κ

「ん……?」


 俺は、いつの間にか異世界に転生していた。かねてから転生後の違和感についていろいろ聞き知らされてはいたが、転生した己の感覚がどうにもしっくりこない。だいたい、主人公がトラックにはねられて転生するというのがセオリーらしいのに、俺のは餓死による転生だからな。


 くたばる直前の強烈な飢餓記憶が、まだ転生後の俺を支配していた。容赦なく腹が鳴る。よたよたと立ちあがった俺は、食い物を確保しようと思って辺りを見回した。


 ここは……池のほとりだな。なになに? 三四郎池、か。風情を感じさせる池だが、整いすぎていて俺の好みには合わないな。それに、ここには俺が食えるものがなさそうだ。


 ひどい空腹で足腰が立たないので、四つん這いのまま池の周りをのたのたと一周した。池の周りには、偉そうなつらをした若者が大勢闊歩しているが、這いつくばっている俺に気がつくやつなど誰一人としていない。俺が見えないのか、それとも無視しているのか、それは分からないけどな。


 水辺で胡座をかいて、しばし考え込む。俺は転生する前日陰者だったが、転生してもそれは変わらないということか。這いつくばっている俺の見かけが巨大なアルマジロくらいに変異すれば、少しは周囲の耳目を集められる存在になるんだろうか。いや。見かけが奇異でも中身が脆弱ならば、結局ひ弱な精神の呪縛からは逃れられないのだろう。


 空腹で朦朧としていた意識が少しだけ輪郭を宿し、俺は池の上に身を乗り出した。水面に己の顔と身体を写し、改めてじっくりと見回す。


「ああ。紛れもなく、お前は俺の証明者だ。なんだ、俺は転生できない主人公そのものじゃないか」


 徐々に記憶と知覚が明瞭になってきた。

 転生だって? そんなの大嘘だ。俺は転生なんざしていない。最初に転生だと感じた違和感は、目覚めた俺を取り巻いていた造作があっちよりも少しばかり現代物げんだいぶつらしかったからだ。


 俺はこれまで、時代が少しばかりこごっていた環境でずっと大人しくしていた。そこでは時が止まっているように思えたんだが、ちまたでやたらと俺の名を連呼するやつが増えてどうにもうっとうしくなったんだよ。そいつらに抗議しようと思って久しぶりに家から出たんだが、不摂生がたたってすぐにへばり、気を失ってしまった。それだけだ。俺は転生なんざしていない。


 やはり、分不相応なことはすべきじゃなかったな。しょうがない。不忍池に帰ろう。神田で古本と胡瓜を買って帰らないとな。


 ああ、俺かい? 芥川龍之介っていう河童だよ。転生するなら、ハードカバー豪華本の中がいいな。まあ……夢のまた夢だけどな。



【 了 】



+++++++++



自主企画『【ネタ切れ】エクストリームSS執筆【無茶振り】』参加作品。

組み込んだお題は、『異世界転生』『現代物』『転生できない主人公』『巨大なアルマジロ』『嘘』『三四郎池』『お前は俺の』『ハードカバー』の八つです。


見出し:κ

紹介文:κ



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