第11話 革命前夜
騒動は昨晩から続いている。
「闘争だ! 闘争だ! 闘争だ!」
誰よりも高い位置から声を張り上げているのは、この山を治めるリーダーだった。
冬の寒い空の下、山に住むものを集めたのも彼だ。
一晩中叫び続ければ喉に血が滲むだろうに、素知らぬ顔で聴衆を煽り立てる。この我慢強さがあったから、彼はリーダーにまで上り詰めたのだろう。天性の才を輝かせるには今この瞬間しかないとばかりに、一層大きな声をあげる。
「山は財産だ! 至上の宝だ! 誰のものか?」
リーダーが熱心な聴衆の一人に指を向けると、彼女は突如「我々のものだ!」と声を張り上げた。リーダーよりも高く、よく通る声だった。リーダーは満足そうに頷き、次々に観客を指名していく。指を向けられた彼らのことごとくが、一様の答えを返した。
誰もがリーダーに指名される瞬間を待ち望み、同様の答えを返して群になることを渇望している。その異様な光景は曙の光に包まれて、薄ら妖気が漂うようでもあった。
「宝の山だった。至福の生活だった。それが、今はどうか?」
どうか? どうだ? どうだった?
リーダーの声を反芻するように、観客たちがさざめく。熱狂は瞬時に陰鬱な雰囲気へと変わり、虚ろな目で過去に思いを馳せる者まで出る始末だ。里の人間達に木々を切り倒され、野草やキノコ、栗や柿などの食物を奪取され続けたことに怒りを燃やしているのだ。栄養が不足して痩せぎすの我が子を見ながら、悔しさに涙を流しているのだ。
山に住まう彼らは、里の人間達と交流をしたことがない。するつもりもない、と彼らは思っていた。それが闘争という形で、暴力によって実現されるとは、リーダーの言葉を耳にするまで考えたこともなかったのだ。
悲しみが充満した頃に、自分も沈痛な面持ちをしていたリーダーが顔を挙げた。勢いよく両の手を合わせると、辺り一帯に音が響いた。それは夏の縁側に響く風鈴のように涼やかで凛々しい音だった。
過去へ意識が遠のきかけていた群衆も顔をあげた。その瞳には、縋るような光が湛えられている。
「今こそ取り戻す時だ。山は我々の財産だった。先祖から受け継いだ宝だった」
語り始めは静かだった。
しかし薄皮を剥がすように、徐々に感情があふれ出してくる。
「大切なものだ。大事なものだ。そして、生きていくために必要なものだった! 里の人間どもに、おいそれと手渡してやるわけにはいかんのだ!」
彼が拳を振り上げると、群衆の中でも特に熱心な者たちが真似をした。熱狂は伝播して、やがて聴衆すべてがリーダー同様に拳を振り上げる。瞳には煮え滾る想いが渦を巻いていた。
満足そうに溜息を吐いて、彼は最後の声を張り上げる。
「諸君、革命を起こせ! 正義は我々の元にある!」
山に勝鬨が響いた。何かの始まりを予感させるそれは、山の神にとっては終わりを示すものにも思えた。リーダーが先陣を切ると、次々に聴衆たちが山を駆け下りていく。山里へと強襲を掛けるつもりか。圧倒的な戦力差と過去の失敗から、彼らは何も学ばないのだろうか。
神は彼らを眺めながら嘆息した。無理もない、所詮は猿なのだ。人間ほどの知識も、退く勇気も持ち合わせいないのだ。神は諦観して、ふと、自分の足元に二匹の子猿がじゃれているのを見た。他の猿達が欲と毒に飲まれていく最中、彼らだけは自分の世界に引き籠っていたために精神も自由だったと見える。
「君達は闘争に賛成なのかい?」
罪もなければ危機感もない子猿達に、信仰を失い力を持たない神が声を掛ける。
「賛成だよ! だって、この山から逃走するんだよね?」
「人間は嫌いだもん、はやく遠くに逃げちゃおうよ!」
「あっ、もうみんな行っちゃった! ぼくらも行くぞ!」
心からの笑顔を浮かべて親の後を追いかけていく子猿を呆然と見送る。
神は苦虫を嚙み潰したような顔になった。
そして三日後、うず高く積まれた死骸の山に、神は己の無力を呪った。
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