降魔師

「きったねー」

「ううっ、さいってー」


 格子窓の格子の中は、全て蜘蛛の巣で塞がれていた。その一つを指で押し破って、向こう側を覗き込む。埃がこびり付いてほとんど磨りガラスみたいになってた窓を拳で擦り、なんとか視界を確保して、そこから窓の外を見た。


「やっぱりよく見えないなー」

「ねえ、ほんとにここに泊まるのー?」

「しゃあないじゃん」

「これまでの中では一番ひどいね。電気も水道もないんじゃん」

「まあね。ここは完全な空き家だからなあ」

「大丈夫なの?」

「分からん。やってみないとなんとも……」

「ふうん」


 カビ臭い家の中。梅雨が明けて一気になだれ込んで来た猛烈な熱気にうんざりしながら、僕は手にしていたカバンをぽんと床に放り出した。床に分厚く堆積していた埃が盛大に舞い上がり、僕と妹の舞花まいかは何度も咳き込んだ。


「げほっ! げほっ!」

「お、お兄ちゃん! まだ音立てるのは早いってば」

「済まん。いらいらすっと、どうしても動作が荒くなっちゃう」

「そういや、転校の手続きは?」

「済んでるよ。問題は、学校まで辿り着けるかだよなあ」

降魔ごうま師次第かあ」

「そう。そこが……ね」


 さっき汚れを擦り落とした格子窓の不定形な丸から、斜めに日差しが差し込んで。まるで僕らを探し出そうとするかのように床を少しずつ舐めていく。


「トラップは?」

「かけてるよ。でも敵に覚えられちゃったから、ちゃちなトラップはすぐ破られちゃう」

「しつっこいよねえ」

「まあね。こういう逃亡生活も、そろそろ打ち止めにしたいけどなあ。やっと梅雨が明けたんだしさー」

「うん」


 持っていたコンビニのビニール袋を床に下ろして、中からおにぎりとサンドイッチを出す。


「どっち食べる?」

「どっちでもいいよー」

「じゃあ、僕はおにぎりにすっかな」


 舞花と並んでもぐもぐと晩ご飯を食べている間に、僕らを探り当てるのを諦めた夕日のサーチライトがゆっくりと光の束を持ち上げ、そのまま焼け落ちた。明かりのない部屋の中はすぐに暗闇で塞がれていく。


「まだ足元が見えるうちに、もう一巡りさせておくかー」


 居間での人の行き来をさえぎられるように、細いワイヤーを何重にもかけ回し、その端を格子窓のさんにしっかり留めておく。


「ふうっ」

「来るかな?」

「来るでしょ。降魔師なんだし」

「そっか」


 食事が済んでトラップをかけ終わったら、僕らにはもう何もすることがなくなる。床がめくれ上がるように感じる猛烈な熱気と湿気。全身から吹き出す汗。暑いから吹き出すなら、それは仕方ないよ。でも、僕らのはそうじゃないからね。


 ぴっぴっ! ぴぴっ! 手元の携帯が不規則な警告音を鳴らした。


「来たっ!」

「もうっ? は、はやい!」

「とんでもねー執念だよ」

「やだよう」


 舞花の声に震えが混じる。

 僕だって怖いさ。でもここをしのがないと、僕らは明日の日の出を拝めない。


 玄関の引き戸ががたがた激しく鳴っている。ちゃんと鍵はかけてあるけど、ちゃちな戸だから蹴破って入って来るだろう。案の定、五分と保たなかった。ばりん! 板が割れ砕ける大きな音がして、すぐに大きなダミ声が響き渡った。


「どこに行きやがった! クソ妖怪ども!」


 何かを振り回し、それがあちこちにぶつかる衝突音が響き渡る。


「舞花。自分のカバン持っといて」

「……うん」

「タイミング合わさないとヤバい。一二の三で」

「分かった」


 震える腕でカバンを胸のところに抱えた舞花が、悲痛な表情で暗闇の奥を見つめる。


「そろそろだ」


 僕が言い終わらないうちに、居間のドアが乱暴に蹴り開けられた。僕はすかさず手にしていたライトを顔に当てて、そいつの確認と目潰しをする。


 山伏の格好で金剛杖を無闇に振り回している大柄な降魔師が、ライトの輪の中に浮かび上がった。口の端に泡を乗せ、血走った目で部屋の中を素早く見回した降魔師は、すぐに僕と舞花を見つけた。


「こそこそ逃げ回りやがって! その汚ねえ根性叩きのめしてやるっ!」


 僕らの姿を標的にさせたところで、すぐにライトを消す。明かりに慣れた降魔師の目からは僕らが一瞬消えたはずだ。ぎゅっと舞花の手を握り、小声で合図をする。


「一、二の」

「三っ!」


 この家には、居間の奥に小部屋があって、そこから庭に出られるくぐり戸があるんだ。元々はこの家で飼われていた大型犬の飼育部屋だったらしい。大型犬といっても人よりは小さいから、舞花はともかく、僕がやっとくぐり抜けられるくらいの幅しかない。しかも家は全部木造なのに、その部屋だけは鉄柵がはまってる。もし僕らのちゃちなトラップが破られても、追って来た降魔師は小部屋からは外に出られないようになってるんだ。その分、逃げる時間を稼げる。


 僕と舞花が素早くくぐり戸を通って外に逃れた時、ものすごい音がして格子窓が外れ、それが次々に居間の中央に向かって倒れ落ちていった。汚れでくすんだ格子窓のガラスが粉々に割れ、投光器の光を浴びて最後の輝きを見せた。破砕音と降魔師の絶叫が、聞くに耐えない不協和音を響かせる。


「があああああああああっ!」


 僕の腰のあたりに抱きついた舞花が、わんわん声を上げて泣いてる。僕も泣きたいよ。


智史さとしくん、舞花ちゃん、大丈夫だったかい?」


 穏やかな刑事さんの声が聞こえて、僕らはやっと落ち着きを取り戻した。


「はい……なんとか」

「全く。DVなんていう生易しいもんじゃないよな」


 苦々しげに吐き捨てた刑事さんが、うごめく肉塊と変わり果てた父の様子を確認しに行った。


「精神が壊れてることなんか最初から分かってんだよ。そいつを野放しにしないで済む方法を考えてもらいたいね」


 そう言い残して。


◇ ◇ ◇


 身体に絡まった無数のワイヤーを力任せに引き剥がそうとした父は、自らの身をずたずたに断ち切ることになり、命は取り留めたものの自力では動けなくなった。僕らが父と言う名の降魔師に追われることは、もう二度とない。


 久しぶりにきれいな部屋でびくびくしないで眠れることに、僕も舞花もほっとしていた。


「ねえ、お兄ちゃん」

「うん?」

「夏休み前に転校できて、良かったね!」

「まあね。さすがにもう転校はないでしょ。これでやっと安心して学校に通える。そして、友達が作れる」

「うん!」


 そう。もし友達が父の標的になったら、僕らだけの問題じゃ済まなくなるんだ。だから僕らは、これまで一人も友達を作れなかった。兄妹で身を寄せ合うしかなかったんだ。梅雨が明けたたくましい夏空の下。今度こそ。今度こそ僕は、胸を張って言える。


「転校生の竹田智史です! 仲良くしてください!」



【 了 】



+++++++++



【三題噺】梅雨明け、格子窓、転校生


見出し:どこまでも降魔師が追って来る


紹介文:転校するために空き家に引っ越した智史と舞花の兄妹。その二人を仇敵と付け狙う降魔師が二人に襲いかかりますが……。



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