第8話 予死夢
自殺する夢を見た。数日前、病院で臥せっていた時の出来事だ。
当時は意識も朦朧としていて、私は生死の瀬戸際どころか、黄泉の国の入口を徘徊していたらしい。医師も半ば治療を諦め、死亡手続きをする準備ばかりが着々と進んでいた。
私は夢を見ていただけなのに。
予め死んでいたという意味で、これを予死夢と名付けよう。
閑話休題。
夢の中で私は、背丈の低い少女になっていた。高校生になったばかりだろうか、身体も未発達な少女だ。標準的な軍用装備を身に纏い、「鬼ごっこ」と称して戦地を駆け巡り他国の人間を殺すのだ。国籍も人種も思想も何も考慮せず、目の前にいる誰かを殺し続けることが私に課せられた使命であり、上司から与えられた命令だった。
無論、これほど無謀な攻撃に完璧な作戦など存在せず、時折私は撃たれて大きな怪我を負った。爆発に巻き込まれたこともあるし、どこからともなく現れた少年に右脚の太腿を刺し貫かれたりもした。
しかし夢とは便利なものだ。私は死ぬことができず、軍の病院から抜け出しては夢遊病者のように戦地へと赴き人を殺す日々を送っていた。最初は義務的だったそれが、快楽へと変わっていくのだ。恐ろしいぞ、人間から悪魔へ、悪魔から怪物へと精神が変化する様を感じ取りながら生きるのは。
怪我を治療しては戦場へ、そして再び病院に搬送されるという行動を繰り返すうち、確固たるユメが私の身体で疼くようになる。死への憧憬と穏やかな期待だ。次第に私は、隣に立つ男を心中の相手に定め彼と行動を共にするようになった。
その男は死神と呼ばれていた。彼と行動を共にした部隊は壊滅状態に追い込まれ、しかし敵は殲滅の憂き目にあうのだ、軍が彼を重用しないわけもない。なぜか死なない豪運を活かして、私は彼と同じ隊に配属されることになった。現実味が薄い? そんなことを言わないでくれよ。これは現実の戦争ではなく、あくまで夢、ゲームの世界の話なのだから。
私と彼は恋愛感情で結ばれていたわけではない。なぜなら私は女性を愛していて、彼も似たような悩みを抱えていたからだ。
彼は元々ストレートの人間だった。しかし戦場に身を置く内に、それまでとは違う自分の存在を確信するようになっていったそうだ。心情が変化しつつあることに気付き、自ら周囲との距離を置くようになった。そんな彼にとっては、私のように、歪な切欠であれ頼ってくれる相手がいることは心強かったのだろう。いざとなれば死ねる、それもひとつの言い訳として機能していたのかもしれないな。
さて、ある日私達は絶体絶命の窮地に追い立たされた。四方を敵に塞がれ、逃げ場はどこにもない状況だ。死なずの拷問は屈辱的敗北だと教わって来たし、死ねずに苦痛を味わうのは真っ平ごめんだった。もう死ぬしかない、それが私達にとって唯一の希望になった。
そして互いの額に銃を当てた。彼は、これまでに見た誰よりも笑顔だった。私達は、同時に引き金を引いたのだった。
普通ならここで話は終わりだろう。でも、私は終われなかった。
ようやく死ぬことができた、と思った私は乗用車の中にいた。十代と思しき若者たちが騒いでいる。糞の掃き溜めだな、と直感的に悟った。昂ぶっていた感情が急激に冷めた。死への感動で流した涙は「私が彼らの同類だった」という事実が私に突きつけた屈辱への怒りで蒸発してしまった。
夜の道を行く彼らは酒を飲んでいるようだった。寝ていた私は、だから運転をしなくてよかったらしい。目覚めた私を見て、車内が動物園ほども煩くなった。寝ている間に酔も冷めただろう、と私は運転手と立場を交代することを強要された。無論、断ることなどしなかった。
もう、誰にも邪魔はさせまいと固く誓いを立てた。
シートベルトは? という質問に、車内からは嘲笑と急かすような声が返ってきた。それが君たちのお望みならば私は容赦しないよ。
唐突にアクセルを踏み込むと、車内は瞬時に阿鼻叫喚の渦に飲まれた。知っているかな? 急ブレーキとアクセルを繰り返すことで、自動車は人間ミキサーになるんだよ。
乗車制限を超えて乗り込んでいた彼らは、互いに頭を打って静かになった。
誰も喋らなくなった、静謐を体現したかのような空間。誰も、反抗する勇気や逃走する意志など持ち合わせていないようだった。目的を切り替え、夜の、遠く先までは見えない直線道路へと向かった。
窓を開けると、心地よい風が車内に吹き込んでくる。あぁ、気持ちがいい。これから私は、望んだ楽園へと飛び立つのだ。
これほど興奮することが、他にあるだろうか?
思い切り、アクセルを踏み込んだ。
加速を続ける乗用車、法定速度の2倍近くまで加速したそれは、曲がり角に差し掛かっても落ちることはない。ガードレールを突き破って、人命救助の手が及ぶことなどない世界へと、乗用車は飛び出していく。
ようやく訪れる絶望的死亡への希望的観測で、私の胸が一杯になり、そして……。
***
目が覚めると、そこは病院のベッドの上。
気持ちのよいことではないが、あの車両事故だけは本当にあったことらしい。
私だけが生存者だったことを知らされた。
あれから一ヵ月。快方へ向かい、私はもう歩くことが出来る。
だからこうして、病院の屋上から、フェンスを乗り越えて。
遠く、数十メートル下の地面へ、今からキスをしに行くのだ。
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