幸福の指標

やまびこ。

幸福の指標

先日、僕の好きな人が死んだ。

彼女は、僕達の住む町の目立たない位置にある工事中のビルの4階だか5階だかから飛び降りたらしい。


彼女の死が発覚する前日、僕の元に彼女から電話があった。彼女は僕に、「私、今人生で一番幸せだと思う。」これだけ言って電話を切った。僕はその時、最近出来たという彼氏と初めてのデートでもしたのかなぁとでも思っていた。

そして次の日、彼女が自殺を図ったと聞いて愕然とし、その電話を思い返し僕は彼女が死んだことにひとつの自分勝手な理由をつけた。


容姿端麗で友人も多く、勉強にも真摯に取り組んでいて僕とは似ても似つかぬ人生を送っていた彼女の葬式では、クラスメイトや学校の先生らが多数参列し、皆口々に何故、何故、と呟いて涙を流していた。


彼女が自殺をした理由に目星をつけている僕は、自分だけが彼女の秘密を知っているという優越感にえも言われぬ幸せを感じながら、葬儀の最中ずっと一人隅で涙を流すこともなく悲しげな表情を繕っていた。


彼女が死んだ理由。それは彼女が死の前日にかけてきた電話で言っていた通り、人生で一番幸せだったからなのだ。

自殺を図る人が一般的に人生に絶望して死んでゆくのと同じように、彼女は人生での一番の幸せを感じ、この先の幸せが見えなくなってしまった。彼女が僕にかけてきた電話の内容は、何かの暗示や比喩でもなく、確かに彼女が感じた最大級の幸福を僕に伝えただけなのだ。

これを聞いて、こんな理由で死ぬのはおかしいというだろうか。だが幸福の指標は無く、自らが定めるしかない。

彼女は自ら幸福の指標を定めた結果、この幸せを超える幸せは来ないと感じてしまったのだ。


僕があの時彼女に、何か未来の幸せを想起させる言葉をかけられていれば、彼女はそれに期待を抱き、自殺を図ることもなかったのだろうか。

それとも、僕がどんなに気の利いた言葉をかけても意に介さず自殺を図っていただろうか。

そもそも彼女はなぜ僕に電話をかけてきたのだろうか。

もしあの世が本当に存在し、彼女にもう一度会う機会があれば聞いてみよう。



やけに長い浮遊感と徐々に縮まる地面との距離を感じながら、僕はそんなことを考えていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

幸福の指標 やまびこ。 @yamabiko4197

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ