第四章 その気持ちの名は
1 先に進む、そのための一歩
文芸部――元々何かの準備室でしばらく物置扱いだったらしい映研の狭い部室とは打って変わって、その部室は一般教室の半分ほどの広さがある、ちゃんと部活動用に用意された教室だった。
その部室に、
「今日は話があってきたんだ、
「話がなければこないだろうがよ。脚本なら前に断っただろ。この前のこと忘れたってんなら――思い出させてやろうか?」
……それは、一触即発しそうな空気だった。
(修羅場だ……!)
完成目前の脚本について、何か参考になるヒントをもらえないかと思い、遥は放課後、文芸部を訪れたのだ。
映研にとって因縁深い相手、摘吹
公広はもちろん
そして、この協力を通して映研との確執も解消出来たら――……なんて。
(わたし、調子に乗ってた……!)
なんだか普通に怖い。文芸部所属と聞いてもう少し大人しい人物を想像していたのだが、やはり公広を蹴ったのは間違いなさそうだ。そもそも相手は先輩だし、遥が一人で話せるような相手じゃなかった。
ここは公広に任せて、大人しく撤退しよう――
「今度、うちでつくった映像を上映するんだよ。この前話したやつ」
……とは思うものの、遥は廊下からこっそり二人の様子を窺う。
やっぱり、気になるのだ。
文芸部の部室は開放的で、廊下側から中が覗けるようになっている。一般教室と同じように窓があるのだ。遥はそこから覗き込むのだが、公広の後ろ姿は見えるものの肝心の摘吹涼を確認できない。
「あぁそう。で? それがどうしたんだよ」
その声は少し低めだが、どこか女性的だ。口調は不機嫌そうでありながら、話す相手に対して不快感を抱いている風ではない。どちらかといえば親しい間柄だからこそ許されるような、そんなぶっきらぼうさが滲んでいる。
(きみ先輩の、幼馴染み……)
その言葉からつい女性を想像してしまうが、男性ともとれる。どちらにしても、公広にとっては特別な相手だ。公広近辺の未知の人物への興味は尽きない。
それから、気になることがある。
なぜ、公広は二度も、因縁深い相手のもとを訪れたのだろう。
「いや、観に来ないかと思って」
「さくらでもしろって? 嫌なこった。誰がお前らの協力なんかするか」
「まあそう言うと思ったけどさ」
特に残念がる素振りもみせず、公広は頷いて、
「それはそうと、最近うちでトラブルがあったんだ」
「そんなもん映研じゃ日常茶飯事だろ。あのトラブルメーカーの妹が入ったんなら、なおさら。どうせ妹も同じタイプだ」
……あれ? それってわたしのこと? と遥は聞き耳を立てる。
「まあ、そうなんだけど」
苦笑する公広。
否定しないんだ、と遥は軽くショックを受けた。
「内輪の問題じゃなくてさ――」
公広は演劇部と美術部、それから映研の部室に脅迫状が届いたことを説明する。
そして、訊ねた。
「お前、何か知らないか?」
遥はその瞬間、まさかと思った。
まさか――
「ボクが犯人じゃないかって?」
にやり、と。そんな笑みを感じさせる口調だった。
しかし。
「いや、お前がそんな小細工するとは最初から思ってないよ」
「……なんだ、つまらないな。じゃあ何しにきたんだよ。あんまり長居されたら、うちのうるさい連中が来るだろ。用がないならさっさと帰れ」
「ちょっと推理でもしてもらおうと思ったんだよ。そういうの好きだろ?」
ふん、と鼻を鳴らす摘吹。公広の意図が読めず、遥は落ち着かない。
「ほんとは俺がどうにかしたかったんだけど、名探偵じゃあるまいし、そう簡単には分からない。とりあえず身内に当たってみようかと思ったけど……事情が変わったんだ。
「べらべらと……」
不愉快そうに呟くも、
「で? その脅迫状とやら、持ってきたんだろ」
「そう来ると思った」
「うるさい」
公広が三枚の脅迫状を摘吹に手渡す。もうちょっとで顔が見える、というぎりぎりのところで、摘吹は引っ込んでしまった。
「犯人を突き止めないと大変なんだよ。ほら、書いてあるだろ、上映会が危ない」
遥は公広のその口調に違和感を覚えた。危ないのは事実なのに、どうしてもそこに危機感を感じられない。
まるで公広は、摘吹をあおっているかのように思える。
(なんだろう……? きみ先輩は犯人に心当たりがある……?)
今日の昼休みに届いた三枚目の脅迫状。それを発見する前に目撃した不審者について公広に話したところ、「それは俺の知り合いだから大丈夫」という答えが返ってきた。手紙を置いていたのではなく、手紙があるのを見つけてそれを確認し、公広に連絡までしていたらしい。その不審者は映研の様子を見に来ただけ、とのこと。
結局何者かは教えてくれなかったが、公広の人脈は広いし、遥の知らないところで協力している人物なのかもしれない。
「映研が廃部になることを知っている人間は、限られている」
「あぁ」
「常識的に考えて、映研がまともに活動するはずがないな」
「……お前の常識間違ってるぞ」
「だから、普通の人間は……特に元部員どもは、確かに映研の協力先を把握してはいるが、わざわざこんな真似はしない。そもそも映研が活動を再開するはずないと思ってる。だから諦めて、部を去ったんだ」
「……返す言葉もないな」
「そのまま勝手に廃部すると思うはずだ。それに、この最初の二枚はプリントだ。わざわざ手間をかけてまで準備するか?」
「そこなんだよ。……その二枚が引っかかる」
何が引っかかるのか遥には分からないが、やはり公広の中でおおよその見当はついているのだろう。そんな言い回しだった。
「単なる嫌がらせかもしれないけどな」
「それならいいんだけど」
「まあ、この二枚はさておくとして、こっちの三枚目。これは直筆だ。衝動的な、突発的な犯行の線がある」
「……今日の昼に見つけたんだ。昨日は早く上がったけど、部室はちゃんと施錠していた。犯人がそれを置けるとすれば」
「昨日の放課後から今日の昼までの間。……まあ時間帯なんてどうだっていい。問題は鍵だ。普通、部室の鍵なんて、部員じゃないヤツには貸し出さないよな? あるいは――」
少しずつ、核心に迫っている。そんな予感がして、遥はよりいっそう息を潜めた。
摘吹の声がする。
「――お前、もう犯人分かってんだろ」
「…………」
「むこうだってお前のことよく見てるから、あぁこいつら調子づいてんなって、こんな真似したんだろうよ。釘を刺すために」
「……そういうことするとは、思えないんだけどな」
「確信が持てないから追及できないってか? ……じゃあこの二枚について考えてみるか。これはお前らが訪ねようとしてたちょうどその日の放課後に、演劇部と美術部に送られてきたんだったな。本気で協力させないつもりなら、もっと脅迫状に信ぴょう性をもたせるための小細工を……部室を荒らすなりして威力行使するだろうよ」
まあ実際に協力してから行動に出る可能性も否めないが、と摘吹は付け足して、
「単なる偶然とも考えられるが、犯人は放課後より前に映研の動きを知ったんだろうな。前日か……それ以前。そうだな、お前、人手不足だからって昨年抜けた元部員どもに声かけでもしたか? 映研はちゃんと活動してますー、みたいなことでも言って廻って」
……どきり、と。
「いや? 昨日、栄と景秋が声をかけたくらいだ」
「待て……おいお前、昨日だと? 容疑者一気に増えたじゃないか。その声かけきっかけに三枚目を送り付けてきたかもしれないぞ、元部員の誰かが」
「だから悩んでるんだろ、俺も」
「…………っ」
頭でも抱えていそうな唸り声が聞こえてきた。
しかし遥の耳には、自分の心臓の音だけがやけに大きく響く。
「まあ、ボクの中で犯人は一択だけどな。映研が、元部員に声をかけて廻ってる……動き出そうと調子づいてる。それが気に喰わなくて、突発的に三枚目を用意した」
摘吹の言葉が、耳から離れない。
――人手不足だからって昨年抜けた元部員どもに声かけでもしたか? 映研はちゃんと活動してますー、みたいなことでも言って廻って。
相手は昨年抜けた元部員ではないが、確かに。
あの日、演劇部と美術室を訪れた日の昼休み、遥は。
(わたしが)
映研が廃部になること、それを撤回するために動き出したこと、今日その助っ人を求めに演劇部と美術部に訪れること。
それらを、伝えた相手がいる。
(わたしが、映研の動きを漏らした相手は――)
一人しかいない。
(
遥はとっさに駆け出していた。
「遥……?」
公広の声が聞こえたような気もしたが、それよりも遥の頭にはいつだったか、幼馴染みの言っていたことが蘇っていた。
――あいつ、昼とか放課後は大抵あそこにいるよ。
生徒たちとすれ違いながら、遥は廊下を走り、中庭へ向かう。
(なんで、どうして……!)
悠は、無関心だと思っていた。映研が何をしようが、自分には関係ないと。
分からない。悠のことが、一番の友達だと思っていた彼女のことが、分からない。
――今の遥は、嫌い。
もしかすると、映研なんて関係ないのかもしれない。
遥が、今更何かをやろうと調子づいていることが、悠には気に喰わないのかもしれない。
「…………っ」
悠とは、中学一年の春に出会った。同じクラスだった。
だけど知り合ったきっかけは、その年の夏。
その頃の遥は女子バスケ部所属で、それは初めてレギュラーとして参加した、他校との練習試合。
ふと、自分を撮影している少女がいることに気付いたのだ。
知り合いの応援に来ていたという彼女は、赤の他人である遥を撮っていた理由を後にこう語った――なんか、楽しそうだったから、と。
同じ学校の、同じクラスに所属する彼女、緋河悠は、それからというものスクープを狙う雑誌記者のように、気付けば遥の近くでカメラを構えていた。
変な子だった。
でも誰よりも、自分を見てくれた。
だけど――
『遥、どうしてバスケ、辞めたの。遥なら、もう少し頑張ればもっと……、』
『うーん……やるだけやったっていうか、わたしにはもう無理かなぁって思って』
『……そう』
いつからだろう。
『……遥はなんでも出来るね。なんでも出来て、なんでも楽しそう』
『そう……かな? 別に普通だよ、うん……普通』
『でも、「最後」までは頑張らない』
最後ってなんだろう。自分なりに突き詰めた先、限界を感じたそこが終着じゃないのか。
『……そのことに対して本当に頑張ってる人に、頑張りたくてももう続けられない人に、遥の半端さは、失礼だよ』
そんなことを、言われた覚えがある。
どうして悠がそんなことを言ったのか、遥には分からない。考えもしなかった。その頃、目立ち過ぎた遥は周囲の反感を買うようになっていたから。自分のことでいっぱいいっぱいで、違うクラスになり距離の生まれた彼女のことを、少しずつ分からなくなっていった。
決定的だったのは、たぶん、中学三年の時に起きた、あの一件。
悠が、写真のコンクールで賞をもらった。それは市が主催する小さな公募だったものの、悠の作品は市のホールで展示され、学校でも表彰された。
遥は嬉しかったのだ。だから感極まって、つい勢い余って――
(あんなことを……)
それからだ。それから――今の遥は、嫌いだと。
恨まれる理由には十分だ。
悠の中学校生活最後の一年を、めちゃくちゃにしたかもしれないのだ。
恨まれて当然で、そんな遥が調子づいていたら、悠だって気に喰わないだろう。
(昨日なんて特に、あのうさ耳で目立ってただろうし……)
さすがの悠も、我慢の限界だったのかもしれない。
「っ……!」
それでも、いやだからこそ――
今度こそ、決着をつけるのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます