第5話 心話の魔法

「……」

 社会の先生が何やら語っているが、何も耳に入ってこない。思考は遠く、眠っているわけでもないのに夢を見ているようだ。

 退屈だと感じていた日常に心地よさを覚えるほどに、雄輝の心は安寧に揺れていた。シルヴァランドでの出来事が強烈過ぎて、現状との差が大きすぎて精神が戻ってこない。


 町で骸骨に襲われた後、逃げるように箱の中へ飛び込んだ。

 異形の者に対する恐怖、流れ出る鮮血から生まれた明確な死のイメージ。あの一瞬で飛び込んできた様々な感情は、雄輝の生きている間に体験はできなかったであろう。


 不思議なことに、こちらの世界はほとんど時間が経過していなかった。浦島太郎とは逆の気分を今は味わっている。結構長い時間、シルヴァランドにいたはずなのだが。

 そんな感じでまだ低い位置にいる太陽を見ながら、神社で呆けているところをおせっかいな同級生に見つかり、無理やり学校に連行された。自主的に遅刻したことが前にもあったから、彼女はそれを懸念したのだろう。

 確かに最初はサボる気でいたが、逆にもうそんな気持ちも起こらないほど精神的に疲弊していた。


(夢、じゃないよな)

 クレアの魔法が効いていたのか制服に汚れはない。だが、ふと自分の左手を見ると朱い跡が残っていた。

 それが自分を助けてくれた時に飛び散ったオードの血だと気づいたとき、雄輝は生々しい記憶に吐き気を覚えた。慌てて拭い取ったのは言うまでもない。

(逃げてしまったけど、本当に良かったのか)

 初めて出会った時のクレアの表情を思い出す。

 安堵や緊張の裏に、心の底から嬉しいという感情が隠れていたように思える。もし、犬であれば尻尾をガンガンに振っていただろう。雄輝の周囲をクルクルと動き回る彼女に、そんな印象を覚えた。

 彼女はこの世界を救ってほしいと言っていた。今なら分かる。あの世界は脅威にさらされていて、彼女は助けを求めていた。

 ただ、なぜそれが自分なのか。そもそも助けが必要なのか。雄輝にはそれが分からない。


(綺麗、だったな)


 命の危険がなくなれば素直にそう思える。戦っている時のクレアは美しかった。命なき兵とは対象的に、力強いのに繊細で凛々しく輝いている。

 それに対して自分はどうだろうか。こんな、何の危機も感じられない世界で何もせずに生きている。

 彼女の姿を思い出す度に、自分が情けなくさえ思えてくるのだ。


(なぁ、クレア。何で俺に世界を救ってほしいなんて言ったんだ?)

 蒼い瞳を思い出しながら、心の中で雄輝は呟いた。


『私ではダメだったから、ですね』

「ぶっ」

 耳元で囁かれた解答に、反射的に吹き出した。慌てて視線を上げて周囲を見渡す。

『こんにちは~』

 窓の外、白い羽を広げて彼女がにこやかにこちらに微笑んでいた。

 雄輝は驚きの声を飲み込んだ。すでに隣の生徒が訝しげにこちらを見ている。クレアの姿は自分にしか見えていない。ここで叫んだりしたら、すでにクラスで浮いた存在である雄輝は、今日からめでたく変人の異名をもらってしまうことになる。

(なんで、あいつの声が聴こえるんだ!?)

『ごめんなさい、勝手に繋いじゃいました。お声がけが難しそうだったので。ご心配なく、話そうとする内容しか聞こえてきませんから』

 言われてみると、頭の右隅に何か淀みのようなものを感じる。どうやらクレアの思考が直接流れ込んでいるらしい。

 方法は選んでいるが、授業中に話しかけてくるのは時と場所をわきまえているのか、いないのか。心配ないと彼女は言うが、思っていることがクレアに伝わっているという状況は非常に不快だ。

 こういうのが当たり前だと思っている人間に、道徳観の共有はできないとあきらめているので追求はしないが。


(さっき、おまえ勝手に答えたけどな)

 体だけノートに向き直して、彼女との会話を続けていく。無視しても、今の状況なら勝手に彼女は話し続けるだろう。

『繋いだ瞬間に聞かれたので答えたんですよ。私も驚いたんですよ、いきなりクレアって言われましたから』

 なるほど、容疑者は現着したばかりということか。彼女の返答に矛盾点は見つからない。

 しかし、クレアが雄輝の思考を盗み見ている可能性を否定できない。相手に聞こうとすること以外彼女に伝わっていないことを、どうすれば実証できるだろうか。


「……」

 試しにクレアの方を見て、思春期男子の妄想をぶつけてみる。


 しばらくの間、クレアはにこにこして視線を交わしていたが沈黙に耐えられなくなったのか身振り手振りを加えて話しだした。

『急に黙ってこちらを見てどうしたんですか? 何か言いたいのであれば強く思っていただければ届きますよ』

 その様子から、彼女には一切伝わっていないことを知って雄輝は心の底から安堵した。やってみたはいいけれど、実際に伝わってしまったらどうするつもりだったのかと自分に問う。


 答えは出ない。

 とりあえず、軽率な行動はとらないようにしようと雄輝は自分を戒めるのであった。

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