第7話 枕営業

 俺には、親しい友人にしか伝えていない趣味が幾つか存在している。そのひとつが枕の収集だ。子供染みた趣味でもないのだが、人とは違っていることを理由にあまり話せずにいる趣味である。

 この収集癖の発端となったものは自身の不眠症だった。一人部屋を与えられた小学生低学年の頃から、およそ三年近く悩まされていたことを覚えている。両親に迷惑を掛けまいとずっと黙っていたけれど、眠れない日々というものは辛かった。

 そして、ある日突然、無理が祟った結果として学校で倒れた。原因が不眠症だということで両親ともども校医からお叱りを受けたことを覚えている。その日の夜、久しぶりに両親の寝室に入室する許可を与えられたんだ。久しぶりに入ったその部屋は、朧げな過去の記憶とは違う、柔らかで静かな場所だった。

 両親の趣味は枕の収集で、集めた物は使ってこそ価値があると言ってくれた。そうして俺は、両親の指導のもと、どの枕で寝ると心地よいのか、気分と体調と直感で選択する日々を送るようになった。

 そして一ヵ月もしないうちに、俺は枕って奴の魅力に取りつかれてしまったのだ。中学生の頃まで部屋にあった枕は両親が購入してくれたものだったけれど、高校生になってバイトを始めると、今度は身銭を切って枕を買うようになった。いや、なんだか業が深いな。

 家には、今も昔も所狭しと枕が並べられている。その種類も多種多様と言わざるを得ず、抱き枕はもちろんのこと、膝枕専用の枕まで存在していたりする。マンションだぞ? 一軒家みたいに部屋数も多くないのだから仕方ないのかもしれないが、俺は早く枕を収納する専用の個室が欲しい。

 枕の品揃えで注目するべきは、種類だけではない。形も花びら、雫、犬や猫、果ては人間の胸部を模したものまで揃えられているのだから呆れてしまう。俺は素材や材質に強いこだわりがあるが、それの薄い両親は枕であれば何でも揃えてしまう困った性癖の持ち主なのだ。まあ、他所様から見れば五十歩百歩、同じ穴の狢が喧嘩しているようにしか見えないだろう。

 閑話休題。

 これほど変態的な趣味の持ち主である俺にも彼女というものがいた時期がある。高校時代に共通の友人を通じて知り合った、ひとつ年下の女の子だった。お世辞にもスタイル抜群の美女だったとは言えなかったが、優しい性格の持ち主で、誰からも好かれていたことを覚えている。

 恥ずかしい話、俺は彼女に膝枕をして貰う、ということに対して少なからぬ憧憬を抱いていた。もし彼女がそんなことをしてくれたら、すぐにでも結婚してくれって申し込むつもりでいた程である。まあ、高校生特有の後先考えない無鉄砲なロマンチシズムだって思ってもらっても結構だ。

 それでも俺は、彼女のことが好きだったんだ。

 彼女との付き合いは一年弱続き、俺が高校を卒業すると共にご破算となった。理由は単純明快で、離れ離れになっても愛情が継続するなんてことを信じられなかっただけだった。主に、俺が。

 一方的に別れを切り出して逃げた俺は、恐らく彼女に恨まれているだろう。最初の内は一週間に一度くらい送られてきたメールも、返信をせずに放置していたら来なくなった。俺と彼女を繋げてくれた共通の友人からも責められて、大学一年生になってから一度だけ彼女と会う機会を設けたことがある。彼女がまだ高校生三年生だった冬のことだ。

 そこで俺は、内心に秘めていた想いをぶちまけた。彼女に嫌われることが怖くて、だから自分から別れを切り出したのだ、と。彼女は怒ることなく、むしろ悲しんでいるようだった。

「私はそんなことしない。今もこんなに好きなのに」

 彼女は、どうしようもなく、優しくて前向きな女の子だった。

 でも、考えてもみてほしい。俺のことを彼女が愛してくれているとして、それが本当に真実だとして、その事実が変質してしまったらどうだろうか。その絶望を考えると、俺は怖くて夜も眠れない。

 絶対に変わらない愛情が信じられないんだ。それこそ、身を呈して示されでもしない限り。

 閑話休題。

 そんな相手から贈り物が届いたとき、どんな顔をするのが正解なのだろうか? 一抱えもある大荷物だ。着払いで送られてきた辺り、何かしらの嫌がらせかもしれないが。誕生日でもないのに、どうしてこんなものが送られてきたのだろうか。理由を尋ねる為に電話を掛けようかとも思ったが、それはなんだか間違っている気がする。

 段ボールを開くと、費用の半分は負担してね、と書かれた紙が一番上に乗せられていた。なんだ贈り物じゃなかったのか、と半ばげんなりしつつ発泡スチロールの容器を開封すると、何やら重々しいものが出てきた。ふむ。

 人間の太腿を模した膝枕だった。ズボンまで履いている。

 なんだ、これは。初めて見る製品だな、どこの枕だろうと持ち上げる。結構重たい、質感と質量に気合を入れる会社なのだろうか、すると心当たりがないわけでもないが。

 不思議なことに、会社名を示すタグはどこにも付けられていなかった。ふとズボンを脱がすことは出来るのだろうかと疑問が浮かび、実行に移してみることにした。なるほど、桃色の下着まで履いている。これ以上はいけない、というか両親にも見せられない。

 これは新手の嫌がらせかな?

 露わになった肌の部分を擦ってみると、確かに人間の肌に限りなく近い質感だった。というか、人間そのものだ。試しに俺自身の太腿を擦ってみた。……ダメだ、枕に負けている。改めて枕に手を触れると、お尻にあたる部分が予想以上に柔らかくて指が沈み込んでいった。

 ふむ、これはすごい。とりあえず、ズボンは戻しておこう。万が一にも両親に見られると冷やかされてしまいそうだ。彼らも似たようなものを持っているはずなんだがなぁ。

 他に何か入っていないものかと段ボールを漁ると「枕営業始めました」などと書かれた紙が同封されていた。こいつはとんでもないジョークだな、と俺は笑ってしまった。喧嘩を売られているのかとも考えたが、彼女はそんなことをする子じゃない。そもそも、枕営業なんて絶対にやらないだろう。やったら俺が泣く。

 ……ふぅ。取り敢えず、使ってみることにするか。

 適当に時間を潰し、荷物の中身について尋ねてきた両親には偽った内容を報告しておいた。飯を食べて風呂に入り、就寝時間になったことを確認して、俺は元カノから送られてきた枕を設置する。うむ、女性の下半身を模しているだけあって、絵面はかなり変態的だ。

 そっと頭を降ろすと、想像以上に心地よかった。低反発枕なんて比じゃないくらいに気持ちがいい。全身を愛で包み込まれている感覚といえばいいのだろうか、楽園って今みたいな気持ちになれる場所を指すんじゃないかな。

 ……ああ、何も考えられなくなっていく。

 魔法にでもかけられたように意識がゆっくりと沈み込んでいく。

 視界が真っ暗な闇に染まり、悩みは溶けて消えていく。

 どこかで聞いたような声と、何かが鍵を開く音、そして全身を包み込む温かな感触に心の底から癒されつつ、俺は眠りについた。


 ***


 小鳥の囀りで目を覚ました。

 全身から疲れが抜けて、悩んでいたことも消えた気がする。永遠の愛情を無神経に信じてもいい、という気分にもなっている。すごいなあの枕、昔の俺に使わせてやりたいくらいだ。

 さて。

 なぜか元カノが俺のベッドで眠っていることを除いて、いつも通りの朝だ。おかしいところはひとつしか見当たらないが、それが致命的なんだよなぁ。

 彼女は高校の時にみたパジャマとは違うものを着ていた。胸元がきついと愚痴をこぼしていたし、そういうこともあるよな。うん、その辺りは別に疑問じゃないぜ。

 どうして彼女がここにいるのか、ということが問題なのだ。枕営業がどうの、と昨日見た紙に書いてあった。まさか、そういうことか? だけど昨日は『そういうこと』をした記憶がないし、彼女はそういうことに耐性がある女性じゃなかったはずだ。

 全く、理解が追いつかない。

 枕営業と言えばぼったくり、そして翌日から送られてくる大量の脅迫文というものが俺の抱くイメージだ。元カノがそんなことに関わっているなんて考えたくない。つーか、なんだこの状況。両親はいつ彼女を家に上げたのだ。

 何か手掛かりはないものかと段ボールを漁る。昨日は気が付かなかったが、二重底になっていた。仕様書、などと書かれた紙切れが差し込まれている。燃やしてやろうか、と首を捻った。

 愛を確かめるオトナ枕、が昨日送り付けられた枕の商品名らしい。胡散臭いが、現場の状況を見る限りその認識に間違いはないようだ。愛を確かめることは出来なかったが、子供には刺激が強すぎるだろう。朝、起床した直後に好きな人が傍で眠っているわけだから、心臓が弱くて純粋な心を持った少年などはショック死してしまうに違いない。

 仕様書を最後まで読み進めると、現金による支払いが不足していましたから、銀行預金から引き出しておきましたという旨の記述がなされている。まさかと思って財布を確認すると、確かに中身がなくなっている。代わりに、電話番号とメールアドレスの書かれた紙が仕込まれていた。もしやと、連絡を取ってみる。すると、三回目のコールで受話器のあがる音が聞こえた。

「はい。こちら枕営業専門店、『恋人繋ぎ』でございます」

「……あ、えっと、先日そちらの商品を使用した者なのですが」

「どちらの商品でしょうか」

「えっと……『愛を確かめる……』……はい、そんな感じの」

「申し訳ありませんが、ご使用後の返品及び返金は承っておりません。お手数ですが、製品に関するご質問やご意見などは、親会社の『超常現象研究科マキナ』までお願いいたします」

「は? あの、ちょっと……切断しやがった」

 誰も突き返すなんて言ってないだろ。

 そもそも、これほど電話窓口での対応が下手糞な企業ってあっていいのだろうか。会社名をちゃんと調べて、メールでの苦情申し込みをすることも辞さないぞ。

 仕様書をもう一度読み返してみる。超常現象を引き起こす可能性がある、大人向けのジョークグッズだと書いてある。そもそもどんな超常現象なのか、と思ってじっくり文章を眺める。

 まず、被験者の太腿を基にした膝枕が制作され、対象者と呼ばれる存在の家に送り届けられるそうだ。対象者が被験者モチーフの膝枕を使い睡眠状態になることで特異性が発揮され、被験者が対象者の元へ送り届けられる。それで、すべての現象は終了するらしい。それだけ? いや、転移装置が存在するだけでも信じられないのだが。とりあえず、目の前に彼女がいるのだから、ある程度は真実なのだろう。そもそも、オートロックのマンションに両親と住んでいるのだ。彼女が勝手に部屋へ上がることなど出来やしない。

 愛も亀裂も深まること間違いなし! と物騒なことが書いてある。

 俺達の明日はどっちだ。

 眠っている彼女を起こさないように、そっと寝転んでみる。場所は勿論、彼女の膝の上だ。――うむ、昨日の膝枕と今日の膝枕に感触の違いはない。なるほど、ふむ、いや、これから俺は何をすればいいのだろうか。

 身体を起こして唸っていると、彼女が目を覚ました。眠そうに目をこすっている。

「……ん? ここは……」

「あー、おはよ。よく眠れたか?」

 その目が驚きに見開かれるのを見て、彼女もこれを信じていなかったんだな、と直感的に悟った。そして俺はクソみたいなダメ人間だから、こんなときに何を言えばいいのか分からない。

 だから、こんな、変な言葉しか言えないのだ。

「膝枕、ありがとうございました」

「いえいえ、こちらこそ……」

 二人して頭を下げて、困惑と笑いの渦に飲まれる。

 折角だ。もう一度、二人で話し合ってみよう。

 その結果、俺達の関係がどうなるか。

 それは、きっと別の話だな。

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