11 わたしのヒロイズム




 織田おだの『彼女』なんじゃない? 彼女なんじゃない、彼女なんじゃない……。


 リフレインするその言葉。


 何もこんな時にそんなことぶち込まなくても……、と衝撃を受けながらも、はるの中では納得のいく理由がぽんぽんと思い浮かんでいく。


 そうかそれなら公広きみひろが隠していたのも頷けるし教師と生徒の禁断のラブロマンスであれば仕方ないし思えばあの電話の声は大人っぽく色気があったしそういえば保健室にお世話になったこともあるから声に聞き覚えがあるのも、


「冗談よ」


 あぁそうかじょうだんまわしげり……冗談?


「その可能性もゼロじゃあないんでしょうけど、察するにこれは……この前、織田が摘吹つまぶきにやられた時のものじゃないの。保健室で手当て受けたみたいだし」

「あぁ、あの鼻血の時の……」


 上段回し蹴りではなく、頭を下げた公広を蹴ったという、あの件。


「それなら別にビビる必要もないですね」


 と、遥は安心するのだが、


「私たちは事情を知ってるからいいにしても、他はどうかしらね? これを見て何を思うかは人それぞれ。そういう『疑惑』をふっかけるだけでも充分に効果がある。それに、『上映会を滅茶苦茶にする』。審査方法が投票だっていうなら、これほど凶悪なものもないわ」


 公広の人気を逆手にとって、投票に悪影響を及ぼすことも十分可能だ、と。

 遥は焦りを覚えるも、しかし今なら、あるいは、とも思う。

 こういう時の実結みゆは頼もしい。事情を知っても動じず、冷静にものを考えられる。彼女がいれば犯人も――、


「仕方ないわね。これは犯人の要求通り、私が降りる方が無難だわ」


「そうですねそれが無難――ちょっ、またそれですか! テロに屈するんですか!」


「早いところ折れといた方が、それこそ『テロ』に発展しなくて済むでしょうが。考えてもみなさいよ。部室が攻撃されて、機材を壊されたら? 肝心の上映会でこんなスキャンダルが暴露されたら? 全部台無しになる」


 犯人の要求は実結が降りること。部長を辞めること。それだけなら容易いし、別に映像制作を辞めろと言われている訳じゃない。自分がいなくても制作は続けることが出来て、そうなれば映研は存続できる――


「簡単な話よ。どうせ私は三年、受験もあるしすぐ引退するわ。……知ってる? 自転車ってペダルを漕がなくても進むのよ。ある程度の加速がついたり、坂道を下ってればね」


「はい……? いきなり何を……」

「だから、私が降りても映研は進むって話よ。それに、今は軌道に乗ってるから、」

「で……でもそのたとえだと! 運転する人いなくなったらコントロール失って、どこかに衝突するかもしれないじゃないですか!」


「そうならないように、誰かが乗るわけよ。たとえば、織田とか……、」


 そう言って、


「あんたがね」


 力なく微笑むその表情に、遥は全てを察した。


(わたしに、脚本を任せたのは――)


「そんな、でも……」

「あんたなら大丈夫よ。現に、ここまで映研を引っ張ってきたのはあんたじゃない」

「いや、でも、だけどそれは……、」

「…………」


 実結の表情はまるで聞き分けのない子供を見る母親のようだ。似たような顔を、最近ゆうにもされた。だけど、それでも、こればかりは見過ごせない。


(部長は、映研にとって必要で――ここまで一緒に頑張ってきたのに、部長だけここで降りなきゃいけないなんて)


 そんなのは嫌だという我が侭は、咎められるものだろうか。


「……まあ、そういうわけだから。私はすぐにでも映研から手を引いた方が……、」


「そのたとえだと、映研は今、下り坂を疾走中ってことじゃないですか」


 遥は俯きそうになる顔を上げ、しっかりと実結を見据えた。


「は……? いや、もうそのたとえはいいわよ」


「というか、全然下り坂じゃないですよ。上り坂を、逆境を、みんなでどうにかしようとしてる真っ最中じゃないですか。まだ登り切ってないのに……登り切ったとしても、部長がいなくちゃ最後にみんなでどや顔できませんよ!」


 部長がいなければ、全部終わっても笑い話になんて出来ないから。

 是が非でも引き留めたいという想いから遥が実結の腕を掴むと、実結は困ったような顔で、


「……私は、いない方がいいのよ。それが映研のためになる」

「そんな、どうして――、」


 それは脅迫状の要求とは関係ない、もっと深い何かを感じさせるような顔で。


「こういう自分語りみたいなのって好きじゃないんだけど、まあちゃんと説明しなくちゃ納得できないわよね」


 実結は一つ息をついてから、改めて口を開いた。


「あんたにも話したわよね。昨年うちで作った映像がコンクールで入選すら逃して、挙句の果てに摘吹と揉めたこと」


 それは映研の抱える、『何か』――


「……あれ、私のせいなのよ。私に原因がある。ついでにいえば、部員がいなくなって、映研が今こんな状況になってるのも、全部ね」


「どういう、意味ですか……?」


「コンクールの審査員に、私の父親がいたのよ。知ってる? 別に知らなくてもいいけど……もともと売れない実写映画の監督で、たまたま携わったアニメがヒットして今じゃアニメ監督として有名人。その関係で審査員とかやってて……、」


 そのコンクールで、映研はそれまで上位入賞していた。しかし実結の父が審査員として参加した年、実結の監督した作品は入選すら逃した。

 作品の出来が悪かったわけじゃないなら、理由があるとすれば――と、摘吹が訴えた。


「身内を贔屓して真っ当な審査をしなかったんじゃないか――世間からそう邪推されないように、逆に、娘の作品を審査せず落とした。映像の評価なんて関係なく、そんな体面的な理由があったんじゃないかって、あいつは言った」


 そしてそれが映研の中に不信感をもたらし、多くの部員が離れるきっかけになったという。


「で、でも、そんなの実結先輩のせいじゃ……、」


 力の抜けた遥の腕を、実結がそっと振り払う。


「そうやって先輩たちも擁護してくれたけどね。……誰より、私自身がその可能性を疑ってたから。直接確認したわけじゃないけど……うちの親はなにせ成り上がりも同然、そうした世間の評価を何より気にするだろうって。……実の娘よりもね」


「…………」


「そんな下らない理由で、みんなで頑張って作った、最高だって思える作品を否定された。先輩たちの最後にも泥を塗った。努力が報われなくちゃ、良い思い出にすらならない。……やるせなくて、だからってどうしようもない。辞めてった連中は、そんな怒りを私にぶつけたわ。直接そうはしなくても、不満や、みんないろいろ思うところはあったはず」


 頑張ったからこそ、最高だと思えたからこそ、それが許せなかった。


 実結はただ受け入れた。それくらいしか償うすべが思いつかなかった。部の空気は険悪になり、それを苦に離れる部員もいたという。本当ならあの時に自分も部を辞めてしまうべきだったと、実結は当時を振り返る。


「最悪なのは、あんたの兄貴が私を次の部長に選んだこと。責任を感じるなら挽回しろって意味だと思う。あの人の考えは分からないけど」


 落ちた視線の先には、きっと苦い記憶が映っている。


「……当然反発があって、それで当時の二年は私以外、全員抜けた。私にはあいつらを納得させられるだけの、部長としての素質がなかったってわけよ」


 人間関係とか集団での作業って、めんどくさいわよね、と。実結の表情が自嘲に歪む。


「でも……きみ先輩たちは」

「残った連中は、そうね……本当に良いものなら、下らない世間体とか関係なしに賞をとれたはずだって、そういう、周りを黙らせるだけの何かが足りなかったんだって……私を信じてくれた連中」


 より良いものを作り出せるはずだという期待があったのだろう。でもそれは、実結にとってはこの上ないプレッシャーで。


「だけど、中心に立って部を動かすべき私が、続けられる気がしなくてね。挫折とでも言えばカッコがつくのかしら。ある種のトラウマというか……やる気が起こらなくて。何もしない方が、辞めてった連中にも示しがつくような気がして」


 何話してんだろ、という風に、軽く笑って、


「……まあ言い訳にしかならないわね。そんなんだから……私に愛想尽かして、結局残ったのは諦めの悪いアホ三人組だけってわけよ」


「……だけど、それは昔の話ですよね」


「過去があるから今がある。あんたがきて、なんだかんだで制作に入って、せめて私がいなくても大丈夫なように引き継ごうなんて……今更動こうとしたから、こんなことになった」


 実結は遥の手の中にあった脅迫状をひょいっと抜き取る。


「きっと送り主は元部員の誰か。映研が演劇部や美術部に頼ることを知ってて、こんな要求してくるのなんて、身内くらいのもんじゃない。今更私が動くことが気に喰わないのよ。――だから、私が辞めるのが一番。それが映研のためになる」


 くしゃりと脅迫状を握り潰し、実結は朗らかに――努めるように明るく、笑った。


「……私だって、ただ辞めるつもりはないわよ。辞めただけじゃ済まないかもしれないし。形だけでも辞めて、映研とは関係なしに単独で犯人捜しでもしようと、」


「それはきみ先輩に任せれば大丈夫です」


 実結の言葉を遮り、遥は告げた。


「は……? いや、ロトスコープを取り入れることになったら、織田はそれで手いっぱいでしょうよ。そうでなくても美術部の部長との橋渡し役があるんだから、」


「じゃあわたしが犯人捜しますから! 実結先輩は部室にいなきゃダメなんです! 実結先輩がいなくちゃ動くものも動かなくなります! 自転車は映研じゃなくて、部長なんです!」


「だからそのたとえはもういいわよ……」


 きっと遥の想いは大きなプレッシャーで、実結だって強いわけじゃないことは知っている。

 だけど、部長が部室にいること。それだけで公広たちも安心して作業が出来るし、何かあっても彼女なら解決策を用意してくれる。そして何より実結の知恵と経験が、これから作り出す映像のクオリティを高めてくれると遥は確信している。


「わたし、この前の……演劇部で聞いたこと、考えてみたんです。説明会の出し物のこと。部長はみんなでやるんじゃ妥協とかしないといけなくて、自分の思い描くものを百パーセントは形に出来ないって」


「……そういえば、そんな話もしたわね」


 苦笑しながらも、実結は「それで?」と続きを促してくれた。


「あれって、みんなでやれば自分が想像もしなかったアイディアが出たりして、今よりもっと、一人で作るより良いものを生み出せるってことだと思うんです」


 少なくとも遥はこの数日、自分の考えたアイディアを元に話が進んで、それがみんなの意見でどんどん膨らみ大きくなって、一人で考えたものより遥かに良くなることを実感した。


「それに、一人で何かするよりすっごく楽しくて」


 自信をもって発表してもわずかに残る不安さえかき消して、出し合った意見が自分の発想をより輝かせる嬉しさや楽しさを、興奮をくれる。それが刺激になって、新しいアイディアが生まれてくる。

 いつかそれは、百パーセントを超えるだろう。一人じゃ至れない遥かその先へ。

 きっと、そういうことを、公広は伝えたかったんじゃないかと。


「だから……辞めないでください」


 今の映研には――


(わたしたちには)


 実結が必要だ。

 実結にいてほしい、一緒に頑張ってほしい、何より自分がそう想うから、そんな自分の中のこの気持ちを、ちゃんと実結に届けたいと思った。

 誰かの言葉じゃない。借り物じゃない、これだけは自分の言葉で伝えたい。


「わたし、脚本考えてきました。部長に……実結先輩に、見てもらいたいです。それで、先輩の意見が欲しい。正直自信ないから、もっと良くなるように協力してほしいです。……それが一番、映研のためになると思うから」


「…………」


「実結先輩がいくら性格悪くて、短気で、ほんとはネガティブで、元部員って人たちから嫌われていたとしても、わたしはそんな実結先輩のこと好きですから! なんだかんだで今日まで実結先輩がいてくれたから、今もまだ映研はあって、だからわたしは……わたしは――、」


 公広たちと出逢い、いろんな経験をして、これまで知らなかった、誰かと何かを作る楽しさを知って。

 こんな風に大声をあげるくらい、必死になれた。

 それだけ真剣に思える、大事なものに出逢えたから。


「あ、う……」


 自分が映研を、今を、こんなにも想っているなんて――


「……何を、自分の言葉に照れてんのよ、あんたは。反応に困るじゃないの……」


 だって、今になって初めて、気付いたから。

 こんなに夢中になれることが、自分にもあったなんて。


「……この人たらしが……」


 恥ずかしくなって項垂れる遥に、実結はため息混じりにそう呟いてから、いつものように遥の横を抜けながら肩を叩いた。まさか出ていくのかと遥が慌てて顔を上げた時、実結は片手で顔を拭っていた。


 そして――



「……やけに来るのが遅いと思ったら。あんたたちは揃いも揃って……」



 部室の扉を開くと、廊下には公広たち男子三人と、それから近実このみの姿があった。


「あ、いや、そのっすねー……廊下にも声聞こえてたんで……」

「……入るに入れなかった、というか……」

「ここは遥に任せてみよう、かなぁ、と……」


「あんたたちはどこまでヘタレなのよ。おまけに盗み聞きまでして……、」


「あ、あたしは止めようって言ったのよ? あ、言ったんですよ?」


 実結は四人を睨んでから、片手で頭を抱えた。


「あー……こんな馬鹿どもに気付かないくらい感情的になってた自分が馬鹿みたいだわ」


「……あ、あの、なんかすみません……」


「もういいわよ。それより、私のお昼ちゃんと買ってきたんでしょうね? さっさと食べて、脚本詰めるわよ。時間ないんだから!」


 ほとんどやけになっているようにも見えたが――


「それから織田! あんたも変な写真撮られてんじゃないわよ!」

「写真……? あぁ、――」


「そういえば脅迫状がどうのって……なんだ? 何かあったんすか?」

「部長がああも感情的になってたんだ、何もなければそうはならない」

「あたし知ってるわっ。それはねえ……、」

「近実先輩ちょっと黙っててくれますか?」


 ――結局その件は全員に知れ渡ることになってしまったが、でもそれはこれからの前進を妨げるものにはならない。


 そんな、これからもっと勢いに乗るだろう映研を後押しするように――



「あ、あの……」



 彼女ヒロインが、やってきた。



「遅れてすみません――」



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