進化と退化

 大都会の中に、わずかに残された緑地。小さな木立の下で、二人のひどく年老いた男が椅子に座って何やら話し込んでいた。


 二人の座っている椅子。マグカップの置かれたテーブル。いずれも、決して上物ではない。家具としてはとうに役割を終えており、もう廃棄されてしかるべきものだろう。だが二人が使えるものはそれしかなかったし、腰を下ろして飲食をするにはそれで十分に事足りた。


「なあ、グレグ」

「うん?」


 グレグは、空になってしまったカップを恨めしげに見下ろすのを止め、のろのろと顔を上げた。


「なんだ?」

「進化ってのは、不要部分を削ぎ落としてシャープになっていくもんだと思っていたんだがな」

「そうでもないさ」


 グレグが、もう一人の男、アレンの腰を指差す。


「尾を考えてみろ。俺たちの祖先がまだ樹上生活をしていた頃、尾は手足に準ずる第五の支持器官だった。それを失うことは死に直結したはずだ」

「そうだな」

「だが地上生活が主になった後は、無用の長物だよ。それは進化の過程で失われ、尾骨という小さな骨片にまで縮小された」

「ああ」

「尾を不用物に格下げできた俺たちにとっては、それは進化だろう。だが失われていく尾にもし人格があれば、己の存在意義を失うことは退化さ。違うか?」

「む……そうか」

「なんでも進化して、スマートになりゃあいいってもんでもないよ」


 カップをテーブルに置いたグレグは、両手を頭の後ろで組んで薄い青空を見上げた。


「人類進化の過程プロセスは、尾といい、体毛といい、卓越した運動能力といい、暗視力といい、失うことの連続さ。唯一、脳とそれに伴う思考力を発達させることで、退化による欠損を補ってきた」

「ふむ。そういう見方もできるか」

「俺たちは、飛躍的に進化して優れた生物になったから生き残れたわけじゃないよ。ただ、進化で得たものと退化で失ったもののバランスが取れていただけさ」

「……なるほど」

「当然、進化と退化という概念自体も極が固定されていない。発生と滅亡の結果から使い分けられているだけで、しょせん同じことだよ」


 身も蓋もない投げやりな言い方に苦笑したアレンが、掌を広げてじっと見下ろす。


「じゃあ……」

「うん?」

「六本目の指の発生も、そういうことか」

「そうだろうな」


 アレンと同じように、グレグも自分の掌を開いて凝視した。


「最初、多指症だと思われていた六本目の指の発生は、ある年代から先、標準スタンダードになった。それは人類に付加された新たな遺伝形質ではなく、全くの新種、新人類の誕生だった」

「ああ」

「新人類は、六本目の指を非接触型の受信・発信器官として用い、意思の交換を行う。意思疏通に用いてきた言語が意味を持たなくなったため、会話が退化した」

「……」

「言語を介して意思疏通する俺たちは、連中にとって極めて非効率的な、退化すべき存在。五本ずつしか指を持たない者は旧人類と呼ばれ、著しく差別されるようになった」

「差別以前に、もう五本指の新生児が生まれなくなっただろ?」

「まだ、ごく稀に発生するらしいけどな。それは今や少指症と呼ばれ、治療不能かつ遺伝性の致死的疾病として出生前診断で全て取り除かれている」

「くそっ!」

「つまり俺たちは、すでに絶滅寸前の希少種ってことだ」


 グレグが、ぎしりと椅子を鳴らして立ちあがった。

 わずかに残っている緑の他には、ほとんどが無機質なセルの塊となった都市。それを物憂げに見回す。


 群れを維持しなければならなかった旧人類と異なり、居ながらにしていつ誰とでもコンタクトできる新人類は、家族から国家まで、いかなる形の群れも作る必要がなかった。全てがセルの単位にまでブレークダウンしている現在、動物園で飼育されている二人だけが最後の群れを維持していたのだ。


 アレンも、諦めたようにゆっくり立ち上がった。


「なあ。俺たちのどちらかが女だったら、俺たちはアダムとイブになれたのかな?」

「いやあ、それは無理さ」

「なぜだ?」

「結局、どこかで六本指になるだけだと思うぜ」

「む……」

「それが進化なのか退化なのかは、俺には分からないけどな」



【 了 】



+++++++++



自主企画、『もしも人間の指が6本だったら?』参加作品。


見出し:それは進化か、退化か

紹介文:大都会の中のわずかな緑陰。そこで年老いた男が二人、なにやら話し合っていました。

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