5 桜、舞う。




 テストが終わって、その翌週――上映会当日。


 とはいえ、朝からそわそわするはるなどお構いなしに、周囲は平常運転、特に変わったことはなく、時間はあっという間に過ぎていった。


 そして、放課後が訪れる。

 舞台上に設置された巨大なスクリーンやプロジェクターなどの機材を確認する実結みゆたちの横で、遥は講堂を見渡す。

 思い出の場所……部活説明会は体育館で行われたから、入学式で訪れて以来だ。観客席には映研の顧問の他、何人かの教師が既に着席しており、生徒は協力してくれた演劇部や美術部、そしてロトスコープを手伝ってくれた元映研部員らしき数人、おとめと想示そうじの姿もある。


 しかし――


「あの……人、少なくないですか? 大丈夫ですかね、これ……?」


 審査には生徒による投票も含まれるというのに、来ているのはほとんど身内ばかりだ。


「まさか……。いや、でも、端羽たんばの他に誰がこんな真似……」


 公広きみひろでさえ懸念を抱く。

 もしかして、あの件はまだ終わっていないのではないか――


「そりゃそうよ」


 そんな不安が首をもたげた時、実結があっけらかんと言った。


「だって宣伝してないんだから」


「へ?」


「私たちにとっては前から決まってたことだけど、他の生徒たちは知らないんじゃない?」


 言われてみれば、事前にホームルーム等での連絡もなかったし、それらしい話は一切遥の耳にも入っていない。制作に集中するあまり、そうした問題は完全に失念していた。遥だけでなく、公広たちも動揺している。


(あれ、これもしかしてかなりマズい事態なんじゃ……)


 時は既に放課後。必ず何かしらの部への所属が義務付けられているとはいえ、籍だけ置いて実質帰宅部な生徒はもはや帰路についている頃合いだ。今から呼びかけたとして、いったいどれだけの人数が集まるか――


「一応ね、近実このみ実代みしろにチラシ配らせてるんだけど」


「チラシ……? え? そんなのいつの間に?」

「近実が同人誌の印刷会社調べてたから、それで思いついたのよ。念のため、部の予算でチラシ作っておいたわけ」


「おぉ! さすが部長だぜ! オレたち完全に頭になかった!」

「頭の悪さをそんな大声で叫ぶな。まあ……昼はちゃんと捌けたんだけど、正直どうかしらね。今も戻ってこないし、逃げたのかもしれないわ、近実のやつ」


「逃げたって……近実先輩にコスプレでもさせたんですか?」


 遥が訊ねると、実結は人を甚振るような邪悪な笑みを浮かべて、


「あいつにイラスト描かせたのよ」

「あぁ……」


 自分の描いたイラストつきのビラ配り。同人誌の即売会ならともかく、学校でそんなことをするのは近実にとって酷かもしれない。


「掲示板にも貼っといたんだけど、ほら、生徒会にはアンチ映研がいるじゃない。許可もらってないとかなんとかで剥がされたのかもしれないわね、この状況を見ると」


 というわけで、と実結は辞書くらいの厚みと重みがありそうなチラシの束を公広に押し付けた。近実こと『希望のぞみ』のイラストが映えている。


「あんたと児立こだちとで配ってきなさい。ここは私と一瀬ひとせで足りてるから。それから、遥は――」


「わたし、放送室いってきます!」


「分かってるじゃない」


 微笑む実結に見送られながら、遥は公広たちと講堂を出る。

 すると、


織田おだぁ、遥ぅ、児立ぃ……あたしやったわよっ、全部捌いたんだからぁ……!」


「おー、よしよし」

「大好きなロリ部長でも愛でてライフポイント回復してください」

「そんな有様でイベントに参加なんて出来るのか、お前は」


 半べそかきながらやってきた近実に声をかけつつ、遥はその戦果を確認する。

 講堂前にはチラシを手にした生徒の姿がちらほらと見える。宣伝もしてないが、思えば会場にも目印となる看板等を用意していなかった。

 校門の方では実代がおろおろしながらもチラシを手渡そうと頑張っている。景秋かげあきはそちらに向かいながら、


「公広はここで案内をしてくれ。映研の顔だからな、立ってるだけで人も集まる。僕はあっちと替わってくる。放送は任せたぞ」

「はい!」


 この場を二人に任せ、遥は校舎へ急ぐ。

 この前の実写撮影時に、映研が撮影中である旨を校内にいる生徒に伝えるため、放送室を利用した。勝手は知っている。まずはカギを開けてもらうために職員室へ向かおうと考えながら、下駄箱で遥が靴を履き替えていた時だった。



 っ……、――……。



「? 何? この音……?」


 どこからか耳障りな音が聞こえ、遥はハッとして顔を上げた。


『――……えっと、……どう……の?』

『……れ、押して。音量を……あ、はい、聞こえてます。……わっ! わたしの声が聞こえる!』


 その間抜けな声は天井付近にあるスピーカーから響いていた。昇降口近辺にいた生徒たちも顔を上げる。


『ちょっ、わっ、あとはどうぞお好きに! ――、』


「これ、放送……? 誰が――」


 どうしてこのタイミングで。


(まさか、わたしたちが使うと読んで、誰かが先回りしたんじゃ――、)


 がさごそ、と。誰かが離れたようだ。おそらく準備をしていた放送部員だろう。それからスピーカー越しに深呼吸するようなノイズ。別の誰かが放送を始めようとしている。遥は放送室へ向かう足を速めた。


『えーっ、とー……マイク・テス、あっ、あー……』


 発声練習する声は最初に聞こえた誰かのもの。廊下をすれ違う生徒たちが遥を振り返る。妙な感じがして、遥の足は絡まり転びそうになるが、なんとか持ち直した。階段に足をかける。


 声が――


『えーっと、どうしようかな……まずは、みなさんこんにちは?』


 肌が粟立ち、遥は腕をさすりながら階段を数段飛ばしで駆けあがる。


(誰……? 知らない、ううん、知ってる、――――)


 弾むように明るく、すんなりと耳に――それは花びらが舞うように、心に沁み込んでくる澄んだ声。


「この声って……」


 踊り場ですれ違った生徒のつぶやき。


 遥は胸が高鳴るような、不安でざわつくような、奇妙な感覚を抱いたまま階段を登り切って、廊下に飛び出した。放送室はもうすぐそこだ。


『えーっ……、これから、講堂の方で映像研究部による学校紹介PVの上映会があります』


 どくん、と心臓が跳ねる。呼吸が乱れた。


 ……映研の名前が出た。

 動揺から今度こそ転びそうになる。脅迫状が頭をよぎる。何を言われるのか、不安と焦りが募った。言葉が続く。



『みなさん、お時間ございましたら、ぜひご観覧なさってください!』



 え――? 


 と、遥は思わず声に出していた。放送室を前に、足が止まる。

 繰り返します、と同じ言葉が放送され、遥はその声を聞きながら、放送が終わるまで立ち尽くしていた。

 どきどきと、心臓の鼓動がやけにうるさい。


 やがて、放送室の扉が開く。


「ありがとねー」


 と、誰かが出てくる。



「以上、放送室より甘郷かんざと千里せんりがお送りしましたー……、なんてね」



 独り言のようにそう呟いてから、


「わっ、恥ずい……」


 遥の存在に気付くと、彼女は片手で口を覆った。


「あ、あの……? どうして――」


 どうして、彼女が。


 遥も知らない人物ではなかった。

 腰までありそうな女性らしい長髪に対して、顔立ちや浮かぶ表情はどこか少年めいたあどけなさがある。際立った凹凸はないがすらりとした長身で、しかし今は恥ずかしさからか、目深に被ったベレー帽を引き下げて赤い頬を隠し、身を縮こまらせて猫背になる。

 こうして間近で見ると、はっきり分かる。部室で脅迫状が発見される直前、映研を覗いていた不審な人物――そして、この学園でも一、二を争う有名人。


「甘郷、千里……」


 どうして彼女が、ここに。


「見なかったということで、おひとつ……」


 彼女は――甘郷千里は囁くような声でそうつぶやいてから、逃げるようにそそくさと遥の横を抜けていった。茫然として、遥は彼女を追いかけることも忘れてその背を見送る。


 訳が分からなかった。だけど間違いない。公広が好きな声優らしいので、遥もネットで顔写真くらい見たことがある。以前廊下で見かけた時は気付かなかったが、あれも、今のも間違いなく――甘郷千里だ。

 彼女がこの学校の生徒で、演劇部に所属する二年生というのは聞いていたが、それにしてもどうして彼女が上映会の告知を放送したのだろう?


(演劇部の部長が気を利かせて……)


 それがもっとも現実的な推測だと、頭では分かっているのだけど。



 ――だから、彼のことは諦めてもらえるかな?



 




               ***




 どきどきと、鼓動の高鳴りはいっこうに収まる気配がない。


 ともあれ――公広たちの頑張りと、予期せぬ放送の効果もあって、遥が講堂に戻った時には観覧希望の生徒で溢れかえっていた。

 どうやら放送を聞いた生徒が既に下校した友達に連絡し、人を呼び寄せてくれたようだ。これがテレビに出るような芸能人による放送であれば、今頃校門前には学生以外の人だかりでも出来ていたかもしれない。とはいえ、上映会に甘郷千里が出演する訳ではないのだが。


「遥の人たらしスキルを期待して送り出したつもりだったんだけど、まさかこんなことになるとは思いもしなかったわ。どういう魔法つかったのよ、あんた」

「分かりません……」


「ねえさっきの放送ってやっぱり甘郷千里だよね? もしかしてあんた本人見た? サインとかもらった? うっわぁーいいなぁー、あたしも行けばよかった!」

「ちょっと近実先輩うるさいです。わたしは今ものすごい謎に直面してるんで、黙っててくれますか」


 やたらと興奮している近実をしょんぼりさせることは出来ても、遥は公広に直接訊ねることは出来なかった。こころなしか表情が柔らかくなっている公広を遠目に見つめるばかりだ。

 その公広は観客席の方を見ていて、


「よし、ちゃんと来てるな」


 え? 誰が? もしかして――、と挙動不審になる遥と違って、実結もまたそちらに目を向けながら、


「……何よあの性悪メガネ。……もしかしてあんた、あいつ呼んだの?」

「まあ。脅迫状の件で、上映会でなんか起こるかもって散々あおったんで、来るだろうなぁとは思ってたんだけど」


「あの野郎いんのか? よっしゃー、じゃあ目にもの見せてぎゃふんと言わせてやろうぜ」

「……だな。今こそ積年の恨みを晴らす時だ」

「あぁ、俺たちの『最高』を見せてやる――」


 と、燃える男子たちである。遥は客席の中からその姿を探すのだが、いかんせん人が多い。眼鏡という特徴だけでは見つけられそうにない。


 そうこうしているうちに時間は進み――とうとう、上映会の幕が上がる。


「えー……では、映像研究会による、学校紹介PVについて説明したいと思います」


 舞台の端に立ち、マイクを持った実結がPVのコンセプトやテーマについて説明する。制作の傍ら、そうした台本や審査員である教師向けの資料も用意し、打ち合わせも行ってきた。


 舞台には実結の他に、PC操作を担当する栄がパソコンを前にして座っている。遥と公広、景秋の三人は舞台袖で待機しており、近実と実代は客席に。場合によっては『さくら』として拍手のきっかけになってもらおうという考えも多少はあるが、ここからは映研の戦いだから、二人にはその行く末を見守ってもらいたかったのだ。


 審査員の先生方は舞台から少し離れた前列の客席に腰掛け、それぞれ配布した資料を確認しながら実結の声に耳を傾けている。そこから後ろの席には映研に協力してくれた生徒たちを始め、宣伝効果で集まった生徒たちで埋まっている。

 遥はゆうの姿を探すが、やはりとてもじゃないが見つけられるものではない。

 ……と思っていた矢先、生徒会の二人を発見したものだから少し微妙な気分になった。


 なんにせよ、あの学園祭の劇のように満席とはいかないまでも、それでもパッと見では数えられないほど、講堂は多くの観覧者で賑わっていた。

 先生たちがその様子に驚いていることが気にはなったが、それだけ映研は過小評価されていたのだろう。


(あぁ、なんか緊張するな……)


 それは遥なんかより舞台上の二人の方がよっぽどだろう。だけど、これだけの人数を前に、自分たちの作った映像を公開することに、これまで覚えたことのない種類の緊張と――


(少しの不安と……これからこの人たち全員をわっと沸かせるんだと思うと)


 楽しみで仕方ない。

 さあ、いよいよ――


「それでは、これよりPVを再生します」


 お披露目の時間だ。




               ***




 ――映像はまず、校門脇に設置された『入学式』の看板のアップから始まる。


 入学式へ向かう、真新しい制服をまとった少年少女たち。その中で、雑踏に埋もれてしまいそうな一人の少女の後ろ姿。雑踏の音が遠ざかり、風と、微かな喧騒だけが聞こえた。

 少女の口元が映し出され、密かな深呼吸が彼女の不安を、見るものに共感させる。



 シンと静まり返る講堂。照明が弱められ、スクリーンには顔出しの仕方を工夫した構図で映し出される実代の姿。今、この瞬間は彼女の独壇場だった。



 ――少女が意を決し、それでも不安の残る足取りで校門へ向かう。


 いざ学園へ……という肝心なところで、少女は校門のレールに足をとられて転びかける。

 寸前、その手を取る誰かの手が、少女を学園へと誘うように引き上げた。



 校門を抜けた瞬間、映像は実写から、遥たちが苦労して描き上げたロトスコープへと切り替わる。

 風景は実写をベースに加工したものに代わり、手を引かれて頼りなく進む実代の後ろ姿も実写映像をトレースしたものだ。完全なアニメーションというより実写的な映像が展開されていくが、背景は徐々に美術部に依頼した写実的な風景画へと姿を変えていく。

 一方、実代の手を引く『少女』は、この映像の中だとまるで幻のように浮かび上がる、アニメーション。撮影の際は遥が実代の手を引いて走り、その動きをモデルに景秋が描き、あとから編集で付け足した架空の人物だ。実代を引く手、背中、地面を踏みしめる足だけを描写している。



 ――映像が切り替わり、二人の少女は気付けば校舎内を走っていた。


 少女の横を駆け抜けていく、思い出を表した写真の数々。部活動、イベント、少女にとって掛け替えのない一瞬一瞬。



 校歌をアレンジしたBGMがゆっくりと、まずは小さな音量で流れ始め――それが盛り上がりを見せた瞬間、最大の見せ場、映像が完全なアニメーションへ。


 これまで手を引かれて、引きずられるように走っていた実代。

 前を走っていた『少女』が手を放し、実代は一人、廊下の只中で足を止める。実写とロトスコープとアニメーション、三つの足が重なる描写。

 これは学園で過ごした『三年間』を表現した演出だ。



 そして、振り返る『少女』――



「あなたは――」



 静まり返った夕暮れの校舎、少女は『少女』の正体を知る。

 口元に浮かぶ笑み、差し込む夕陽に照らされ、幻のような光に包まれる風景。


 少女が走り出す。今度は自分の意志で――



 走り出した彼女、今一度流れる風景、そして場面は新しい入学式に。

 不安な背中を見せる新入生がつまづいた時、その手をとる誰か。



 カメラが新入生の視点で顔を上げると、そこには光を背に浴びて、微笑む『少女』がいる。

 自信に満ちたその笑みに、もういつかの不安は見当たらなかった。



『welcome to...』



 画面が暗転し、学校のHPアドレスが表示される。



 ………………………………、

 …………………………、

 ……………………。


 そして、静寂。

 息が詰まるような緊張の一瞬が訪れた。


「…………っ、」


 動悸が激しい。胸の内で心臓が膨らみ、破裂するのではと錯覚するほど息苦しい。

 このまま胸が張り裂けてしまうかと思った、瞬間――



 はらはら、と。



 ――爆発音。



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