第3話 異界の集落

「あら、クレアちゃん。もしかして、その坊やが運命のヒトってやつかい?」

「やだ、おば様。そんな大きな声で……」

 声をかけられたクレアが立ち止まり、少しだけ雄輝の反応を確認する。雄輝は興味なさそうに「どうぞ」と手を差し出す。クレアはそんな雄輝へにっこりと微笑んでから、その声の発信元へ駆けていった。


 クレアは声をかけた女性と何やら話し込んでいる。どうやら世間話をしているらしい。クレア自身はちらちらとこちらを気にしている様子なので、手を振って気にしなくても良いという意思を雄輝は示した。

 そう、それ自体は別によくある光景だろう。

 片方がピンクの髪をしたコスプレ女で、もう片方が、全身ふさふさとした毛に覆われた二足歩行の巨大な犬でなければ。


 犬、というよりは獣人か。ゲームで見るウェアウルフというのは、確かあのような感じだった。

 雄輝は視線を空に向ける。自身の左側頭部に疼く痛みに耐えながら雄輝は遠い眼で、どこまでも広がっている蒼を眺めていた。


 ――では、まずは近くの町にご案内します。

 決意を込めた眼で、有無を言わさずつれてこられて、しばし経つ。未だ夢から覚める気配はない。そこらじゅうから香ってくる獣の匂いが、そろそろ観念して現実の出来事だと認めるんだ、そう語ってくる。

 クレアに案内されてやってきた獣人達の集落は、規模は小さめだが非常に活気があった。映画などで見かける西洋の古い田舎町を思い出す。

 ウオォォォッ……などという、どう考えても人間に出せない咆哮が聞こえてくることを除けばだか。


 さきほどから視線が痛い。ちょっと目を動かせば、こちらをじっと見ている住人と目が合ってしまう。

 彼等にしてみれば自分の方が異端者だ。クレアが離れたことで、さらに好奇の目が注がれている。

 普段、影のように生きる雄輝にしてみれば単に注目されているだけで気分が悪くなってくるのだが、その視線の何本かは明らかに獲物を狩ろうとする野獣の光線なのが非常に気がかりである。

 この村に入る時、獣人の姿を初めて視認して恐れる雄輝にクレアは微笑んだ。

 ――大丈夫ですよ。彼等も昔は人間と争ってましたが、今は仲良しです。

 確かにすれ違う顔は、毛で覆われているのに非常に感情豊かで有効的だった。だが、雄輝はそれで安心できるほど肝は大きくない。

 争ってきたときはどうだったのか、と問うてみるとクレアは事も無げに言い放った。

 ――う~ん、食べられちゃうかもしれませんね。人のこと、大っ嫌いな方々も多かったですし、獣の血が濃い方も多数いらっしゃいましたから。

 私はその頃を知りませんから憶測ですけどね、と付け加えてはいたが雄輝にとっては十分すぎる生々しさをもった話だった。


「よぉ、兄ちゃん! しけた面してんなっ」

 通りすがりの若い男に、バシンと背中を叩かれた。

「つぅ!?」

 手加減はしているのだろうが、もともと体格が違う。掌底から繰り出された重い一撃は、雄輝の細い体では対抗しようがない。

 そのまま地面に倒れ込んだ雄輝に男は豪快に笑った。

「なんだ、情けない。もうちょっと肉つけねぇと食いごたえがないぞ!」

「……」

 あれは獣人ジョークと考えていいのだろうか。

 遠ざかる背中を見つめながら、無言で立ち上がると雄輝は膝についた土を払った。

 そこで気づいた。自分が学生服であることを。

「まいったな、とれないぞ」

 体の前面が土にまみれていた。どれだけ払っても、逆に刷り込まれていくようで汚れは酷くなっていく。すっかり色の変わってしまった詰め襟とズボンに、頭が痛くなってくる。

 どうすることもできず立ち尽くす。ただ、黄土色に染まった己の学生服を見つめていた。


「お困りですか?」

 その時、彼の視界を蒼色の瞳が遮った。


「どわっ!?」

 急に眼前にクレアの顔が出てきたものだから、今度は尻もちをついた。倒れた雄輝を、不思議そうな顔で見つめている。

「脅かすなよ、おまえ!」

「そうは言われても、声をおかけしても無反応だったのはユウキさんですよ?」

 クレアにしてみれば、長い世間話に疲れ果てて戻ってきてみたら雄輝が1人でばたばたとしているのだ。不可解な行動に首を傾げるのも当然である。

「ん……それは悪かった」

 その時、雄輝は一生懸命になりすぎてクレアの声が聞こえていなかった。自分の非があることについては、彼は素直に認めることができる。


 クレアが手を差し伸べたが、雄輝はそれを借りずに自分で立ち上がった。

 何となく、恥ずかしい。

 ちなみに、彼女の雄輝への敬称が変わっているのも彼が恥ずかしいからだ。様付けで呼ばれると、非常にむず痒い思いをする。


「それで、何かお困りでした?」

「おまえさぁ……、まぁ、いいや。別に、土がついたのをとろうとしてただけだよ」

 マイペースに話を進めようとするクレアに辟易しながら、雄輝は憮然とした表情で答える。

 その言葉を聞いて、自分の見せ場とばかりにクレアの目が輝いた。

「それでしたらおまかせください!」

 彼女は雄輝へのアピールに必死だった。自分に対する彼の好感度が上がればお願いが聞いてもらいやすくなると考えているのだ。

 クレアの急な盛り上がりについていけない雄輝をそのまま置いていって、彼女は両手を前に差し出して、静かに瞼を閉じた。


 風が軽く、二人の間を通り過ぎていく。


「其は無垢なる翼」


 彼女の一言に呼応して、白い羽が舞う。気づいた時には、彼女の背中に翼が生えている。

 こちらに招かれた時に雄輝が見たのは確かに彼女だったのだ。

 これで二回目なはずなのに、天使を思わせる彼女の姿はどこか懐かしく、雄輝の心をざわつかせた。


「清廉な白を彼に」


 クレアの口からこぼれた呟きは繊細で、細き光の輝きを持っていた。

 彼女の周囲を舞っていた純白の羽が、今度は雄輝の体を周回する。一つ、二つと彼の体を撫でる度に学生服は元の色を取り戻していく。

 呆気にとられる雄輝から羽が去っていく。彼の服はまるで新品のように磨き上げられていた。


「こんな感じでどうでしょう?」

 クレアがにっこりと微笑む。その言葉に雄輝は引き戻され、反射的に頷いた。


「さっすが魔導騎士、良い仕事してるなぁ」

「オードさん」

 オードと呼ばれたのは先程雄輝を突き飛ばした獣人だ。

 いつのまに側にやってきたのか、クレアの背中をばしばしと叩いている。彼女の背中の翼はすでに見えなくなっている。

 それよりも、力強く叩かれてもびくともしないクレアに雄輝は眉根を寄せた。とてつもなく、底知れない力を感じる。

 魔導騎士、とオードは呼んでいた。実はクレアがとんでもない大人物な可能性が出てくる。


 そんな雄輝の視線の意味を知ってか、知らずか。

「それではユウキさん、あらためて町のご案内を……」

 あくまでも自分のタイミングで話をするクレア。そんな彼女の言葉を、今度はけたたましく鳴り響く鐘の音が遮った。


「な、なんだ、これ?」

 ずっと驚き続けている雄輝にとっても、ことさら異常な音だった。その金属音は心そのものを叩いてくるようだ。同時に、彼等を囲むように同様のざわめきが広がっていく。

「クレア、これって」

 視界を空から降ろしていく。

「えっ」

 横の少女に解説を求めようとして、雄輝は言葉を失った。


 彼女の目は鋭く尖っていた。見ているものを突き刺すかのように激しい視線は、音の源泉から微動だにしない。

 その顔からは穏やかさは消え失せている。まさに、勇ましき戦士の横顔といった容貌。


 これがさきほどまで笑っていた少女なのだろうか。

 クレアの穏やかな表情を思い出すことができない。


「ユウキ様。申し訳ありません、案内は後ほど。貴方はここを動かないように」

「は、はい」

 思わず敬語で返事をする。クレアも余裕がないのか、敬称も戻り言葉の端々に突き放す印象を与えている。


 雄輝の返事と同時に、クレアは駆け出した。

 その背中には、再び純白の翼が現れている。その白が大きく跳ねて視界から消えた時、雄輝は息を忘れていたことに気づいて大きく息を吐き出した。

 音は止んでいない。獣人達は、その獣の瞳を大きく動かし辺りを注視している。


「いったい何なんだよっ!」

 完全に置いていかれている雄輝の叫びも、鐘の音に消え去ってしまうのであった。

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