苦行

“苦行は、達成されないから苦行であり、達成されないことが悟られているからこそ苦行であり続ける”


◇ ◇ ◇


 空き地の隅で。大きな石を持ち上げたまま、イワオが足元の小人を見下ろしていた。小人は、自分が危機的状況にあることを知らずにこんこんと眠り続けている。


 イワオが軽々と石を保持しているのならば、それは大したことではない。だがイワオにとって、大きな石を持ち上げ続けることは想像を絶する苦行だった。石をその場に降ろせば楽になる。しかし真下に石を降ろせば、そこで眠っている小人を圧死させてしまうことになる。苦行を終わらせるためには石を別な場所に置かなくてはならないが、イワオにはその選択肢が用意されていなかった。


 イワオは歯を食いしばり、脂汗を流しながら大石を持ち上げ続けた。イワオの呻き声を聞きつけたタケミが、何かあったのかとぱたぱた走り寄ってきた。


「ちょっとイワオくん、何やってんのよ!」

「見……ての……通り……さ」

「そんな石、さっさと下ろせばいいじゃない」

「下に……小人が……いるんだ」

「へえー」


 タケミは、小人に関心を移すかと思いきや、それを一瞥しただけですぐにイワオに向き直った。


「ねえねえ、イワオくんてさ、そんなに優しかったっけ?」

「……」

「そんなんどうでもいいって、すぐ石を降ろしちゃうと思ったんだけどなー」


 タケミの放言には一切の容赦がなかった。そしてイワオは、心底思い知らされる。大きな石だけでなくタケミの示す態度もまた、苦行として己に課せられているのだと。


 イワオが黙ったまま石を持ち上げ続けていることに焦れて、タケミが苛立ったような声を上げた。


「下の小人が気になるなら、別のところに石を置けばいいじゃない!」

「別の……ところって……どこ?」


 呆れたように、タケミがあちこちを指差す。


「そこ以外ならどこでもいいじゃん!」

「そうは……行かない」

「どして?」

「別の……ところに……置こうと……すると……そこに……眠っている……小人が……現れるんだ」

「は?」


 きょとんとした表情で、タケミがイワオの顔を覗き込んだ。


「それ、まじ?」

「嘘を……ついても……しょうがない」

「ふうん」


 融通が利かないイワオの姿勢は、タケミにはどうしても理解出来ないのだろう。何度も首を傾げながら、タケミが煽動を続けた。


「いいじゃん。小人の一つや二つ潰れても。他にもいっぱいいるんだから」

「小人は……ね」


 イワオは知っていた。タケミのそそのかしに騙されて石を置くと、それで全てが終わりになってしまうことを。だから、大きな石の重力に必死に耐え続けていた。石の制御に意識が集中し、小人やタケミのことを考えずに済むのは、むしろ幸運のように思えた。


 イワオを散々イジっていたタケミだったが、イワオが挑発に全く反応しなくなったので、渋々イジりを諦めた。


「ふん。またねー」


 短くそう言い残して。タケミが空き地を走り出て行った。


◇ ◇ ◇


 タケミの化身を解いて天界デルフォイに戻った復讐の女神エリニウスは、どうにも腑に落ちなかった。イワオはシジフォス。自分のそそのかしに嵌ってシジフォスが石を置けば、それは直ちにシジフォスの手元に戻り、しかもそれが前の石よりも大きく重くなっていく。ゼウスから聞かされていたのは、そういう刑罰だった。だが、苦行に耐えかねたシジフォスが持ち上げた石を降ろそうとしたことは、気の遠くなるような長い年月の間で最初の一度しかない。それ以降どんなに挑発しても唆しても、シジフォスは頑として石を下ろそうとしなくなった。

 ずっと疑問を抱いたまま無為に同じことを繰り返すのは、シジフォスにとってではなく自分自身にとっての苦行に等しい。そう考えたエリニウスは、ゼウスに刑罰の真意を質すことにした。


「ゼウスさま。ずいぶんと生ぬるい刑罰ですね、シジフォスにとっては、前の大岩運びの方が苛烈だったのではありませんか?」


 ゼウスは、眉間に深い縦じわを何本も刻んで、重々しくそれを否定した。


「いや、刑としては前の方がずっと軽い」

「なぜでございましょう?」

「あれは単なる使役じゃ。岩を山頂に担ぎ上げるまでの間は、シジフォスの意志や思考を妨げるものがない。そこに自由が約束されておる。最後に残る徒労感が、労役に加わるだけじゃ。生ぬるい」

「今のは、労役がうんと軽いと思うのですが?」

「その分、お主の誘惑や小人の存在が、精神に耐え難いほどの重荷を課す。段違いの

苦行になっておるであろう」

「うーん……わたしの誘惑はともかく、小人はシジフォスにとって特に石を持ち上げ続ける動機にならないと思うのですが」


 ゼウスは、エリニウスの浅慮に深い失望を覚えながら大きな溜息をついた。


「のう、エリニウス。わしやお主を創っておるのは誰じゃ?」

「は?」


 エリニウスには、そういう発想が一切なかったのだろう。大口を開けたままゼウスの渋面を見つめた。


「神界を創っておるのは、取るに足らぬように見える小人。すなわち人間どもよ。きゃつらの想像力が、我らの世界を作り上げている。シジフォスが石を落とせば、我らを作り出す人間がいなくなる。シジフォスだけではなく、我らもまた存在しえなくなるのじゃ」

「ひっ」


 一瞬にして、エリニウスの顔から血の気が引いた。


「架空の創造物が実在する創造者をあやめるのは、まさに親殺しのパラドックスよ。その矛盾を回避して己を保ち続けたいのであれば、あやつは未来永劫石を持ち上げ続けなければならぬ」

「……」

「それが、いつ終わるとも知れぬ苦行であってもな」



【 了 】



+++++++++


 自主企画「1シーンから連想して物語を書く」コンテスト参加作品。


【お題】

・空き地の端っこで、イワオが、歯を食いしばって重たい岩を持ち上げている。

・イワオの足元には、スヤスヤと気持ちよさそうに眠っている小人がいる。

・イワオの姿を見つけたタケミが、慌てた様子で駆け寄ってくる。


【ルール】

1・この状況から連想される「その後の展開」を書く。

2・5000文字以内の物語、又は、プロット状態、アイデアのみでの参加もOK。

3・「空き地の端っこ・岩を持ち上げる男・足元で寝ている小人・慌てて駆け寄る女」という状況さえ守っていれば、描写を自由に変更して構わない。

4・イワオ・タケミ・小人の年齢は自由。ジャンルも自由です。


 ……というレギュレーションでした。


見出し:その石、とっとと降ろせば?

紹介文: 空き地の隅で、大きな石を辛そうに持ち上げているイワオくん。それを見かけたタケミちゃんが、どうしたのと駆け寄りましたが……。


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