白黒

 還暦を過ぎてから、体力が落ちたわけでも体調を崩したわけでもないのにがったり運動量が減っちゃった。こりゃあいけないと思って、慌ててシニア向けの体操教室を探したんだけど、なかなか通うのに便利なところがない。

 市が主催してる教室は二週間にいっぺんしかないから全然運動にならないし、バスを乗り継いでスポーツジムに通うのはさすがにしんどい。行き来だけでオーバーワークになっちゃうからね。


 どっかいいとこないかしらーって話を近所の奥様たちとしていたら、その中の一人に、個人でお教室をやってる先生がいるからそこに行ってみないかと誘われた。月謝もプログラムの内容も手頃で、週に二回か。会場が家から徒歩で通えるところだったし、運動量としても無理なくこなせそうだから確かに魅力的なんだけど。チラシとかパンフとか何もなくて、ほんとに個人でこじんまりやってるらしい。事前情報が何もないっていうのはなあ……。誘ってくれた人が私のよく知ってる人なら二つ返事だったんだけどね。挨拶を交わす程度であまり付き合いの深くない人だったから、躊躇してしまった。


「うーん」

「いや、わたしも初めてなのよ。通われてる人たちの間では評判がいいみたいだけど、一人じゃ……ねえ」


 そういう理由で私を引きずり込むのは勘弁して欲しいなと思ったんだけど。まあ、体験受けて合う合わないの判断をするくらいなら、費用的にも時間的にも大した負担はないだろう。そう判断して、一度行ってみることにした。


◇ ◇ ◇


「はい、そこまでー」


 ふう。久しぶりにいい汗をかいたなあ。うん、先生も生徒も女性だけだし、先生の指導も丁寧で好感が持てる。月謝が安すぎるのがちょっと引っかかるけど、シニア相手だとそんなに高額に出来ないっていう計算なんだろう。


「今日初めて参加された方で、継続を希望される方は入会手続きをお願いしますねー。次回は金曜日、会場は同じ、ここです。お疲れ様でしたー」


 先生の性格はあっさり。指導に徹しているという感じで、お教室の後に付き合いを引きずるタイプではなさそう。そこらへんのドライさに好き嫌いがあるかもね。私には合ってる。ただ……。


 タオルで顔の汗を拭きながら、周囲をぐるっと見回す。そう、参加してる人たちの年齢にかなりばらつきがある。五十代から七十代くらいまでいろいろなんだ。完全にシニア向けっていうわけじゃない。そこがちょっと気になったのと。みんな揃って顔が色白なんだ。地黒の私は彼女たちの中ではくっきり浮く。最初から自分だけが異端者のように感じてしまう。


「ねえ、長江さん、どう?」


 誘ってくれた田崎さんが、話しかけてきた。


「うん、雰囲気はいいわね。私には向いてるかも」

「よかったー。わたしも通うことにするわ」

「んー」

「え? 何か気に入らないところがあった?」

「いや、そういうわけじゃないんだけど」


 私は、教室の参加者が談笑しながら円筒形の小さな容器を受け渡ししているのを見て、それが何か引っかかったの。


「あれー? 田崎さんじゃない。久しぶりー」


 談笑の輪が解けて、その中の一人がこっちに走り寄ってきた。私と同じくらいの年回りの人。


「えー? 村井さん! ここに来てたのー?」

「そう。もう一年になるかなー」


 ふうん。田崎さんの知り合い、か。


「そっかー。村井さんがいるんなら、わたしは通いやすいなー」

「あらあ。わたしはただの生徒。主催者じゃないから、何もサービス出来ないわよー」

「あはは。あ、そういやさ」

「うん?」

「さっき、やり取りしてたのはなに? 湿布薬かなにか?」


 田崎さんのボケに苦笑した村井っていう女性は、手にしていたショッパーからさっきやり取りしていた円筒形の容器を取り出した。


「美白クリームよ。派手な宣伝を打たないメーカーだから、宣伝コストが原価に乗ってない分、お買い得なの。すごくよく効くし。うちの教室の参加者で共同購入してるの」

「へえー! そんなのがあるんだー」

「無料のサンプルあるから、使ってみる?」

「いいの?」

「サンプルだからね」


 ちらちらと私の方を見ていた村井さんは、私にも声をかけて来た。


「あなたもいかがですか? タダですし」

「いやあ、私は地黒だからその手のはいいわ。今さら美白っていうトシでもないし」

「ええー? もらっておけばー?」

「うーん、そうねえ。じゃあ」


 私が強く断らずにあっさりサンプルを受け取ったのを見て、村井さんではなく田崎さんがほっとした顔を見せた。なるほどね。


◇ ◇ ◇


 帰宅した後すぐに、受け取ったサンプルをじっくりチェックした。ラベルに印字されている商品名とメーカーに見覚えがあったの。


「やっぱりか」


 田崎さんは桜だ。初めて教室に参加するようなふりをして、カモを体操教室に引きずり込む。教室の参加者がそろって色白の顔をしていて、そこで美白クリームがやり取りされていれば、誰もがそのクリームに興味を持つ。そこで、今日みたいに無料サンプルを渡す。サンプルって言ってもそこそこ量があるから、どうしても続けて塗っちゃう。そう、効くんだよね、この美白クリームは。


「高レベルのステロイドが入ってるからね」


 化粧品には絶対に使用できない、レベル5のステロイドを高濃度に含む美白クリーム。製造・販売していた会社は、薬事法違反で摘発されてとっくの間に倒産している。でも、その社で抱えていた在庫が廃棄処分されていなかったんだろう。それが、社にいた従業員によって持ち出され、影で未だに流通しているってこと。明らかに効果のあるクリームなら、市販商品の十倍や二十倍の値段であっても購入しちゃう。教室にまんまとおびき寄せられたカモにヤバいブツを売り切ったら、先生ともどもどろんするわけだ。カモに健康被害が出る頃には、訴える相手が姿を消してしまう。


「何が一年通ってるよ。ウソばっか。これは、さすがにしゃれや冗談じゃ済まないなー」


 そうよ。私は地黒じゃない。私の顔の黒ずみは、有害化粧品を使ったことによる黒皮症の名残なの。村井っていう偽名使ってた女、私のことをすっかり忘れてるのかしら。悪徳メーカーの製品で黒皮症になった被害者が起こした集団訴訟。その原告団で一緒だったのに。白くなった途端に今度は騙す側か。世も末ね。


「顔は白くても腹ン中真っ黒。故意犯なら、詐欺じゃなくて傷害よ。警察に通報するか……」



【 了 】



+++++++++


【三題噺】クリーム、教室、桜

見出し:白も黒もどっぷりわけありなんです

紹介文:還暦を過ぎてから運動量が減り、体操教室を探していた『私』。近所の知り合いに誘われて、一緒に個人教室の体験に参加しますが……。

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