4 もう、立ち止まる理由はない




 土曜日は早朝、学校前に集合した。

 校門前にははるたちだけでなく、手芸部の二人や演劇部からも数人が集まっている。


「入学式が始まるわけだから、他にも新一年生がいた方がいいわよね。……というわけで、モブが必要だわ」


 ――という実結みゆの演出に従い、公広きみひろが演劇部から人手を借り、遥も何かの足しにはなるだろうと思って幼馴染みに声をかけたのだ。


 とはいえ、土曜日でも運動部などが登校しており、モブだけなら彼らに手伝ってもらうことも出来るから、正直想示そうじはいらなかったかもしれない。


「いや、俺の扱いなんだよ」

「まあモブじゃなくてもやることあるよね、力仕事とか」


 衣装やメイク担当で手芸部部長のおとめも来ているから、その手伝いをさせてもいい。メイクがいるのかは分からないが。


「ところで、なんでお前、男子の制服着てんだよ」

「今日は休日だから自由がきくんだけど、撮影でモブやるために制服じゃなきゃいけない……そんな状況でもわたしの魅力を輝かせるため、おとめ先輩が用意してくれたのがこれです」

「なんで男子の制服持ってんだよ、あの人……」

「きみ先輩も珍しく反応をしてくれたんだよね。ボーイッシュ路線は脈ありかもしれない」

「ふつーに中学生男子っぽかったから接しやすかっただけじゃねえの?」


 そんなことより……、と。お喋りしてないでそろそろ動こうとしたところで、想示が躊躇いがちに声をかける。


「遥、お前……さ、最近なんか、」

「何?」

「……周りで、変なこととか起こってない……よな?」

「変なこと?」


 何を言い出すのだろうと首を傾げる。変というならこの幼馴染みが今すごく変だ。


「いや、何もないんならいいんだけどよ……。でも、もしなんかあったら――」

「なんかあったら実結先輩に相談するから大丈夫。そーじの出番はないから!」

「~~~っ」

「ほら、そーじの大好きなおとめ先輩が呼んでるよー」

「ばっ、違っ……、あぁもう! 知るかお前のことなんか!」


 ふて腐れている幼馴染みのことも多少は気になったが、遥は公広たちの手伝いに奔走する。やることは多いのだ。

 撮影用のカメラの準備や、実際の入学式に使われた看板を校舎から持ってきたり、他にも、撮影予定の場所を廻ってゴミがないかといった異常を確認する。運動部以外にも登校してくる生徒がいるようなので、彼らが撮影に入り込まないよう注意する必要もあって、みんなで手分けしながら、周囲にいろいろ気を配らなければならない。


「で、肝心のヒロインはどうしたのよ。実代みしろ担当、連絡は?」


 実結は普段の調子で訊ねてくるが、遥はその瞳に一瞬よぎった不安の影を見逃さなかった。


 ――もしかしたら、こないかもしれない。


 昨日の昼休み、実代は『答え』を携えて戻ってきた。その結果、ロトスコープを採用することになり――また、実代の顔出しも検討されることになった。


 遥も実結も他のみんなも、一応実代の顔出しを含まない形で構成を考えていたのだが、当の実代が「顔出しすることで良い作品が出来るなら」と提案したのだ。あの気弱さがなりを潜めて、決意の滲んだ険しい表情をした実代が忘れられない。

 しかしそれは、もしかすると、遥たち映研の期待に応えようと無理をしたもので、自分たちが押し付けたもので、実代にとっては強いプレッシャーなのではないか。実代自身の意思ではなかったのではないか。

 昨日、実結は何度も、本当にいいのかと実代に確認をとっていた。何より実結自身が、実代にそれを強いることに躊躇いがあったのかもしれない。


「……そろそろ、来るんじゃないですか?」


 連絡はまだ来ていないものの、遥はなるべく明るくそう答えた。


 遥は昨日決めたのだ。実結のそうした不安や迷い、プレッシャーや責任感を一緒に背負う、一緒に戦うと。

 だけど、だからといって嘘をつくつもりはない。

 遥は信じている。実代は必ず来る。そうしたら、今の言葉は嘘にならないから。


「私も……、」


 と、


「賭けてみようと思うのよ」

「……? 何に、ですか?」


「私たちのヒロインに」


 その時だった。


「あ、ロリ部長ー、実代っぽいのき――、」

「あんた、いい加減にしないと殺すわよ」

「ひぃっ……!」


 最近、近実このみはわざとやっているような気がする遥である。


 ともあれ、これで役者が揃った。遥は実代の方へ顔を向ける。

 そして、目を疑う。


「実代、ちゃん……?」


 校門に近付くそのシルエットは遠目に見るとまるで実代のようだった。しかし近付くにつれ、様子がおかしいと分かる。なんだか目をこすりたくなってくる。


「実代ちゃん……だよね?」


 なんとなく、どことなく雰囲気が異なっていた。まず、眼鏡をかけていない。そうして顔に注目していると、昨日よりも前髪が短くなっていると気付いた。自分で切ったのかやや斜めに揃っている。背筋もしゃんと伸びて、それだけでもだいぶ印象が違う。


「お、遅れてすみません……っ」


 つい見惚れてしまったのは、どうやら遥だけではないらしい。我に返ったように実結が、


「あんた……何? え? イメチェン?」

「あ、えっと……気合、入れようかと! へ、変ですか……?」

「……似合ってるわよ」


 ただ――、と。


「やる気があるのはいいんだけど……」


 呟く実結と、全員の感想は一致していたようだ。


「なんていうか……なりを潜めていたと思ったら、ここぞという時にドジっ娘属性だしてくるわね」

「え、えーっと……?」

「……昨日話したわよね? 最初のシーンはもうちょっと不安げな感じで……、」

「うぇっ、あ、す、すみません……っ!」

「あ、うん。いつもの実代だわ」


 力が抜けたような微笑を浮かべながら、実結が実代の背中を軽く叩く。


「やっぱりあんたが一番ね。見てるこっちまで不安になったり――安心したりする」


 彼女の表情には、そんな力があるのだ。


「足りない部分はそれこそ、演劇部員なんだから、演技で補えばいいわけだし」


 よしっ、と実結は意識を切り替えるように声を出してから、


「始めるわよ! ほら、さっさと動く!」


 撮影が始まった。




               ***




 それからは――振り返るとあっという間な気もするが、足場の悪い長距離を全速力で駆け抜けるような日々だった。


 テスト週間が始まり、部活はみんな活動休止になる。悪い点をとって足を引っ張る訳にもいかないため、学校ではほとんど勉強漬け。昼休みに食事を一緒にすることはあっても、近実や映研の先輩たちと接する機会は少なく、代わりに遥は実代といることが多かった。


 放課後になると部室ではなく、部員の誰かの家に集まって作業をする。すっかり取り込まれた近実や実代も含めて全員の家を巡ると、これまであまりふれなかったそれぞれのプライベートを垣間見るようで貴重な体験だった。


 しかし。


「うう……これめちゃくちゃメンドくないですかぁ……?」


 ロトスコープ作業は大変だった。

 撮影した実写映像の一秒ほどを、更に細かく二十数フレームに分け、それを一枚一枚印刷したものをペンを使ってアナログでトレースしたり、部の備品であるペンタブレットを使ってデジタルにトレースする。

 これなら遥のようなド素人にも出来ない仕事ではないが、ただ描き写すだけという単純作業は地味だし手間だし、時間もかかる。

 何より、あんまり楽しくない。創作性がないのだ。


 一方で、近実と景秋かげあきは撮影した映像を参考にしてアニメーション用の原画を描いており、悩みながらも自分の手で何かを生み出すという、創作の楽しいところを堪能しているように見えた。遥はそちらを羨ましく思いながら、さかえがロトスコープの導入に反対していた理由を、身をもって理解した。次があれば絶対に賛成なんかしないと思う。


 描くのは人物の足の動きなどの限られた範囲のみだが、ずっとその輪郭をなぞり続けているとまるでゲシュタルト崩壊でも起こしたように自分の描いているものがなんなのかよくわからなくなってきてミスが増え、アナログでやっていると修正が面倒臭い。

 実代なんて最初のうちは消しゴムをかけようとして紙を破ったり、ペンタブを使ってもデータを保存し忘れたり、描いたものを間違って消したりと例のドジっ娘ぶりを発揮していた。

 ペンタブは使い慣れるとだいぶ楽に作業できるようになるものの、慣れるまでが大変で、そして人数分の備品がなく、持ち回りでアナログ作業をすることになった。公広はパソコン等デジタル関係全般が苦手らしく、アナログの方がやりやすいと言っていたが、遥にとっては苦行以外のなにものでもなかった。


 これが映研の伝統で、新入部員は必ずアナログでやらされるというから信じられない。

 なんでも、「映像制作は楽しいばかりじゃない」ことを知るために必要な工程だという。

 確かに集中力と根気がなければ務まる作業ではなく、それらを養うという意味においてなら相応しいのかもしれないと納得した遥だったが――その真の意味は他にあった。


 ある程度の枚数が出来た頃、栄がそれらを編集して、実際に動く映像を見せてくれた。

 教科書の隅に描くパラパラ漫画の要領で動くそれは、実写を元にしているだけあって動きがリアルで、自分の描いたものがこうして形になっているところを見ると感動すら覚えた。

 作業量は増えるが、フレーム数が多ければ多いほど動きがより滑らかになると聞くと、つらくても枚数は減らせないという思いが生まれた。「頑張ってやらないと」がいつの間にか「頑張りたい」とポジティブなものに変わって、モチベーションも上がる。


 ……とはいえ、二十枚も描いたのに、映像だとそれはほんの一、二秒、あの苦労がほとんど一瞬でしかないと知って軽く虚しさも覚えたが、それでも描けば描くだけ着実に制作が進んでいる、映像が出来ているという実感の方が勝った。

 おそらく、こうして生まれる感情が、この先やっていけるかどうかの違いで、それをふるいにかけるための映研ロト伝統なのだろう。


「う、うでが……」


 作業が続くと手首が痛くなったり、ずっと座りっぱなしで腰が痛くなったりと大変で、時折休憩を挟んで雑談をする。実代の実家は和菓子屋で、おやつに和菓子を頂いたり、景秋の家ではお姉さんがケーキをご馳走してくれたりと、つらい作業に潤いを与えてくれた。景秋にはなんと、美人の姉が二人もいるらしい。


 近実の家には、


「うわー、自分の本がいっぱい」

「も、もらったのよ!」


 本棚の一角を占める、自著『サクラノヒロイズム』。遥たちにとっては既に共通認識となっていたが、実代はここにきて初めてそれを知り、感激していた。


「これ、近実先輩が描いたんですね……、すごい」

「でしょうっ。……目の前で読まれるのは恥ずかしいけど」

「ただの面白い先輩じゃなかったんだ……」

「あ、あれ?」


「そういえば近実先輩、前に恩返しがどうのって言ってませんでした?」

「うん? んなこと言ってったっけか?」

「むしろ僕たちに恩を返してほしいものだな」

「返してるじゃないの。……でも、そうね、あんたとうちらにこれまで接点なんてなかったはずだけど?」

「……俺たち、ひとに恩売るほど活動してないしな」


 そんな会話の流れから近実が打ち明けたのは、〝サクラノ〟誕生にまつわる意外な話だった。


「昨年、織田おだが出演した劇あったじゃない? あれで……当時の映研の部長がチケットばら撒いてたのよ。遥のお兄さんなんでしょ、あの桜木先輩って」

「そうですけど……。あ、もしかして近実先輩、〝さくら〟頼まれたクチですか?」

「そうそう。美術部にも来てて……あたしも一枚もらったの。それで、観に行ったんだけど……まあさくらなんていらないくらい、満席でさ」


 思い出話をしているからか、近実は特に恥ずかしがる素振りも見せず、


「観てたら……あたしがヒロインだったらこういう時こうするんだけどなぁ、とか、そういう話なんだけど、路美夫ろみおとかみ合わない樹理子じゅりこにもやもやしちゃって、いっそヒロイン代われたらって考えてて……あたしが舞台に上がったら、なんて」


 それが、〝サクラノ〟が生まれるきっかけになったのだという。

 その過去があったから、今がある。

 だからいつか、映研にはその恩を返せればいいな――、と。


 それはともかく。


「へえ……ていうことは、〝サクラノ〟の主人公って近実先輩自身なんですねー」

「じゃあ、あいつって俺がモデルになるのかな?」

「あ、」


 瞬間、赤みを帯びる近実である。

 近実はしばらくこの件でいじられることとなった。


 それから、別の日には――


「遥のアイディアを元にちょっと描いてみたのよ」


 と、作業の疲れで羞恥心もどこかへ行ったのか、近実は例の同人誌のサンプルを用意していた。


「はあ……。自分の考えたものが漫画になってるの見ると、感慨深いですね……」

「うちの作業もやりながら、よくもまあ描けるものね。ちょっと見直した……と、言いたいところだけど、テストは大丈夫なんでしょうね」

「う……、」


「だけど……あれっすなー、作者を知ってる分、これ描いてるのこいつかーって思うと……」

「笑えるな」

「笑うな!」


「でも、絵もきれいだし……お話はちょっと恥ずかしいけど。近実先輩のこと尊敬しそうになります」

「うんうん実代ちゃんだけだよあたしのこと褒めてくれるのは――はい? あれ?」


のぞみ、ここまで出来てるんなら、サンプル、サイトに上げてみたらどうだ?」

「なんか織田に名前で呼ばれるのまだ慣れないんだけど――」


 公広は親しくなると近実や実代のことを下の名前で呼ぶようになって、最初はおどおどしていた実代も徐々にみんなと打ち解けていった。近実は同人誌を披露したはいいが感想をもらうと照れたり叫んだりと面白く、作業に彩りを加えてくれた。

 苦労を分かち合うと連帯感や一体感のようなものが生まれ、それもまた遥にとって新鮮な感覚だった。


 休憩時間を終えたら、一日のノルマを達成したものから学生らしく勉強会に突入する。

 遥は実代から、二年生三人は公広から教わったことで、翌週に待ち受けていた中間テストは各々これまでより高い点数をとることが出来た。

 テスト後、部室にやってきた生徒会長と実結が口論になったりもしたが、会長もあれで映研のことを気にかけてくれているのだろう。


 テストが終わると追い込み、ラストスパートに入る。この頃の遥の心情を一言で表すなら、


「わたし、トレース専用の機械になったみたいです。ははは、もうミスらないでなぞれます」


 ……そうしていくうちに、着実に枚数は積み上がる。


 最後の方は完成が見えてきたからか、それとも単に栄養剤の影響なのか、疲れも忘れてペースも上がった。


 そして――


 気付けばその日は、翌日に迫っていた。



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