食い放題

 とある劇場のエントランスホール。俺は、ひどくいらいらしていた。


「おい、江口は何やってんだ!」

「社にも携帯にもかけてるんですけど、どっちも出ないですぅ」


 新米記者の岡田さんが泣きそうな顔になっている。江口の野郎、昨日オールで飲んで潰れてるとかじゃねえだろうな。もしそうだったら、ぶっ殺してやるっ!


「ちっ!」


 インタビューの開始時間が刻一刻近付いてきた。なにせ、こういう会談を滅多に受けてくれない相手だ。急な話に取るものも取り敢えず駆けつけているのが新人で、行動規範になるべきベテランが呑気に呆けてるなんざ論外だ! 


 今回の取材相手は、難物で有名な矢部やべという老劇作家だ。元々マスコミ嫌いな上に、すぐに人の揚げ足を取り、俺らの浅知恵を小馬鹿にする。誰も相手をしたくないから、ついたあだ名が『やべえ』とか『嫌兵衛』だ。そいつ相手に丁々発止をやらかすには、相当な根性が要るんだよ。だから岡田さんに記録を、江口に撮影を任せて、俺はインタビュアーに専念しようと思ってたのに。これじゃあ、取材チームにした意味がねえだろが!


「だめだ! どうしても間に合わん!」

「チーフ、どうするんですか?」


 再度時間を確かめた俺は、肝を据えた。


「俺が撮影するしかない。岡田さんにインタビューを任せる」

「うそーっ!」

「しゃあないだろ。カメラマンが来てないから延期してくれなんて言い訳しようもんなら、未来永劫うちのインタビューは受けてもらえなくなる。あの嫌味なじじいに、こっぴどくやり込められる方がまだマシさ」

「やり込められるのは、わたしなんですよう?」

「勉強だ」

「ううー」

「江口の野郎、ふざけやがって! こういう時こそ岡田さんみたいにおっとり刀で来るもんだろうが!」

「ええー?」


 俺の雑言を聞いた岡田さんが、ぷうっと膨れた。


「わたしは、ちゃんと時間前に来ましたよう」

「だから、おっとり刀と言ったろうが!」

「??」


 目を白黒させてやがる。


「武士にとって、刀は己の魂みたいなもんだ。危急の時には、何はなくとも刀だけは持ってくんだよ」

「あ、あの?」

「おっとり刀の『おっとり』は、のんびりしているってことじゃないぜ。押っ取る。刀を腰に差す暇もなく、手に持ったまま馳せ参じるという意味だ。おっとり刀は、急いで駆けつける時に使うんだよ」

「知らなかった……」

「矢部さんは、そういう誤謬ごびゅうを絶対にスルーしてくれないのさ。だから厄介なんだ!」

「ひ……」


 見る見る岡田さんの顔から血の気が引いた。これじゃあ、あのじじいに飲まれて声が出なくなるかもな。飲まれたくなけりゃ、先に食え!


「いいか、岡田さん」

「は……い」

「インタビューってのは、インタビュワーと相手との真剣勝負なんだ。食うか食われるかだ。相手に食われたくなければ、徹底的に食え!」

「な、なにをですか?」

「よく聞け! 一度しか言わん」

「は、はい」

「矢部さんは本当に食えないやつなんだよ。俺らを食い物にすることはないが、人を食った態度が本当に胸糞悪いんだ。だが、毒を食らわば皿までだ。割りを食ってると腐らないで、とことん食らいつけ。ただし、挑発に乗って食ってかかるなよ。どこかであいつに泡を食わせれば、肘鉄を食らうことはなくなる。食わず嫌いの思考に陥らないで、しっかり大物を食え!」

「……」

「なあ、岡田さん」

「はい」

「今、俺が何回食うと言ったか覚えているか?」

「頭が……真っ白」

「じゃあ、意味と回数、用い方の正誤まで含めて記憶、識別、使用できるように、根性と脳みそをがんがん鍛えろ。いい機会だ!」

「う……」

「食い放題の店で元を取らずにすぐギブアップするようなやつは、最初から来るな!」



【 了 】



(注:チーフ。一つだけ、食っちゃいけない『食う』が入ってますよー)



+++++++++



自主企画、『間違いやすい日本語を題材にした短編』参加作品。


見出し:食い放題なら、ちゃんと元を取りましょう。

紹介文:くせものの老劇作家に突然インタビューするはめになった、新米記者の岡田さん。チーフが、インタビュアーとしての心構えを説きますが……。


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