2 その名は『希望』-美術部攻略戦2-




「……協力しても、大丈夫なんですか」


 進条しんじょうの一声で美術部の歓声が収まってから呟かれた公広きみひろの声は、はるの予想に反して暗く、硬かった。


「なんだ、不服か? それがお前の望みなんだろう」

「だけど……」

「気後れするなよ、


 進条は強い口調で告げる。


「こちらの都合など気にするな。他人の悪意など知ったことか。……お前はなんのためにここに来た? 自分の目的を遂げるためだろう。それならそれを貫き通せ。お前の覚悟はそんなものじゃないはずだ」

「俺の、覚悟……」


 それは、そう――〝健全なるオタク〟の在り方。

 外聞なんて気にせず、自分の好きなものを好きだと言える、その気持ちを貫き通す信念。


「お前はこれまで、なんのために俺に付き合ってきた? 俺の要求に応えてきたのは全て、この時のためじゃないのか。お前にはやりたいことがある。それには俺の力が必要なんだろう。だったら、多少の無理強いくらいしてみせろ。もっと利己的になれよ、織田公広。下らん脅迫など、」


 そう言って進条は遥の手にある脅迫状を奪い取ると、一息にそれを引き裂いた。


「気にするな」


 おお! 再び美術部員から歓声が上がる、が。


「あ、物的証拠……」


 遥の呟きを受けて、しぼんでいった。


「…………」


 進条もやや気まずそうに、握り潰したそれを丁寧に伸ばし始める。


「……と、とにかくだ。この手紙を置いていったやつもこそこそやってるんだ。こっちもバレない程度にこそこそやればいい。さすがに俺たちが映研に通うのは目立つ。そちらが俺を説得しにきているという体で仕事を持ってくればいいだろう。それなら俺も動かずに済んで楽だ」


 進条のその具体的な提案に、公広もようやくちゃんと顔を上げた。

 そして――さすが公広だ、と遥は思う。前に進むと決めた彼は、もう躊躇わない。


「部員をお借りしたいんですが。出来れば、映研に来てもらえるとありがたい」

「図々しいやつだな」


 と、進条は笑みを浮かべる。


「けどな、どこから犯人に情報が漏れるか分からない。万が一、関与していると疑われれば面倒にならないとも限らん。部員を個別に狙うような大胆な真似はしないにしても、それも絶対とは言えない。この部屋が狙われる恐れもある。そうなると部の備品が心配だ。出来るだけ協力していることは知られない方がいい。ならおのずと少人数に絞られるだろう」


 やはり進条は慎重で、そして部長としての責任感に満ちている。部員たちからの信頼もさぞ厚いことだろう。美術部員たちは部長の決定に異を唱えない。みんな映研に協力してくれる気があるようだ。


「それから、まあこいつらのやる気は問うまでもないようだが、部として隠れて協力するのと、個人として協力するのはまた別の話だ。それにはそれのリスクがある。部としては何もないが、そいつにはそいつの都合もある。こればかりは俺の独断では決められない。直接交渉するんだな」

「そのつもりです」

「そうか。……ところで、誰を連れて行くつもりだ」


 公広は黙って、教室の隅に顔を向けた。そこにはこちらのことなどお構いなしに、何かに没頭している少女の姿がある。

 進条が顔をしかめた。


近実あいつか……。まあ、想像はついたが」

「お願いできますか」

「…………」


 進条はしばし思案するように視線を落としてから、


「まあ、俺としても善処しよう。だが、直談判はお前たちでするんだな」


 その回答に遥が首を捻っていると、公広は一つ頷いて、進条に頭を下げた。そしてこちらからだと教室の反対側にいる少女の元へ向かう。遥も慌てて頭を下げ、その後を追った。


 歩きながら、独り言のように公広が呟く。


「……ある意味、脅迫状これのお陰か」


 くしゃりと手の中の封筒を握りしめる。


「きみ先輩の日頃の努力の賜物ですよ、そんなもののお陰じゃなくて」

「……だといいな」


 笑みをくれるが、やはり表情はどこか強張っている。

 遥も脅迫状のことは気になるが、公広は遥以上に重く受け止めているのかもしれない。


 こちらの動きを追っている美術部員たちの視線を感じながら、教室の端、他の部員たちから離れたところで一人だけパソコンを扱っている少女に近付く。


 彼女は一言で表すなら、一風変わっていた。

 他の生徒が制服姿であるのに対し、彼女は赤いジャージ姿。眼鏡をかけ、その姿はさながら締切前の漫画家のよう。長い栗色の髪は背中で二つに束ねられ、前髪は額を出すようにピンで留められている。表情は集中しているためかどこか不機嫌そうで、眼鏡も相まってなんだかお堅い委員長キャラを想起させた。

 首や手足はすらりと細いが、背丈は遥より少し高いという程度。しかし遥より大人びた容姿をしている。格好が少し野暮ったいが、それはそれでそれらしい年上な雰囲気があった。


 近付いてみると、ヘッドホンで耳を覆っていることに気付く。もしかすると先ほどまでのちょっとした騒ぎも聞こえていないのかもしれない。現に今も、遥たちの接近に気付かないくらい集中して、手元のタブレットとパソコンを見つめ、時折視線だけが他の部員のいる方へ向く。こちらの存在も視界に入ってはいたはずだが、やはり集中しているのか反応しない。


 公広がその肩に手をかける。


近実このみのぞみだな」

「だ、誰ッ?」


 突然だったせいか、近実はやや大げさに肩を揺らして顔を上げた。ヘッドホンがずれる。


「な、何よ……秘密結社の黒服があたしを消しに来たのかと思ったじゃない!」


 まあそう思ってしまうような声のかけ方ではあった。

 近実は眼鏡を外すとねめつけるように公広、遥と順繰りに視線を向ける。

 遥の勝手なイメージだと芸術家はもっと神秘的で気難しそうな感じなのだが、今の近実にはまったくそんな雰囲気がなかった。眼鏡をとるとなおのことだ。進条などそのものずばり、気難しそうで、いかにも美術部だと思ったものだが。近実は不敵で、勝気な笑みなどを浮かべながら高笑いするのが似合いそう。ただ、眼鏡にジャージだと野暮ったい印象を受けたものの、普通にしていると美少女に見えるから不思議だ。


「で、誰よ……誰ですか。あた……、私に何か……用ですか?」


 集中を乱されたためか顔はさっきよりも不機嫌そうなのに、それとは打って変わって口調は丁寧であろうと努めている。その人見知りっぷりに、遥はなんとなく親近感を覚えた。


織田おだ公広。同じ二年だからため口でいい」


 公広が名乗ると、近実は意外そうな顔をしてまじまじと公広を眺める。


「あぁ、知ってる。おだきみひろ。あの噂の。……本物?」

「俺の偽物でもいるのか?」

「いや……あなたみたいな有名人があたしになんの用なのかと」


 訝しげな目になる。公広はまずその警戒を解こうとしたのか、近実のパソコンを指し、


「ちなみに、何してるんだ? 絵を描いてるのは分かるけど」

「見て分からない? スケッチよ」


 遥が公広の背に隠れながらそれとなくパソコンの画面を覗き込んでみると、どうやらグループに分かれてスケッチしている美術部員たちをスケッチしているらしい。一人だけ別のことをしているかと思えば、一応これもスケッチだ。しかしこちらはデジタル。そして鉛筆によるスケッチや人物画というより、漫画とかアニメ調、つまりイラストだ。

 人には得意不得意があるし、一般的な美術部のイメージからはかけ離れているものの、これも美術の一種には違いない。だが筆とキャンバスを使ってスケッチしている集団から離れ、一人だけ違うことをして、彼女は何も思わないのだろうか?

 遥の中で、彼女に対する興味が芽吹く。


「で、こっちの小さいのは」

「……む」


 遥の中で彼女に対する対抗意識も芽吹いた。

 確かに遥の方が背丈では劣るが、小さいの呼ばわりされるほどの身長差はないはずだ。遥はむっとなりながら、自分も名乗ることにする。


「わたしは三年の桜木おうぎです」

「うそっ、三年? それに桜木って――そういえば映研の部長は小さいって――え、いや、その」


 あからさまに動揺する近実。遥はしてやったりとほくそ笑むのだが、頭上からこつんと公広の拳が降ってきた。


「こっちは一年の桜木遥。三年で元部長なのは遥の兄で、既に卒業してるから」

「あ、あぁ、そう、そうよね……、ふう」


 安堵の息をつき、それからキッと遥を睨む。

 もしかすると、交渉相手に早速マイナスイメージを与えてしまったかもしれない。


「まあ、改めて。俺たちが今日ここに来たのは――」


 と、公広が映研で学校を紹介するPVを制作すること、しかし人手不足のため、近実の力を借りたいことを説明する。


「それを手伝ってもらいたく、今日はそのお願いに来たんだ。ちなみに進条さんの許可は下りてるから、あとは君次第なんだけど」

「……はあ? なんであたしの知らないところで勝手に話が進んでんのよ」


 不満そうに呟くと、近実は遠く教室の端にいる進条に向かって怒鳴る。


「ていうか部長! 勝手に許可とか出さないでくれます!?」

「勝手じゃない。お前が聞いていなかっただけだ」

「じゃあこっちに聞いてくれます!?」

「うるさいぞ。他の部員の迷惑だ」

「あたしの迷惑は考えないんですか? あたしだって部員なんですけど!」


 ご機嫌斜めなご様子。これでは交渉もうまくいかないだろう。善処すると言ってくれた進条がむしろ近実に火をつけているのだ。

 遥は公広と顔を見合わせる。


「……どうしましょう?」

「まあ、まずはちゃんと話すしかないな」


 話すといっても、こちらの用件は既に伝えているし、それに対して近実はなんだか不満がある様子なのだ。これ以上何をどうすればいいのか、遥には見当もつかない。

 公広に何か考えがあると信じて、遥はとりあえず近実に声をかけることにした。


「それであの、近実先輩。映研に協力してもらえますか?」


 単刀直入、話を元に戻してみる。


「はあ?」


 噛み付きそうな勢いで近実は反応するも、それから少し間を置いて落ち着きを取り戻すと、冷静に話し始めた。


「悪いけど、こっちにも都合ってものがあるのよ。無理ね、無理無理。だいたい映像制作って……なんであたしなのよ? 他にも絵がうまいのならいるじゃない」


 そう言って示すのは、むすっとした顔でこちらを見ている進条だ。その進条が口を開く。


「お前は自分が指名される理由に自覚がないのか。……まったく。前々からそうじゃないかと思っていたが、やはりそうだったようだな!」

「な、何よ……?」


 進条はわざわざ立ち上がって両手を組み、蔑むような無表情で近実を見下ろして。


「馬鹿め」


「こ、こんの……っ! 先輩だからって調子こきやがって……!」


 大変だ。部長自ら火に油を注ぎ始めた。これはもはや炎上必至だ。


「近実の能力を見込んで、頼みたいんだ」


 公広が割り込むように告げる。


「さっき俺のことを有名人とかなんとか言っていたけど、それをいうなら近実の方がそうなんじゃないか? 俺たちはその実力を買ってる」


「「有名人?」」


 きょとんとする遥、そして近実。お互い同じことを呟いたので思わず顔を見合わせたが、近実はすぐにハッとなって顔を背けた。ピンとこなかった遥もその反応を受けて思い出す。


「あ、あたしの能力って……な、なんのことよ?」


 呟く近実の視線が泳いでいる。

 照れている、ようには見えない。それにしてはやけに挙動不審だ。

 この感じは……周囲を気にしているのか?


「――廊下の絵を見た。賞をもらってる」

「……そ、そっちのことね」


 近実はあからさまにほっとした様子だった。公広の言葉は近実の想像していたものとは違ったらしい。公広は無表情と微笑の中間くらいの表情でジッと近実の様子を観察している。


?)


 遥は首を傾げる。

 廊下にあったあのイラストを描いたのが彼女、近実臨だということはすぐに分かった。

 公広がそのことで近実をスカウトしようとしていることも、察しが付く。

 だけど、本当にそれだけなのか?


 遥の中で、いくつかの情報が繋がった。


(もしかして――〝サクラノ〟?)



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