第4話 悪しき者の影

 眼前から我を忘れて押し寄せる人の波。背後の気配に怯え、クレアの姿は目に入っていない。

 流れに逆らってクレアは駆ける。一人一人の足を止めぬように、迫る人影を最小限の動きでかわしながら。その蒼い瞳には行くべき道が映し出されている。

 その道の先に待ち構えている者も、クレアは予想できていた。

(でも、なんでこの町に?)

 予想できていなかったのは、その一点。そう、この町には『敵』は現れるはずがなかったのだ。

 だからこそ、事情をあまり飲み込めていない雄輝を案内すると決めたのだから。


 しかし、現実に脅威は訪れた。

「だいじょぶ、だいじょぶ。間違えさえしなければ」

 自らに言い聞かせるように呟く。動揺する弱気に蓋をして、クレアはただ邪気を振り払うイメージを固めていく。群衆に飛び込む際にしまいこんだ純白の翼を再び展開する。その右手に白い輝きを集め、自らの意思で形を作っていく。


 流れが途絶えた。開けた視界に映るのは、町を護るために剣を振るう衛兵達と奥にうごめく無数の悪意。

「其は汚れなき氷刃」

 まずは一つ。今まさに、斬りかかろうとしている悪鬼と衛兵の間に飛び込んで、右手を振るった。

「白き断罪の鎌となれ!」



 クレアが去ってから、雄輝は何もできずに立ち尽くしていた。

 事態が飲み込めず、たださらに強くなった鐘の音に嫌悪感を示す。その音が良くないことを告げているののだということだけは、本能が察していた。

 すると、右腕に強い痛みがはしると同時に力強く体ごと引っこ抜かれた。

「バカ!何ボーっと立ってんだ。向こうに隠れるぞっ」

 痛みの方向を見上げると、オードが余裕のない顔で雄輝の体を持ち上げていた。あまりの腕力に雄輝はされるがままに引きづられていく。

 色々と言いたいことはあるのだが、雄輝にも余裕がない。

 ただ何もわからない状態で、出会ったばかりの雄輝を導いてくれるオードの存在はありがたかった。だから、思考が戻ってからはオードが走る方向へ体を向けたのだ。

「グ……」

 その視線の先に、おかしなものが映ったのとオードのうめき声が聞こえたのはほぼ同時だった。


「坊主、ちょっと離れてろ!」

 雄輝は勢いそのまま右手側に投げ飛ばされる。

「つぅ」

 背中を強く打った。だが、先程見えた影が気になって大人しく痛がっていられない。

 すぐに体勢を整えると、オードの方を見やった。

「えっ」

 言葉に詰まる。

 こちらの世界に来てから、驚くことは何度もあった。目の前に広がっている光景は、今度こそ雄輝の思考が追いつかないものだ。


 カラカラカラと何かがきしむ音がする。

 その空っぽの目は、ただオードをじっと見つめていた。手にしている曲刀に朱い何かが滴っている。それが、オードの血なのだという事実を雄輝が気づくまでに時間がかかった。

 骸骨兵――ただ剣を振るうことに特化した亡者がオードに再び斬りかかろうとしていた。


「ガアアアアアッ!!」

 オードは全力で吠えた。獣の叫びが周囲を揺るがし、見ているものを怯ませる。

 しかし、恐怖のない骸骨兵は意に介さずに剣を振り上げる。しかし、そんなことはオードにも分かっている。

 ただ、自分の勇気を奮い立たせるために吠えたのだ。

「なめんな、この骨野郎っ!」

 体ごと、骸骨兵にぶつかっていった。その勢いにたまらず吹き飛ばされた敵影はレンガの壁に衝突する。その衝撃で、その体は粉々に砕け散ってしまった。


「ちっ、敵さん。魔道士もいるのかよ」

 オードは左肩を抑えてうずくまった。ようやく雄輝は足が動くようになって、彼の元へ駆け寄った。

「あんた、大丈夫か」

 近づいた雄輝は再度固まってしまった。

 彼の毛並みを朱く染める血液。その傷跡に雄輝は目眩を覚えた。

 日常では見ることのない、深い刀傷。現実的な死の気配に雄輝の鼓動はどんどん早くなっていく。

「ちょっとドジったな。転移の魔法を使われちゃ隠れる場所はないぞ」

 オードは痛みに顔をしかめながら、周囲に視線を配る。状況は悪くなったが、希望の道を探すために気を使った。

 その視界に青い顔をして立っている雄輝が映った時、オードの目つきが鋭くなった。

「やべっ、避けろっ!」


「えっ?」

 その声に振り返る。

 空虚な目が勇気を見下ろしていた。その刃を陽の光に輝かせながら。


「させませんっ」

 確実な死は少女の声によってかき消された。

 迫っていた刃は力無く地面に落ちる。肩口から切り落とされて、そして、返す刃で今度はその頭蓋が吹き飛ばされた。

 開けた視界の前にいたのはクレアだ。その右手に白く輝く剣を手に、険しかった顔つきが安堵の表情に崩れていく。

「良かった、ご無事でしたか」

「ああ、うん」

 呆けたように返事をする雄輝と対象的に、クレアは本当に嬉しそうに笑っていた。鬼気迫る表情とのギャップに、否応なく自身との違いを突きつけられる。

 彼女の背後に物言わぬ骸に戻った骸骨兵が何体も転がっていた。それも全て彼女が一瞬の間に振り払ったものだ。

「転移先を指定しておいて良かったです。もう少し、お待ち下さいね、ユウキさん」

 雄輝を安心させようというのだろう、クレアは出来る限り平静を装って彼に笑いかけた。それほどに雄輝の顔色は悪くなっていたのだ。


 仲間だったものを踏みつけて、クレアの背後に骸骨兵が迫っている。その数、5体。クレアを囲むようにじりじりと近寄っていた。

「あなた達の主人はもういません。それでも、冥界には帰りませんか?」

 振り返ったクレアは鋭い視線を骸骨兵に向けた。自らの思考を持たぬ兵士は、ただクレアを脅威とだけ感じ取って確実に命を狙っている。

「わかりました。それでは強制的にお帰りいただきます」

 白い翼を広げ、クレアは目を閉じた。

「其は恐れ知らぬ力」

 地面が揺れる。

「黄土の魔人の右手となれ」

 地震ではない。現に雄輝の側は揺れておらず、骸骨兵の周囲だけが激しく上下していた。

 その地面が徐々に敵の足を飲み込んでいく。

「私、怒っていますから。手加減できませんので悪しからず」

 楽しかった時間を壊された私怨も少し込めて、クレアは強く目を見開いた。



 最期の一体を葬ると、クレアは周囲の歓声に飲まれた。

「助かったっ」

「さすが魔導騎士さんね」

 駆け寄ってきた町人に苦笑いを浮かべ、獣人達の力に揺らされながらもクレアは辺りを見渡していた。

 彼女の客人の姿を探して。

(ユウキさん……)

 だが、ついに町の中に彼の姿を見つけることはできなかったのだった。

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