこまで彼の世界に思い入れはないし、現状行こうと思っても足がすくんで動けない。今は治まった吐き気も再びもよおすだろう。
しかし、クレアなら――あの純白の羽で舞う姿には希望を感じて――きっと何とかできると思えた。
「ふふ」
また、声がもれた。しかし、今度はおかしいというよりも、どこか遠くに思いを馳せているようだった。
クレアが見せたのは、憂いだ。その表情に、雄輝の鼓動はちょっとだけ早くなった。
「私ではダメだったから」
彼女がそう口にすると同時に風が舞い、土埃が踊った。無意識に顔を背けると、次の瞬間には彼女の姿は消え去っていた。
「何だよ、結局言いたいことだけ言いやがって」
その苛立ちは誰に向けてか。声に出した思いとは別の思いが、雄輝の心を支配している。
それは自分自身への叱咤。なぜ、すぐに彼女を手伝うと言えなかったのか。
彼女はもう二度と会えない覚悟でここに来たのだろうが、それこそ間違いだ。雄輝はどうにかしてクレアを助けることができないかと、教室内でクレアと心を繋いで話をしている時から、今に至るまでずっと考えているのだ。
体が拒否するから、どうしようもできなかったのだが。
「どうすっかな……」
その思いの対処の仕方を雄輝は思いつかない。まだ、整理するには時間が必要だった。もし、思いに従って選択するにしても、恐怖に対する覚悟も、度胸も、雄輝には全く足りていないのだ。
積極的に関わろうとする自分が信じられない。悩むことすら放棄してきたというのに、自ら悩みの種をまいてしまっている。
その根源にあるもの、それはまず出会いから始まっている。端的に言えば、クレアから雄輝にかけられた無条件の期待だ。
あれだけ真っ直ぐに『貴方ならできる』という想いを向けられた経験が雄輝にはない。最近は、自分自身ですら諦めてしまっていた。
だから、とてつもなく新鮮で、今から思えば、とても素直に彼女の言うことを聞いていた。
ただ、それだけなら化物に対する恐怖で全てが霧散するだろう。それを押し固めているものが、雄輝の中にあった。
「あいつ、また言ってたな」
――私ではダメだったから。
教室で、彼女がまず答えた呟き。待ち構えていない雄輝の中に飛び込んできた一言。
その短さに比例しない重さが、空っぽだった雄輝の心にずっしりとのしかかっていた。
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