中
『妖精』。自らをそう称するその生き物は、実際のところ大して人間と変わらない、というのが、この国で9年生活してきた私の正直な感想だ。
人間と同じように笑い、悲しみ、怒り……ものを食べ、服を着て、家で寝る。子どもたちは学校に行くし、大人たちは仕事をする。
少し違ったところといえば、人間の手のひらに乗せられる程度には軽く、30cm定規があれば身長が測れるくらい小さいことと、それなのに私の頭の上の高さまで浮いて飛べることくらいだろうか。今も、暗い森の中を数人の妖精達が私を先導するように連れ立って飛んでいる。
「わたしたちが案内できるのはここまでですので、これにて失礼致します。ロゼッタ、頼みましたよ」
「はい、おばあさま」
この国の森林の大部分を占める、深い森の最奥。普段森番以外は立ち入ることの出来ない神聖な地とされる場だ。──女王は唯一の例外として国中どんな場所にも入れるので、私は行ったことがあるのだが。
森番のロゼッタと私を残し、ゲートのあった塔からここまで連れてきてくれた妖精達が去って行く。
「森神様、怒ってないといいんですが……」
「大丈夫でしょ。あの神様、細かいこととか全然気にしないし」
「家が壊れたのは結構な大事だと思うのですが」
「まあ謝れば許してくれるよ」
「そうでしょうか?」
不安そうなロゼッタと共に森を歩いていく。
「第一、家が壊れたのって水神が雨降らせすぎたせいであって、皆のせいじゃないんでしょ? なら気にすることないって」
この世界の神様は、いい加減なのばっかりだからなあ。
『いい加減とは失礼な! 間違ってはいないけど、そういうのはぼくのいないところで言ってよね!』
あら、聞こえてたか。
「お久しぶりです、森神様。そういうわけなので、家を直すのに妖精達の立ち入り許可をもらいに来ました」
「あっ、えっと、ど、どうも、こんばんは.…」
「ロゼッタ、緊張しすぎ」
『君が緊張しなさすぎなんじゃないのか?』
「いや、だってほら。こうやって許可取りにくるの何回目だと思ってるんですか」
私だって最初の頃は緊張してたんだよ? もう慣れちゃったってだけで。毎回神様の失敗の後始末に付き合わされるほうの身にもなってほしい。
『悪かったね、失敗ばっかりで』
「心を読まないでもらえますか?」
『読めちゃうもんは仕方ないだろ。──とにかく、祭壇付近への立ち入りは許可するから、修理よろしくな』
「女王サラの名において、承りました。……だ、そうだから、ロゼッタは明日から修理手伝えそうな人に声掛けといてくれる? 私は一旦執務室に行くから」
「えっ!? あ、は、はいっ!」
その場で固まっていた彼女にそう言い残して、私は一人でいつもの場所へと向かうことにした。
ギイイイイーッ。
いつも通りの嫌な音を立てながら重たい扉を開ける。私は中に入ろうとして──何かに思い切り躓いた。
「きゃっ」
思わず変な声が出た。
「女王様。ここは今少々狭くなっておりまして、危険でございます。どうぞ別の場所で……と、遅かったですかの」
ほっほっほっ。と下のほうから笑い声が聞こえた。
埃を払って立ち上がると、私が躓いた何かの下から一人の妖精が顔を出したのが分かった。
「長老! 待っててくれたんだ!」
「鐘が鳴ったらすぐに迎えられるようにとスタンバイしておったのでのう。いつもより遅いとは思ってたんじゃが、すれ違いにでもなったら困るしのう」
「元気そうでよかった」
「女王も」
独特な笑い方と話し方。室内が暗いために顔を見ることはできないが、そこにいたのはこの国で一番としよ……長生きしている妖精に間違いない。そういうわけで、私も含めた皆から彼は名前ではなく長老と呼ばれている。
「ちょっと待ってもらえんかの。今明かりをつけますので」
言って数秒。パチパチパチ、と音がして、部屋が明るくなった。
電気ではない。
この世界では、明かりをつけるとか明るくしたいとか、そんな風に言うだけで本当に部屋が明るくなってしまうのだ。大方何かの神様が頑張ってくれている結果なのだろうとは思うのだけれど、そういう「便利なこと」にはいちいち突っ込まないことにしている。私からすればすっかり見慣れた光景でも、向こうの世界ではあり得ないことがこっちではありすぎるからだ。
「それにしても、何この書類の量。いつもの3倍ぐらいあるんだけど」
女王の執務室。普段はここで妖精達からの要望が書かれた紙を読んで対応したり、許可が必要なものにサインを書いたりしている。
ここを建てた妖精曰く「大きなお客人が来たときに困らないように広く作った」とのことで、人間の私からするとまだまだ狭いほうではあるものの、軽く作業をするだけならばどうにかなる程度の広さはある。ある……はずなのだが。
紙、紙、紙。紙の束が積まれている。床から天井まで、それも一つや二つではない。今までで一番多かった時でさえこの半分もなかっただろう。この状況を端的に言い表わすとすれば、「足の踏み場もない」というのがぴったりくるのではないだろうか。中央に置かれた椅子とテーブルの上だって紙だらけだ。
「女王がこの『妖精の国』に初めてお越しになってから今日まで、一月もお帰りにならないなんてなかったことですからのう。みんな寂しがっているのじゃろうと思います。まあ、それにしたって多すぎるかもしれませんがの」
これだけ多いと、あと1日ちょっとじゃあ全部は見れないか。
「急いでそうなものだけでも今から目を通しちゃうから、選別手伝ってもらってもいい?」
「ああ、それなら──余計なお世話かとは思ったんじゃが、簡単にワシが中身を確認してやっておいたのじゃ。ここに寄せられる投書は半分以上はお手紙と変わらん内容じゃったし、 別に読まなくとも直接会ったときに聞けばよいじゃろうとな」
大したことでもないように長老は言う。
この半分でも一人で分けるのって結構大変なのに。
「ありがとう。でも、いつも私がいない間の雑務もやってくれてるんだし、無理はしないで」
「いやですなあ、女王は。この老いぼれ、まだまだ大工仕事は現役ですぞ? この程度、なんてことはありません」
ほっほっほっ。
またそんな風に笑って、20個ほど書類の束を持ち上げた。
「張り切るのはいいけど、ほどほどにね?」
「じじいは暇ですから、お気になさらず……それでは、行きましょうか」
「……どこに?」
「シグの家じゃよ。退屈してるじゃろうし、あやつにも暇つぶしに手伝わせてやってくれませんかのう」
シグおじさんは、物を作ったり家を建てたりするのが得意だ。本来なら、明日からの祭壇再建に参加してもらうところなのだが──
「またか」
小声で呟く。
「そうなんじゃよ。クレアの家を改築したときにの」
やれやれ、といった調子で長老が首を振った。
執務室を出て歩きだす。長老が後ろから飛んでついてくる。
次の訪問先は、頼りになるけど調子に乗ってすぐ怪我をする、ちょっと困った妖精さんの家だ。
「やあ、よく来たな。子ども達はもう寝てるけど、気にせず入ってくれ」
「いらっしゃい、サラちゃんと長老さん」
「お邪魔します」
午後11時30分頃。
シグおじさんとその妻フィーナさんに迎えられ、私はそこで家から出られずに退屈していたシグおじさんと共に書類のチェックを始めることとなった。
フィーナさんは子ども部屋に様子を見に行き、長老は何度か往復して書類を届けてくれてから、一旦自分の家で休むと帰った後だ。
「はい、次はこれ」
「ん」
「次こっち」
「ほい。おじさんさあ」
「次これな。なんだ?」
「今度は何で怪我したの?」
作業を始めてしばらく経った頃。
集中力の切れてきた私は、書類から目を離して聞いてみた。
「クレア達の家に子どもが生まれるからつて増築を頼まれたんだが、つい嬉しくなっちまってな。浮かれてたら屋根登ってるときに落ちたんだ」
おじさんも手を止める。本当に嬉しくてたまらないというような笑顔だった。
「どうせまた高い所から新しい試作品のテストして見てたんでしょ」
「ははは。バレたか」
家に限らず色んなものを作っては人の家に取り付けて試すのは、彼の悪い癖だ。
「いつも気をつけてって言ってるのに、懲りないよね」
「こればっかりはやめらんねーんだよなぁ」
それから雑談が続いて、そのうち整理が再開される。
「泊まれるように準備してあるから、ゆっくりしていってね」とのフィーナさんのご好意により、結局その日の作業は夜明け近くまで続くことになった。
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