第15話 Shell of the Bottom
町では酷い病が流行っていた。
行き交う人々は暗い表情で、俯いたまま歩きながらも他人を睨む。咳き込む者をみかけた途端、村八分にする連中が現れる始末だ。幼い子供や年老いた者たちは家から出ないようにと言いつけられて、違反した者は白い目で唾を吐きかけられる。
世も末だ。
こうして社会というものはカタチを崩していくのだろう、などと唇の端を歪めて笑う。座敷の隅に捨て置かれたままの私は、病気によって社会が激変しようとも変わらないのだから。変わるはずもないのだ、私の生活は。
生まれてからずっと、この部屋に閉じ込められているのに。
溜め息は誰の耳にも届かない。
私は、ここで一人。ずっと一人のまま消えていくのだと、そう思っていた。
少なくとも、あの日までは。
*****
病気が流行り始めてからひと月以上が経って、私が暮らす部屋に放り込まれた少女がいた。どうやら母親と喧嘩をしたようだ、という断片の情報しか持てない私でも彼女がおかれた立場は分かる。
外へ出るな、内で遊べ、家で出来ることを考えろ。親が告げるありがたい言葉の数々を取り込むことの出来なかった彼女は、この牢獄へと放り込まれたのである。
「いらっしゃい」
それは、冗談だった。
彼女に私の言葉が届くはずがなかったのだ。
だけど彼女は私を一瞥すると、こう言ったのだ。
「綺麗ね、あなた」
少女は瞳を輝かせて、牢獄に閉じ込められた私を見つめるのだった。
******
部屋に無数に張られた御札は、病の終息を祈ったものではない。私に向けられた呪詛の類だ。私がこの部屋を出られない原因であり、私が社会というものと断絶している理由でもある。
退屈な毎日だ。病気で著名人が死んでも、不慮の事故で無辜の人々が死んでも、私の生活には何一つの感慨をもたらさない。身体の自由が利かない私は逃げることもままならなかった。でも、その生活を恨むことはない。
御札に込められた願いと意味が失われていくことで、私と彼女を繋ぐ要因にもなったのだから。
今日も天井を眺めていた。古い畳の上に寝転ぶ私を、そっと彼女は抱き上げる。彼女は私を撫でてくれる。慈しむように、それはきっと、愛という言葉が相応しく。
「ずっとここへ閉じ込められているの?」
「うん」
「じゃ、今日から私と友達になってくれる?」
「優しいのね」
彼女に抱き上げられたまま、時間は過ぎる。他愛もない話、彼女にとっての大事な話、色んなことを言葉にしたと思う。でもそれは、世界にとってはあまりに短くて、存在すら疑うような刹那だった。
彼女の親が閉じ込めた……つまりは罰を与えたはずの娘が、反省の色一つみせないことに腹を立てたらしい。彼女をこの部屋に連れてきた時とは比べ物にならないほどの怒りを携えて、私を睨み付けて去っていく。
舌打ちは、とげが刺さるようだった。
*****
あの日を境に、私の生活は一変した。宗教色に染められた不自由で退屈な毎日が彼女の登場によって途端にバラ色になったのだ。いや、虹色と呼ぶのが適切だろう。彼女は私に外の世界を教えてくれた。私は彼女に色褪せない過去のすべてを教えてあげた。そうして均衡のとれた閉じた世界が完成したかにみえた。
彼女がはじめて私の部屋を訪れてから。
あの日から、どれだけの時間が経っただろう。
数えきれない時代の変遷を目の当たりにして。
耐え消えれない時代の変化をその身で受けて。
それでも彼女は私の元へと訪れてくれている。
病気は流行っていた。昔とは違う病だったけれど、人々の反応は変わらない。限りなく嘘に近いまじないは信じるくせに、都合の悪い真実からは目を逸らしたがるのだから。彼女が大人になって社会へと羽ばたいているのに、私はまだ部屋に閉じ込められていた。流行り病が収まったとしても外へ出ることは叶わず、たとえ出たとしても私の望みは叶わない。
自由など存在しないのだ。
この不自由な身体では。
彼女がわたしの部屋を訪れる頻度も減っていく。
それを悲しいと思えなくなっていくのも。
あぁ、それが私なのだな、と思うだけだった。
*****
大人になった彼女が私の元へ訪れて、一言だけ。
「あなた、喋らなくなったわね」
身体の自由が利かないのは昔も今も同じ。
言葉が通じていたのは、彼女と波長が合っていたから。
「仕方がないわよね」
と彼女は呟いた。
「あなたは、人形なんですもの」
ボロボロになった私を、御札を剥がさないまま、彼女は撫でる。
そんな彼女を、私は。
好きだなぁ、と思うのだった。
倉石の短編倉庫 倉石ティア @KamQ
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