三つのポスト

(1)ポスト1


「ああ、田中くん。島崎さんがやってたチーフのポスト。承けてくれんか?」


 ハワイ旅行から戻ってきた佐野部長に呼ばれて、何かなと思ったら。君へのお土産だって渡されたマカダミアナッツチョコのでかい箱に、とんでもないお土産がもう一つくっついてきた。


「はああ?」


 ……そんなの聞いてないよ。


 いや、俺がもういい加減煮しまった古株だっていうなら分かるよ? まだ入社三年の、ぺーぺーもいいとこやん。今までだって、毎日毎日チーフの島崎さんに怒鳴られ続けてきたっていうのにさ。なんでまた?


 部長は、若いやつにポストを割り振ればやる気を出すと思ってるんだろうか? だとしたら相当ズレてる。んなわけないじゃん。そりゃあ、上昇志向があるやつもいるけどさ。そいつが必ずしも、人や仕事を仕切る能力を持ってるってことじゃないやん。やっぱ、人を束ねるには経験と実力評価がセットになってないとさあ。くじ引きやトイレ当番みたいに、ほい次、君やって、はないと思うぞ。


 ただ、それを部長にどう言うかだよなあ。お偉いさんのへそを曲げてしまったら、俺の一生がそこで終わりになっちまうかもしれない。まあ、そっちはまだなんとかなると思うんだ。問題は……。


「田中くん?」

「あ、すみません、部長。少し考えさせてもらっていいですか?」

「ああ。今日明日中に決めろという話じゃない。考えてみてくれ」

「はい」


◇ ◇ ◇


 仕事が上がってから、みっちゃんに電話を入れた。


「よう。今日は遅くなんの?」

「ううん、定時上がりよ」

「帰りに一緒に飯食わん?」

「ええー? 珍しいね。ここんとこずっと遅くまで仕事仕事だったのに」

「まあね。チーフが突然ぽんと辞めちまったから、みんな右往左往しててさ」

「あ、そうだったんだ」

「楽しい話はできそうもない。ごめんな。最初に謝っとく」

「……」

「あ、いや。愚痴っちゃうってこと」


 みっちゃんは、俺の言葉を深読みし過ぎたんだろう。俺のフォローを聞いて、思い切り脱力したらしい。


「おどかさないでよ」

「ごめん。もうちょい仕事を片してから出る。8時にモリモトでいい?」

「おっけー。一回家に帰ってから出直すわ」

「ごめんな」

「いいって」


 ふう……。

 そうなんだ。俺がもしチーフを承けると、そっちに跳ねちまうんだよ。


◇ ◇ ◇


 俺とみっちゃんが付き合うようになったタイミングは、実に微妙だった。大学の卒業直前。俺がみっちゃんから告白されて、俺がおっけーを出して付き合い始めた。まあ、いわゆるどさくさだよな。みっちゃんは学部でもよく知られていたかわいい子で、もちろん俺にも憧れはあった。でも、俺は就職や卒論のことで頭がいっぱいで、正直甘ったるいことを考える余裕がなかったんだ。

 その余裕がないまま、社会人生活に突入して。まあ、よく三年保ったと思う。いや、その間に大げんかしたとか、気まずくなったとか、そういうことじゃない。ずっとラブラブではあったけどさ。スケジュールが合わなくて、物理的になかなか会えなかったんだ。


 それでも。俺がもう少し仕事に慣れて、今までよりスケジュール管理に余裕が出来てきたら次のステップに進もう。そう考えていた矢先のでっかい爆弾。はあああっ。


「お待たせー」

「ごめんなー」

「ううん、ここんとこなかなか会えなかったから、うれしい」


 ううう、けなげに待っててくれる出来すぎの彼女。男冥利に尽きるってもんだよ。


「じゃあ、入ろうか。好きなもん頼んで。ぱあっとやろうや」

「うん! わあい!」


 動機が動機だって言っても、一応はナイトデートだ。本当ならもっと甘いムードに浸りたい。でも俺のゲロったネタは、とても臭くて食えたもんじゃなかったと思う。


「つーことなんだわ」


 部長から突如ぶっ飛んできた一発の物騒なミサイル。ハワイから持って帰るなら、せめてコーヒーくらいにしといてくれよ。俺の愚痴を苦笑交じりに聞いていたみっちゃんは、その後ふっと真顔になった。


「ねえ、よしくん」

「うん?」

「承けるの?」

「無理だよ。俺が年齢的にトップだっていうならともかく、下から数えた方がずっと早いんだから」

「そうだよねえ……」

「まあ、それはいいんだ。問題は、それを部長にどう言うかなんだよなあ」

「うん」


 真面目な顔のまましばらく考え込んでいたみっちゃんは、ふっと首を傾げた。


「ねえ。よしくん」

「うん?」

「明日さあ。よしくんのセクションの人たちの様子を探った方がいいかもね」

「え? どして?」

「プレ、と、ポスト」


 それってなに……と聞こうとした矢先に料理が来てしまった。せっかくのデートをぐだぐだにしたくなかった俺は、みっちゃんの言葉が引っかかったまま、それでも久しぶりのナイトデートを心から楽しんだ。……コースの最後まで、ね。



(2)ポスト2


 みっちゃんの奇妙な示唆は二つ。セクションの同僚の様子を確かめろ。そして、プレとポスト。


「先と……後か」


 相互に関係のなさそうな二つの示唆。でもみっちゃんは、単なる思いつきでそんなことを言わないような気がしたんだ。俺が気付かない何かに、先に気付いたんじゃないかな。みっちゃんの示唆の真意がどこにあるかを腕組みして考えていたら、隣席の高木から声をかけられた。


「よう、田中。調子悪そうだな」

「あかんわ。島崎さんが離脱してから忙し過ぎ。ぐだぐだだー」

「俺もだ。やってらんねー」


 そう。その時、俺は初めて気付いたんだ。誰もが俺や高木のように不満たらたらのはずなのに、妙に表情の明るいやつが二、三人いるってことに。それを見て、俺ははっと気付いた。


「そうかっ! そういうことかっ!」

「は? なんのことだ?」

「いや……」


 部長も……えげつねえ。いや、でもそうしないと分からないことが確かにあるんだろう。


◇ ◇ ◇


 つまりだな。俺と同じように、部長からチーフの後釜をやらんかと声をかけられていた社員が、他にもいたってこと。


 俺に物騒なミサイルをぶっ放した部長は、チーフの後任人事を決める前にもう栄転することが決まっていた。部長は、後任の部長に今のセクションの状況をしっかり引き継いでおかなければならない。特に、自分が直接サポート出来なくなるチーフの後任人事をどうするかが懸案だったんだ。辞めた島崎さんは切れ者だったから、後釜が誰でもいいっていうわけにはいかない。


 きっと。島崎さんの後任はもう決まっているんだろう。うちのメンバーの持ち上がりではなく、外からチーフを持って来るんだと思う。その新チーフが機能するようにするためには、事前に使えるメンバーをセレクトしておかなければならない。部長のアレは……そのための秘密査定だったってこと。


 公式業績評価のヒアリングの時には、みんないいことしか……建前しか言わない。それを鵜呑みにして人事を動かすと、とんだ失敗につながりかねない。誰がどんな性格や能力を持っているかを見極めておかないとならないのに、査定表のデータが必ずしも判断材料にならないんだ。部長はそれを懸念したんだろう。公式評価はあくまで事前プレ評価。それをあとでもう一度検証する……事後ポスト評価がアレだったんだ。


 際どいやり口で株を下げるのは、俺らじゃない。部長だ。ブラフかまして、無責任に期待させやがってって。でも、俺らのそういう反応すら査定項目に入ってるんだろう。


「なんだかなあ……」


 やりきれない。本当にえげつない。


 でも俺は考え直す。そう、今は査定されている俺も、いずれはする側に回る。それは会社に限った話じゃない。俺の家族や友人、知人……。無我夢中の時にはナマで体当たりだった付き合いが、余裕が出来ると調整出来るようになるんだ。その時俺は、偉そうに人を査定するようになるだろう。そしてプレ評価が高かったら、その反動でポスト評価がどうしても厳しくなる。俺は、その怖さを肝に銘じておかないとならない。だって俺も同時に査定されるんだから。……査定している相手からね。



(3)ポスト3


「すみません、部長。やっぱり僕にはまだ荷が重いです」

「ふむ」


 俺は、ギミックなしでストレートに断ることにした。


「業務量的に厳しいか?」

「いえ、それよりも」

「うん」

「こういう性格診断するみたいなやり方はどうにも……」

「ははは。バレたか」


 部長は、隠してあった目論見をすぐに認めた。


「君だけだな。気付いたのは」

「いえ、僕が気付いたんじゃないんです」

「は?」

「付き合ってる彼女がヒントをくれて」

「ほう、それはすごいな」

「はい!」


 俺は、ゆっくり息を吸い込んだ。情けない言い訳かもしれない。でも、俺は自分をごまかしてまで査定を上げたくないんだ。それは……いずれの俺の首を絞めるから。


「部長。僕は今、自分の時間を削って仕事をしてます。それはこの社のせいじゃなくて、僕の能力がまだ全然足んないからです」

「うん」

「でもこれ以上削ると、僕は大事なものを無くします」

「彼女か?」

「そうです。社が僕の査定を下げることは受け入れますけど、彼女が僕の査定を下げることだけは回避したい。どうしても回避したい」

「なぜだ?」

「彼女が、今まで一度も僕の査定を下げたことがないからです。彼女はいつも僕を満点評価してくれた。その信頼を、僕から裏切ることだけは……絶対にしたくないんです」


 にっこり笑った部長が、ワークデスクの引き出しから一冊の古い文庫本を出した。


「なあ、田中くん」

「はい」

「もしこれがぴかぴかの新品なら、君はその中身への期待を何割か増しにするだろ?」

「あ、はい」

「だが、中身の価値ってのはその本を読んでみなけりゃ分からん」

「ええ」

「俺が今回やったのは、そういうことだ」

「分かりますけど……」

「まあ、えげつないやり方だったことは認める。だが、島崎くんにあんな形で辞められたのは、想定外もいいとこだったんだ」


 あっ!


「そ……うか」

「俺たちも、表紙で本を判断しちまったってことさ。君が彼女を失いたくないと考えてるのと変わらん。俺たちも、信頼を裏切られる形で辞められるのは本当に辛いんだよ」


 部長は、でかい溜息を机の上にぽんと放って、それからすいっと視線を上げた。


「仕事は人を裏切らないっていうけど、そんなこたあないよ。成果として見える部分だけが人の価値じゃない。そして、そいつは綺麗事じゃないんだ。今回のは、そういうのを見抜くための試金石だと思ってくれ」

「はい」

「古書になっても、中身が色褪せるわけじゃない。がんばって、いい古本に……なってくれな」


◇ ◇ ◇


 新しい部長とチーフが着任して。また忙しい日々が始まった。でも俺は、その忙しさの中にただ埋没したくなかった。三年間寂しい思いをさせたのに、ずっと俺を見ててくれたみっちゃんに。少しでも寂しいと思う時間を減らそうよって提案した。みっちゃんは、涙とともに俺の提案プロポーズを受けてくれた。


 新婚旅行先は、月並みだけどハワイにした。お土産を出発前に先買いできるからね。もちろん、マカダミアナッツチョコ。ただ、大阪支社長になった佐野さんには、それとは別のものを送ることにした。


「……よし、と」


 ワイキキビーチのビーチパラソルの下で絵葉書の文面を書いていたら、みっちゃんにひょいと覗き込まれた。


「よしくん、何書いてんの?」

「うん? 前の部長に絵葉書出そうと思ってさ」

「ふうん……それって、ゴーギャンの絵?」

「そう。ハワイじゃなくて、タヒチだけどね」

「あはは」


 俺は、サングラスを外して絵葉書をじっと見る。


「ゴーギャンみたいに、死んでから高評価されてもつまらんなあと……思ってさ」

「うん……」

「だから、部長にはすごく感謝してる」



“ 結婚しました。一生お互いを査定しないで済むように、二人で楽しく歩いていきたいです。部長もお元気で。田中由春、光恵 ”



「さて。ポスト探さなきゃ……」



【 了 】



+++++++++



【三題噺】マカダミアナッツ、古書、ポスト


見出し:部長! それはないっすよ!


紹介文:ハワイ旅行から帰って来た部長に呼び出されたぺーぺー社員の田中くん。部長から手渡されたマカダミアナッツチョコのお土産には、とんでもないおまけがくっついていました。


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