二、十分でいいから寝かせて。一生のお願い

「カズト! いつまで寝てんの! また遅刻するよ」

 ドアの外で母ちゃんが怒鳴っている。


 でも眠い。あと十分。一生のお願い……。


 その願いも虚しく、いつの間にか部屋に入ってきた母ちゃんに布団を剥ぎ取られ、尻を叩かれた。いい年をしてみっともないけれど、これ以上遅刻すると親が呼び出しを食らう。俺はのろのろと起きた。


 母ちゃんが窓を開けると、秋の風が入ってくる。睡眠が取れていれば爽やかないい風なんだろうが、今は目に湯を差されたようでしゃっきりしない。


「何、その顔。夜更かししすぎ」

 俺は唸るように返事をして顔を洗い、牛乳でトーストを流し込んで朝を摂った。


 カバンをつかんで家を出る。空は高い。ぎりぎり間に合うくらいのスピードで歩く。一時間目はあまり厳しくない先生だから居眠りをしようと決めた時だった。


「おはよ!」

 後ろから肩をばんと叩くのはサツキだ。正面に回り込む。


「行ったの?」

 俺の顔を見、少し小声になった。


「うん、ゴブリン退治。十体」

「やっぱり、週ニ、三回のペースか。じゃ、次はあたしかな」

「交互とは限らないけどね」

「いつまで続くのかな。こんなの」

「さあな。じゃ、詳しい話は昼休みにでも」


 高校に着き、それぞれの教室に入った。俺は早速居眠りを始め、睡眠不足を取り返しにかかる。

 熟睡してしまってはいけない。頭がすっきりする程度に眠るが、授業も聞き、不意に当てられても答えられなくてはならない。そのあたりの調節はだいぶできるようになった。

 おかげで、周囲からは「クラシマ式睡眠学習」とか「薄眠りのカズト」などというあだ名をつけられてしまった。


 そうやって午前の授業をやり過ごし、昼食をさっさと片付けるといつもの場所に向かった。旧校舎わきの物置の陰になったところ。目立たずに話ができる。


「サイトウさん。早いね」

 彼女はスマホをポケットに入れてこっちを見た。小柄で、背は俺より頭一つ以上低い。制服を着ていなければ男子のようだ。

「うん、まあ。それで?」


 俺は昨夜の経験を話した。これはお互いの取り決めで、召喚されたらその時の様子を伝え合う事になっている。そうやって少しでもあっちの世界について知り、状況を変えるのが目的だ。

 でも、新しい情報なんてない。サツキの表情が曇る。


「召喚主の名前も分からない」

「うん、姫ってだけ」

「何ていう姫か、どこの国の姫かも分からない。あたしたちが呼び出されるのは怪物退治の時だけだし」


 サツキは思い出すように首を傾げる。


「八ヶ月くらい? こうなっちゃって」

「そのくらいになる。初めて呼び出されたのが冬休み明けの最初の週だから」

「あたしは二月の頭だけど、その時から分かった事なんてほとんどないわね」

「あの指輪、奪えないかな?」

「無理。命令には逆らえないし。そもそも姫に触れないじゃない」

「何とかして注意引けたらな」

「うん、用が済んだら即送り帰されちゃうもんね」


 初めて召喚された翌朝、いやにリアルな夢だなと思った。でも、何度目だったか、あっちで怪我をすると、そこが痣になっていた事があった。その時は順序が逆で、寝ているうちに痣になるほどどこかにぶつけたので、つじつま合わせの夢を見たのだと考えた。

 また、起きた時、ひどく疲れているのは夜更かしとか、前日の体育のせいとか、風邪の引き始めとか、いちいち理由をこじつけていた。


 そんなある日、三月の終わり頃だった。自分と、もう一体精霊が召喚された夢を見た。半透明の人型。水の精霊、ウンディーネと呼ばれ、俺がうじゃうじゃいる雑魚怪物をまとめて焼き払っている間に、大型の怪物と戦って滅ぼした。


 その次の朝、登校時に偶然サツキを見た時、俺はびっくりして立ち止まった。向こうもそうだった。


「ウンディーネ……」

「サラマンダー……」


 ささやくような小声で呼び合い、情報交換するうちに、これは夢じゃなさそうだという事になった。

 それから、サツキの提案で、自分のベッドを撮るようにカメラを仕掛けてみた。

 数日は無駄だったが、召喚された夢を見た翌日に再生すると、召喚されていた時間分、ベッドから消え、また現れた。それはサツキも同じだった。

 また、昼間や、起きている時に召喚される事はなかった。できないのか、そうしないだけなのかは分からない。


 二人で相談し、秘密にすると決めた。誰も信じないだろうし、親に心配をかけても仕方がない。

 でも、不安がないわけじゃなかった。


「怪我は痣になる程度だけど、もし……もしよ、向こうで死んだらどうなるのかな」

「分からない。そもそも精霊って死ぬのか」

「怪我するんだから死ぬんじゃない? あたし、あの怪物に噛まれた感触、今でも覚えてる」


 サツキが右腕をなでる。


「痛かった?」

「うん。腕ちぎれかけたからね」


 昼休みが終わり、別れる時に、彼女はぽつりと言った。


「火の精霊とか、水の精霊って言うけど、ただの奴隷よね」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る