9 その結末を仰ぎ見て
昼休みも半ばを過ぎた頃になって、ようやく映像制作の話に入る。
「まずはスケジュールの確認に入りたいんだけど……その前に。
「昨日、部長に相談してたことがあってさ。今回の件、確実に審査を通るためにも、もっと映研らしさを出したいというか……技術的なものを組み込んでいきたい、と。ただ、ちょっと手間もかかるし、制作の根本に関わることだから、みんなの意見を聞きたい」
「技術的っていうと……具体的に、何をするんですか?」
ただえさえ手伝えることが少ない
「ロトスコープ――と言っても、分からないか」
「ロトスコープっていうのは、そうだな……実写の映像をトレース――映像を絵に描き起こすことで、アニメにする技法だよ。つまり、実代さんが動いている映像をそのまま使うんじゃなく、その映像を元にアニメーションを作る。『実代さんの動き』だけを映像に使う感じ」
他にも、映像から描き起こすためシーンを一から描く必要がなく、トレースだけなら遥のように技術のない初心者でも可能で、人手さえあれば作画のクオリティをある程度一定に保つことが出来るらしい。
「先に実写の映像を撮影する手間はあるけど、それは元々するつもりだからいいとして――問題は、場合によっちゃアニメの原画や動画より描く枚数がかさむ。つまり、時間と手間がかかるんだ。だけどトレースなら俺や遥も手伝える」
遥と実代、近実は経験もないから実感が湧かないが――
「昨年、まだあいつらもいた頃に――」
と、景秋が重い腰を上げるかのような口調で言う。
「ロトスコープで映像制作をしたな。忘れるわけがないと思うが、あれはなかなかの作業量だぞ」
「……そうだよなぁ、特に激しく動いてるシーンは数がかさむし。確か……一秒当たりの枚数がアニメの約三倍くらいって言ってたか? トレースとはいってもだいぶキツかった覚えがあるぜ」
どうやらそれは、締切に間に合わなくなるリスクをはらんでいるようだ。
時間に追われてクオリティが下がるくらいなら……、という、いつかの実結の言葉が脳裏をよぎる。
「だから私も言ったのよ」
と、その実結が呆れたようなため息をこぼす。
「うちの映研には新入部員も参加させてロトスコープで映像制作するとかいう謎の伝統はあるけど……確かに今後のことも考えて遥に仕事させるっていうのはいいのかもしれない。技術面のアピールって言うのも分かる。でもそれよりまずはこの難所を乗り切ることを優先すべきで、そういう挑戦はあとにすべきなんじゃないかってね」
どうやら三人はあまり乗り気ではない様子だ。
しかし公広は苦い表情でなおも続ける。
「……技術面をアピールしたいっていうのは、正直建前だ。本音を言えば、俺も……もっと確かな形で制作に関わりたい。直接携わりたいって思う。出来ることと出来ないことがあって、そのための役割分担なのは分かってるけど――」
だからこれは、俺の我が侭だ、と。
遥は少しだけ硬い空気を肌に感じる。
部室に沈黙が落ちると、「はぁ……」と実結が再度ため息を漏らした。
「実写パートの撮影とか、関わる方法ならいくらでもあるでしょうに。どうしてもアニメでやりたいっていうのは、もう執念よね。んなもん持ち込むなって切り捨てたいところだけど、」
実結はそこで言葉を切って、この場にいる全員を見渡した。
「最悪、これが映研最後の仕事になる。思い残すことなく、全力で当たりたいっていうのは、分からなくもない。だから――」
一人一人の顔をちゃんと見てから、告げた。
「多数決を採るわ。ちょうどこの場には七人いるしね」
七人いるとはいっても、公広は提案者だから実質六人。半数が賛成すれば決定なのだろう。
「七人って……え? あたしも?」
近実がきょとんとすると、実結はまた呆れたように、
「それこそ場合によっちゃ、あんたの作業量も増えんのよ? まだコンテ切ってないからなんとも言えないけどね。実代も、ロトスコープとなれば撮影時間も増えるかもしれないし、トレースが織田の手に余るようならあんたも駆り出すことになる。……そうでなくても、近実は同人誌もあるでしょ?」
「お、おぉう……。じゃ、じゃあ……あたしは反対で」
公広のことを気にするような素振りを見せつつも、近実は小さく片手を挙げた。
「……俺の働きにもよるけど、手が足りないようなら最悪、二人にも迷惑をかけることになると思う。だけど、俺に出来ることは十全に、万全にこなすつもりだ」
公広は静かにそう言って、栄に目を向けた。
「でも今度は素材が増えて、編集に迷惑かけると思う。だから、任せるよ。俺のことはいいから、映研のことを一番に考えて、決めてくれ」
「…………」
栄も景秋も目を伏せ、すぐには答えを出さない。きっとロトスコープを導入した場合における作業量を考慮しているのだろう。実結の言う通り、未だコンテという映像の設計図は出来上がっていないのだ。
判断材料は少ないが、それはこれからどうなるか分からないという懸念になって、迂闊な同情を呑み込ませる。
「一応、スケジュールについて触れておくわね」
と、実結が席を立ち、ホワイトボードに書き込みながら、
「来週からテスト週間に入るわ」
それは衝撃的な、もしかすると誰もが忘れていた現実だった。
「えっ? 嘘? もうそんな時期? ヤバくない? テスト期間中って部活……、」
「そ。来週いっぱいと、それからテスト本番の再来週の三日間、部活は禁止になる。なら放課後に別の場所で集まって作業する……っていうのは当然考えてるけど、学生の本分はあくまで学業、部活動は二の次よ。映像制作にかかりきって成績落としたんじゃ、
露わになった判断材料は、その選択に重い影を落とした。
「聞いておきたいんだけど、あんたら、今度の中間テストはどう? 織田は大丈夫としても」
実結の問いかけに景秋と栄はそれとなく目を逸らした。栄は分かるが、景秋もテストに不安があるとは意外だと遥が思っていると、「あんたはどうなのよ」と実結に水を向けられる。
「わたしですか? わたしはその筋だと一夜漬けの女王と呼ばれています」
「あっそう。で?」
「……あ、はい。普通というか、まあ平均点は狙えるかと思います……」
高校生になって初のテストだから自信を持っては言えないが、授業はそれほど難なく理解してきた。遥が大丈夫ともう一度頷くと、実結は近実と実代に目を向ける。
「あたしたちも? 映研じゃないのに?」
「当然でしょ。うちを手伝って成績落としたってなったら、アウトに決まってるじゃない」
「あ、あたしは、まあ……えーっと……うーん……」
「その反応から程度が知れるわね。それで、実代は?」
「はい?」
ぼんやりしていたのか、実代はきょとんとした顔で実結を見上げる。
「テスト……ですか? まあ人並みには勉強してるので、なんとか」
「なんだかあんたが一番頼もしく感じるわ」
まったくである。遥もいざとなれば実代に教えを請おうと思った。
「……この分だと作業しながら勉強会になりかねないわね。ハードだわ……アホどもを教育しつつ進行しなきゃならないなんて」
と言うからには、実結はテストに不安はないのだろう。とはいえ彼女は三年生、今年は受験だ。
「まあ、そういうわけだから。テストのことも踏まえた上で決断しなさい」
「部長は……、」
公広の言葉を遮るように、実結は片手を挙げた。
「どっちでも、結果に従うわ。だから実質五人、あんたらで決めなさい。……ただ、やるとなれば私も昨年、一昨年とトレースやらされてるから手伝えないこともないとは言っておく」
やりたくはないけどね、と苦笑した。
それから、再び沈黙が降りる。
(わたしは……)
遥としては公広の気持ちを汲みたいところもあるが、ここはシビアに、現実的に考えるべきところだとも思う。演劇部と美術部に送られた脅迫状の件も未だ解決していないのだ。昨日の今日でまだ何も起こってはいないが、このさき何かが起こらないとも言い切れない。
「オレは、」
と、最初に沈黙を破ったのは栄だった。
「織田の気持ちも分かるけど、部の良心としてここは苦渋の決断を下すぜ」
栄なら、どんな困難も気合で乗り切れると、前向きなことを言ってくれると思っていた。
「――反対だ」
「……うん、それでいい」
その答えに、公広は静かに頷いた。
「悪いな。けど、ここで賛成したらお前はオレたちに負担をかけないようにってとことん無理するだろ。それで肝心の上映会に、オレたちの映像の晴れ舞台にお前が立ち会えないんじゃ、まんげつちゃんたちにどや顔出来ねえ」
オレもぶっ倒れたくねえしな、と。
それは、周りをちゃんと見て、空気を読める彼だからこそ言えることだった。
確かに、公広は無理をするだろう。それは先の言葉を聞けば想像できたことで、だからこそ誰も、栄の決断に意見することは出来ない。
残るは遥と、景秋、そして――
「あの……一つ、いいですか」
実代が恐る恐るといったように挙手し、不安げに問いかける。
「ロトスコープっていうのが、私の『動き』だけ使うなら……もしかして、私はいらないってことでしょうか……? 他の、誰かでもっていう……」
「あぁ、ごめん、そうじゃない」
公広が説明する。
「実写パートはこのままだ。今のところ変更はない。ロトスコープはアニメパートだけで、全部か、あるいは一部だけに導入するつもり」
その辺の意思疎通は、公広たちにとってはわざわざ言葉にするまでもないものだったのだろう。だが今は完全に部外者になっている遥や実代にとって、そういう説明がないとよけいな不安ばかりが募る。
「ロトスコープっていうのは実物にしか出せないリアルな動きを、アニメーションに落とし込むっていうか、アニメの中で再現する技法だから。これならアニメじゃ出せない実代さんの動きをアニメパートでも表現できる。君の独特な……なんていうか、不安げな感じが」
「不安げな感じ……、」
「俺たちが君を選んだ理由もそこにある。新しい場所に踏み込むことを躊躇うみたいな、これから入学式に向かう新入生みたいなイメージで」
ただ、と。
「ロトスコープをうまく使えば違和感なく、君の顔を映さずやれるとは思うけど……欲を言わせてもらえば、動きだけでなく、君の『顔』も欲しい。これはロトスコープは関係なしに、実写での出演って意味で」
「か、顔って、このイケメン何を……、」
と、近実が何か口走ろうとしたのを、実結が睨みをきかせて黙らせる。どうやら公広の主張には、実結も、栄も同感らしい様子だった。
「……人の感情っていうのは顔に一番出る。君のその不安そうな表情が映像のイメージには合うんだ。……景秋は前に言ってくれたけど、絵には絵の魅力があるとは思うけど、絵では表現できないようなリアルがあるんだ。誰もが一目見て君の今の気持ちが分かる。分かりやすいというか、感情が顔によく出る。俺は……その顔なしには、君の魅力を百パーセント活かせないと思う」
それは無理強いするものではない。だけど、実代にとっては――、
「僕が君を描く」
景秋の言葉に、俯きかけていた実代が動きを止める。
「だから、無理に顔出しする必要はない。とはいえ……僕は自分の絵で君の魅力を表現できるという自負はあるし、そのつもりだが、君の笑顔には、その表情には、有無を言わせない説得力があるのも確かだ」
「…………」
黙り込む実代。
それから、てっきり反対するのかと思ったが、
「……ロトスコープの件、僕は賛成しておく。言いたいことはいろいろあるが、公広は自分の仕事はきちんとこなす。それで僕の作業分が減るのなら、僕は僕の仕事をするだけだ」
実代の魅力を『絵』の中に表現するために、景秋は公広を信頼して託した。
(なら、わたしは――)
公広の言うように、遥も自分の手で制作したのだという実感が欲しい。もっとちゃんと携わりたい。
だけど、自分のやりたいことをやってしまって、果たしてそれでいいのか。
賛成すれば遥にも仕事が出来るが、締切に間に合わなくなるリスクも同時に生じるのだ。
これは共同作業。一人で好きにやって、それでダメならいい思い出にしておしまいなんてことは許されない。だからここは自分の気持ちを押し殺してでも、堅実な道を進むべきではないか。
自分のやりたいことを我慢して。
「要点をまとめると――アニメパートにロトスコープを導入する。これは俺の我が侭だ。それで、全体的な作業量が増えることになる。上がった素材を編集する栄にとっても負担だけど、一方で、一から絵を描き起こす必要がなくなるから、景秋や近実には実写じゃ表現できない実代さんの表情だけに集中してもらえる」
それに、公広はもしかすると脅迫状の件を知る遥に自分を止めてほしいのではないか。何も言わず、目も合わせてくれないのはそのためかもしれない。
映研のことを真に考えるなら、作業量の増える危険な道を進むべきではない。
たとえそれが、自分の本心でなくても。
……押し殺して。
ほら、最善策はちゃんと分かっているのに。
みんなのために。
(わたしは、でも――)
迷い、悩み――重たい空気に堪えかねて、言い出せないまま時間が過ぎる――
「あの」
実代が口を開いた。
「……少し、考えさせてください」
「そうね。まあすぐに答え出せっていうのもあれよね。じゃあ――」
昼休みが終わりに近づいていたのもあって、採決は放課後に流れることとなった。
しかし、放課後までに遥は答えを出すことが出来ず――
「……あれ? きみ先輩だけ……ですか?」
「……みたいだな」
――その日、部室に全員が揃うことはなかった。
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