6 ほんのひとさじの嘘




 困った先輩たちもいたものです――と、はるはつぶやく。


 そうだな、と公広きみひろが苦笑する。


 しんみりとした空気。テーブルを染める夕陽が感傷を誘う。

 上映会を終えた遥は、映研の部室で公広と二人きりになっていた。


 こんな状況、前に覚えがある。


(片付けの時とか……わたしがきみ先輩のこと気にしてたから、気を遣われたのかな……)


 もうみんな帰ってしまったのか、それともまだ他にやることがあって居残っているのか……いずれにしても、盗撮を警戒して会話の内容にこそ気を遣うべきだろう。

 とはいえ、そういう事情がなくても今の遥は公広相手にどう話せばいいのか、掴めずにいるのだが。

 とりあえず何か喋ろうと、口から出たのは無難な感想だった。


 本当に、困った人たちがいたのだ。




               ***




 ――その違和感に、最初に気付いたのは実結みゆだった。


 上映会に人が集まったのはいい。

 しかしなぜか、そのことを教師たちから注意されたのだ。

 少し、派手にやりすぎじゃないか、と。


 そもそもそういう話だろうと思ったものだが――遥たちは知らなかったのだ。


 それは疑問を抱えたまま、上映会の後片付けをしている時だった。


「ふふん。映研一同、お疲れ様。よく短期間であそこまでの作品を仕上げたものね」


 生徒会長、一原いちはら満月みつきがやってきたのである。


「あんたら……」


 実結はその後ろに控えている端羽たんばを睨みながら、


「まさかとは思うけど、私たちに何か隠してることないわよね?」

「何かって何かしら?」

「単なる嫌がらせだと思ってたけど……思えば、おかしかったのよ。あんたたちが最初に持ってきた今回の件の資料。手書きって、何それふざけてんのって感じで」


 実結がそんなことを言い出すものだから、その場に残っていた遥たち映研、それから片づけを手伝う実代みしろ、手伝わされている近実このみの全員が得体のしれない不安に襲われることとなった。


「それに、投票よ。教師たちとは話してたみたいだけど、生徒がそれに関わってるような様子が見られなかった」


 ――ここまでの努力の先に、何か、自分たちの想像の及ばない結末が待っているかのような、そんな不安に。


「やりきった感でいっぱいいっぱいで、頭の中にはこれからの打ち上げのことしかないと思ってたけど、案外ちゃんと見てるものね」


 満月はそう言ってから、「端羽さん、例の物を」と声をかけた。

 相変わらず不機嫌そうな顔で端羽はそれに応え、取り出したのはポータブルプレーヤー。


「あんたら……何を始めようっていうのよ」

「せっかくならさっきの大スクリーンに映そうかと思ったのだけど、準備しといてよかったわ。さすが私ね」

「いや、まんげつちゃん、それたぶん普通にPCで観れるぜ?」


 わけが分からず警戒する遥たちの前に、満月は一枚のディスクを見せる。


「これは我が生徒会に代々伝わる――」

「ブルーレイみたいに見えるけど、生徒会の歴史って意外と浅いのね」

「……こほん。ともかくよ、これを観たらきっと全ての謎が解けるわ」


 満月がディスクをプレーヤーにセットする。

 再生ボタンを押して――


 しばらく、真っ黒な画面だけが続いていた。


『あ、あー……マイク・テス。マイクテスト中……』


 流れた声に、遥だけでなく全員が一瞬ぎょっとした。初見なのか、満月と端羽も同じ反応をする。

 まるで犯罪者のそれだったのだ。

 人のいなくなった客席に、加工された声が響く。


『君たちがこの映像を観ている頃には、』


『私は既に死んでいるであーろー……』


『殺すな!』


 ぎゃははははは……。


「え? え?」


 戸惑う間もなく、


『……えー、この映像を観ている頃には、きっと上映会は無事に終わったのだろうと思われる。こんにちは、未来の映研諸君。……私は、』


『わーれわーれはー』

『うちゅーじんであるー』


 ぎゃははははは。


『君たちちょっとうるさい』


 こほん、と咳払い。

 全体的に加工されていて判別できないものの、どうやら声の主は複数いるようだ。


『はい。……我々は、君たちの置かれているその状況を仕組んだものである』


『つまり、大宇宙の意思である』


『黙らないと殴るよ?』

『男には容赦しねえぞー』

『すんませんすんません』


 このやりとり……、と実結が呆れたようにつぶやいた。


『さて。早くも察しているかもしれないが、何を隠そう、我々は映研OBである』


『そしてこれは我々の最後の悪ふざけである』

『悪ふざけって言っちゃったよ』

『若気の至りじゃねーの?』

『ね、ねえ、いい加減、さすがにそろそろ部長キレそうじゃない……?』


 こほん、と再び咳払い。


『我々はこの映像を、我々の協力者である生徒会長に託した』


『あれ? どうせ生徒会にするんならタンバリンでもよくない?』

『あいつ戻ってきてるかもしれねーじゃん。ツンデレだし』

『え? お前が言う?』

『あ?』

『それもそっかー、ツンデレだしな――』

『……ツンデレー……』


 ガン、と。

 プレイヤーを持っている端羽が床を蹴ったものだから、一瞬映像が乱れた。停止しようとする端羽を、満月が慌てて制する。

 そんなこちらの状況などお構いなしに流れる音声は淡々としていて、とても滑稽に思えた。


『……ともかく、どういう立ち位置であれ彼女と、生徒会長、それから親愛なる映研一同がこの映像を観ていると信じて、我々は真実を打ち明ける』


『暴露しちゃうぞ☆』


 しーん、と静まり返る講堂。

 そのうち、呆れてものも言えない顔をしているのは何人だろう。実代なんて、状況についていけずぽかんと口を開けている。


『今回の計画は、その名を――映研再起計画、という』


『まどろっこしいな。要するにだ、やる気がないお前らをあたしたち先輩さまが焚きつけようって話だよ。聞いてるか実結ー、具体的にはお前のことだぞー』

『ぶち壊すなよ』

『……ぴんぽいとで、ちゃんみゆであるからしてー……』

『お前は今、狙われているっ』


 実結の方に目を向けたくなったが、遥はそれをなんとか堪える。もれなく照れ隠しの物理攻撃を喰らいそうだったからだ。さかえが床に這いつくばっているのがその証拠である。


『……まあそういう話なんだけど、順を追って説明すると、まず、君たちは映研が廃部になると通達されたことだろう。学校側の決定で、学校紹介PVの評価如何によっては部は消えてなくなる、と』


 まさしくその通り、それが遥たちに最初に告げられた問題だ。

 しかし。


『あれは嘘だ』


「どっちが嘘なの!?」

「え、映研が廃部になるって方か? ま、まさかPVの方じゃねえよな……?」

「お、おお落ち着け、映像は続いてるだろう……まさかそんな、問答無用で廃部になるなんてことは、」

「映像っていうか、音声しか流れてないけどね」


 遥や栄、景秋かげあきと違って、実結はいたって冷静だった。


 映像の声は告げる。


『廃部になるという話そのものが嘘だったというわけである。今回君たちに渡した資料は、我々の指示により生徒会が用意した、まったくの偽物というわけだ』


 その言葉に思わず満月を見ると、不敵な笑みを返された。


『それから、君たちが映像制作のため協力を求めるだろう演劇部と美術部。そちらに送られた脅迫状だが、あれも我々の手によるものだ』


 今度は端羽の方を見るが、彼女は怪訝な顔をしていた。

 まるで、そもそもその二枚の脅迫状について知らないかのような。


「そうか、三枚目だけが本物で……。どうりであの二枚だけ違和感があったんだ。こいつがわざわざそんな手間のかかることするわけって……」


 公広のつぶやきに、この件に深く関わってきた遥も動揺を隠せない。


『そして、演劇部の部長である麗木うららぎさん、美術部の部長である進条しんじょうくんは――我々のグルである』


「嘘ぉっ!?」


 と声を出したのは近実だが、遥たちもこれには驚きを隠せない。

 演劇部の部長(名前は初めて知った)ならともかく、あの進条まで……?


『てか、演劇部の新部長そんな名前だったのか? へえ……』

『私も知らんかったー。物知りだなぁ、さすが我らが部長っ』

『しかし悲しいかな、こいつも今や旧部長』

『そして我らも元部員』


 何がおかしいのかまた爆笑する二人である。この二人だけは、なんとなく遥にも特徴が分かってきた。

 実結がつぶやく。


「……四バカめ」

「……四?」

「そ。うちの一瀬ひとせ、一原、そんで仁群にむら先輩。合わせて四バカ」

「いや、あの人たちとオレを一緒にしないでくださいって……」


「この人たちのせいで、うちの部室はあんな辺境に飛ばされたんだ……」


 公広が遠い目をして教えてくれた。


(一原ってことは……)


 遥がちらりと満月を窺えば、彼女はぷんと顔を背けていた。やっぱり、映研OBであるという彼女の兄か。


『……さて。君たちがこれを聞いているということは、我々の用意した――』


『状況を盛り上げるためのー……』


『……脅威に屈することなく、無事に上映会を迎えたということだろう。まずはおめでとう、と告げておく』


『ふっ、計画通り』

『君たちは我々の手のひらで見事に踊ってくれたよ、ふふふ……』


『…………』


『ぶ、部長怒ってるからっ、ヤバいからー……っ』


 さすがにこれだけガヤがうるさいと、怒っても仕方ない。むしろ怒れと思う遥である。


『一つ、言っておきたいのは。これは確かに、我々が君たちを再起させるために仕掛けた計画であるけれど……大掛かりなドッキリ、嘘と言えばそうなんだけど、我々は状況を用意し、きっかけを与え、ハードルを置いただけに過ぎない。それを進みここまで辿り着いたのは全て君たちの意思であり、君たちの力だ』


『そうそ、自転車は漕がないと進まないものだよっ』


 遥が実結に視線を向けると、彼女は片手で頭を抱えていた。


『君たちが手掛けたその作品は、紛れもない君たちの真実だ。改めて、おめでとう。これで我々も、安心して卒業することが出来る。……まぁ、まだ成功するとは決まってないけどね』


 と、そこで初めて、まるで台本を読んでいるかのようだった声の主に感情が垣間見える。


『だけど、君たちならきっと成し遂げるだろうと、僕たちは信じている』


『我らが旧部長の壮大なプランである、失敗はありえない。……成功した暁には映像研究部成功物語って本にしようぜ』

『まあやれるだろうけど……てか、タイトルだっせーな、オイ。お前の服のセンスなみにダセえよ』

『全部終わったらスズちゃんに書かせようよ、面白おかしく脚色してくれるんじゃない? ダサいタイトルも』

『本になったらこのくだりほぼほぼカットだろうけどね。あとダサいやつも。でも読んでみたくはあるかな』

『……まぁ、ダサいから仕方ないよねぇ……。けどむしろ、ダサいのが一人くらいいた方が、映研の軌跡も際立つかも……』

『……お前らうるさいぞー……あとダサーい』


『あのなぁ、ダサいダサいって言うけどな――、』


 その抗議の声を遮って、


『――それから』


 、と。


「え?」


『……まあ、なんだ。入学祝い代わりに、君に一つ、言っておきたいことがある』


 加工され、声の判別は出来ないけれど、それは紛れもなく。


『前に、僕は君に飽きっぽいのだと言ったけど、遥には遥なりの理由があって辞めてきたのは分かる。そして、いろいろ思うこともあって、そういう辞めてきた過去を思い出したくないっていうのも』


「…………」


『だけど、それは無駄じゃない。その思い出には価値がある。遥がこれからどんな道を進んでいくのかは分からないけど、きっとその先でそれは役に立つだろう。それを活かすのか殺すのかは、遥次第だ』


 たとえば……、と。


『人はそれを半端って言うかもしれないけど、遥は経験者を名乗れるくらいの経験をしているはずだ。それは創作に活かせるだろう。文芸部の摘吹さんや美術部の進条くんみたいに、一人で何かを突き詰めることも出来るし、僕たち映研みたいに、仲間と協力して何かをつくることも出来る。遥には、その世界を進んでいけるだけの力がある』


 だから、自信をもっていい。

 過去の自分を嫌うことはない。


『僕には、いつの、何をしていた遥も、ちゃんと輝いて見えたから』


 それは、なんだかまるで――


『おいおいシスコン番長、愛の告白かよー』

『羨ましいぞこのやろー』

『シスコンはお前もだろーがよ。ほら、妹が聞いてるぞ、なんか言えよコラ』


 ちょっ……、とプレーヤーを奪おうとする満月だが、ひょいっと端羽はそれをかわした。顔を赤くする生徒会長を、ここぞとばかりに嘲笑う映研部長である。


『……うちの部長も照れてんだから、ちょっとは空気読もうよ君たち』

『それ指摘されるのがいちばんあれだと思うよ……』

『……やれやれだぜー……』


『はいはい、締めるよ――』


 入ったノイズは、手を叩いた音だろうか。やや、食い気味だった。


『何はともあれ――未来の映研は、君たちに任せた。諸君の今度の健闘を祈る』


 以上!


『我らが映研の未来に――、』

『栄光あれ――、』


『せんぱーい? いるんすかー? 開けてくれませんー?』

『何してるんだあの人たち……盛り上がってるみたいだけど』

『また馬鹿やってるんだろう……』


 ぷちっ――、と。


 そこで、映像は途切れた。

 全然締まっていなかった。


「……結局、声だけだったじゃない」


 実結が大袈裟なため息をこぼす。

 公広たち男子三人は顔を見合わせていた。


「ね、ねえ、映研の先輩たちっていつもああだったの? もしかして酔ってた?」

「みんなまだ未成年だと思うけどな……。というか、ちゃんと大人になれるのかが心配だ」

「というかあの人、何? 予言者? 神なの? 悪魔なの?」

「悪魔に近い」


 公広がつぶやくと、映研メンバーは全員が頷いていた。


「うちのお兄ちゃんだ……」


 遥は頭を抱えて座り込む。もうこのまま消えてしまいたいくらい、今までにない恥ずかしさに襲われていた。


 どこまでが、兄の予想通りだったのだろう。

 本当に、まるで手の平の上で踊らされていたような気分だ。

 だけど、言っていた。


 たとえきっかけがどうあれ――今この場にいること。それは遥たちが勝ち取った未来だ。



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