3 その名は『希望』-美術部攻略戦3-




 ――『サクラノヒロイズム』、作・希望のぞみ


 物語は、〝さくら〟を頼まれある劇を観にいったヒロインが、舞台に立つ少年に恋をすることから始まる。

 ちょっと他人事じゃなく感じるような恋愛漫画だった。


 全ページカラーで、透き通るような繊細なタッチの色使いが印象的。表紙は一見目を引くものではなく、周囲に溶け込んで目立たないが、ちゃんと手に取ればその美しさに釘付けにならざるを得ない。そんなイラストでありながら内容は馴染みやすく、登場人物同士の掛け合いも面白い。素直に楽しく感じ、はるは時間も忘れて読みふけってしまった。


 公広きみひろが作品を勧めてくれることはよくあるしこれもその一環だろうとは思ったものの、渡された時の言葉が気になって調べてみれば――どうやら最近話題となっている作品で、元々は作者のサイトでWEB連載されていたものが人気を集めて書籍化、単行本第一巻はかなりの部数が売れている模様。もらったのも増刷分だった。


 しかし、公広がどうしてこの作品を全員に渡したのか、その真意までは掴めなかった。


 だが、それがもし、この時のためだとしたら?


(色づかいはだいぶ違ったけど、あの絵柄……)


 遥は美術室の廊下で観たイラストと、昨夜読み込んだ『サクラノヒロイズム』の絵柄を頭の中で比べてみる。印象はだいぶかけ離れているが、キャラクターの絵柄はどことなく似ているような気がした。

 ということは――


(もしかして……?)


 にわかには信じがたいものの、声優もいるくらいだし、この学校はなかなかクリエイティブなところなのかもしれない。


「――と、ともかくよ」


 近実このみは落ち着かなげに二つに束ねた髪をもてあそびながら、


「え、映像制作とかよく分かんないし……。それも、学校を紹介するとか、ちょっとあたしには……」


 さっきまで怒鳴っていたのが嘘のように、近実はもじもじもぞもぞと大人しくなってしまっていた。


「別に近実ひとりに任せるんじゃない。こっちにも絵を描けるやつがいるんだ。近実にはそのフォローという形で入ってほしい。仕事も責任も君だけに押し付ける訳じゃないから安心してくれ。……そういうのはプライドが許さないっていうなら、メインに入ってもらってもいいんだけど」

「あ、あたしはそんなプライド高いキャラじゃないし……」


 どうだろう、高そうなイメージだ。

 遥には高笑いする彼女の姿が容易に思い描けるものの、しかし今の彼女を見ているとその印象もやや薄らぐ。


 なぜだろう、と不思議に思う。

 近実がもしなのだとしたら、もう少し自信を持ってもいいはずなのに。

 どうしてこうも自信なさげに、


「……あ、あたしなんか、入っても足手まといになるだけだからっ」


 そんなことを言うのだろう。 

 やりたくないからというだけのただの言い訳にしては表情が気弱で、プライド高い云々が嘘だとしても、足手まといになるという言葉には本心が潜んでいるように思えた。

 まるで自分の絵に自信がないかのように。


「映像制作の技術とか経験とか、そういうのはいいんだ。近実には絵を描いてもらうだけでいい。それなら得意だろ?」

「得意っていうか、なんていうか……」

「……賞だって、もらってる」

「いや、だからそれは……、あれで……、その……」


 公広に退く気はないようだ。近実が本気で嫌がっているならそれを察して諦めるだろうが、これは遥にも分かる。近実は渋っている。迷っているのだ。もう一押しすれば頷いてくれそうな気配、言ってしまえば「チョロさ」がある。

 しかし、公広は攻めあぐねているのか、似たような言葉を繰り返すばかりでどうにも決定打を与えられていない。


「大賞に選ばれたわけでもないし……」

「コンテストの結果はどうだっていいんだ」

「ええぇっ、ちょっ、はぁ? 佳作でも一応評価は良かったんだからっ」


 自信があるのかないのか、どっちなんだろう。


「な、何よ一年、その顔は」

「え? いや別に」


 ふいに水を向けられ、遥は平静を装う。決して、めんどくさい人だなぁ、とか思ったりなんかしていない。していないのだが、


「こいつあたしのことナメてるわ!」


 指差し、批難するように叫ぶ。どうやら見破られていたようだ。


「別に遥だって近実の評価を疑ったりしてないさ。俺だってあのイラスト、すごい好きだ」

「あっ、ふぇっ? いや、えっと……それは、どうも……」


 顔を真っ赤にして狼狽える近実である。遥なんだかだんだん苛々してきた。


「他のイラストもかなり魅力的だし、作品ごとに彩色を使い分けてて、そのどれもが特徴的だ。俺は近実のそういうスキルを評価してる。その力を、映研に貸してほしいと思ってる」

「ほ、他のイラストって……。な、ななな何見たのよ」

「…………」


 挙動不審を再開する近実はまるで何か隠し事をしているかのようで、対する公広はそんな彼女をジッと、さながら容疑者を尋問する刑事のように見つめる。

 そこで、遥も気付いた。


(こういう反応するってことは……)


 ちらりと周囲を窺う。こちらの様子を気にする美術部員たち。そして近実は、そんな周りのことを気にしている。


 公広が口を開く。


「過去にもいくつか入選してるだろ。それを見たことがあるんだ」

「あ、そ、そう……」


 どうやら彼女は、〝あのこと〟を周りに隠しているようだ。隠したい事情があるのだろう。だから公広はあえて公言せず、近実を気遣ってそれとなく示唆するだけに留めている。それでも針で突くようにちくちくと攻めてはいるが、本人が気づくまで決定的なことは口にする気はないようだ。


 あとは近実がそのことに気付けばいいのだが――なんだかすごくほっとしていた。周りに秘密がバレずに済んで助かった、といった感じに。安心しきっていて気付きそうもない。


 どうしてだろう。どうして、隠したいと思うのか。

 佳作でも評価は良かったと主張するくらいプライドが高いのだ。それなら、もっと自信をもって誇ってもいいことのはずなのに。

 そもそも、近実はこうやって周囲を気にするくせに、部長含め他の部員たちがキャンバスを前にしているにもかかわらず、一人だけパソコンを使って違うことをしている。技法だけじゃなく、絵柄、ジャンルすら違う。

 一方で、秘密がバレて目立つことは厭っているようなのに、周りから浮くようなことは構わない様子だ。

 それは矛盾しているように思う。


(この人は――)


 あの時、廊下でそのイラストを目にした時の衝撃を思い出す。

 異様に感じた。だけど、惹きつけられた。それは単にその場から浮いていただけではない、もっと違う、強い意志を感じた。


(きっと、きみ先輩と同じなんだ)


 たとえ周囲から浮くようなことになったとしても、それでもやりたいことをやりたいという、それだけの情熱があるのだ。

 だけど、やりたいことをやっている、その結果、目立つのなら構わない。だがその評価に関して知られるのは恥ずかしい……。そんな、ごくありふれた感性も持っている。

 少しだけ微笑ましくもある。でもそれ以上に。


(ただのめんどくさい人じゃなかったんだ)


 素直にすごいと思う。自分には真似できないものだ。

 不覚にも胸が高鳴る。公広に対する何かに近しいものを感じてしまった。


「な、何をにやにやしてんのよ」

「え? にやけてました?」

「いちいち癪に障る一年ね……」


 腹立たしげに呟いてから、近実はこほんと咳払い。


「も、もういいでしょ? 部活中なのよ。今やってるイラストだって今日中に仕上げたいし……」

「ペクシブにアップする、とか?」

「ぺく……っ、」


 絶句し、それからすごい形相で公広を睨む近実。


 ペクシブとは、いわゆるイラスト投稿型コミュニケーションサイトの一つだ。素人からプロまで、いろんな人たちが自身の描いたイラスト、漫画、小説を投稿し、それを見たり読んだりしたファンと交流することが出来る。そこから編集者の目に留まってイラストレーターや漫画家としてデビューする人もいるのだ。

 近実がそんなサイトを利用していても、なんら不自然はない。

 しかし。


「ぺ、ぺぺぺぺ、ペクシブなんて、あたし知らないけどー……」


 近実は隠す。遥にはもはや公広がわざと近実をいじめているような気もしてきた。

 だけど公広はあくまで「こっちはお前の秘密を握ってる」という形で押し通すつもりなのだろう。その方が表面上、近実も自身の秘密を隠していられる。

 これはいわば、駆け引きだ。

 ただ問題なのは、駆け引きする相手にその意識がないこと。

 そうなると事態は平行線。

 なら、それを突破するきっかけを作れるのは。


(大丈夫。この人の絵は――)


 だから。


「そういえば、近実先輩」

「な、何よ」


 呼びかけると、近実は「またこいつか」とでも言いたそうに不機嫌な顔になるも、



「わたし、『サクラノヒロイズム』読みましたよ」



 直後、硬直した。

 口を半開きにし、目を驚愕に見開いたまま固まっている。


「話にも共感出来ましたけど、一枚一枚の絵がとってもきれいで、続きを読みたくてページをめくる手はとまらないんだけど、見開きとかじっくり眺めてたくなるくらい素敵で!」


 何かのメーターのようにじわじわと赤くなっていく近実。遥はさらに声を大に、美術室内に響くように、大声で告げる。


 だってそれは、知られたって恥じるようなものじゃない。むしろ誇るべきものだと信じて。


「単行本の描き下ろしイラストもすごく魅力的でした! あ、そうだ! サインとかいいですか、『希望』先生!」


 瞬間、顔を真っ赤にした近実が飛びかかってきた。


「ちょっ、そんな大声で……!」


 これ以上言わせまいと遥の口を塞ぎにかかる。しかしもう、肝心なことは公言された。


 敢えての大声。集まる視線。

 公広がなるほどと感心する。


「……敢えて自分の評価を下げたうえで、相手をべた褒めする作戦だったのか。別にわざと怒らせてた訳じゃなかったんだな」


 そんな意図はなかったのだが。


「……だけど、どう収拾する? 博打だぞ、これ」



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