13 君の笑顔が素敵だから




「えっと……改めまして。あの、私、実代みしろ咲彩さあやと言います」


 初めて訪れる映研の部室に緊張しているのか、実代は委縮しながら深々と頭を下げた。

 ……狭い部屋で周りを二年生の男子たちに囲まれているせいかもしれないが。


 ともあれ、彼女の承諾を得たはるたちは早速、実代を映研の部室に拉致してきた。

 道中に映研の事情と実代にやってもらいたいことを説明し、それぞれ自己紹介を済ませた。

 そして――戻ってきて早々、何やら準備をしていた景秋かげあきが実代の正面の席に座る。


「さて……仕事の時間だ」


 ビシッと、手にしたペンで実代を指す。


「動くな」

「ひ……ぃっ!?」


「やめんか」


 威圧してどうすんのよ、と実結みゆが景秋の頭をはたく。そうしながら自分の席に座って、がちがちに緊張している実代に比較的優しげな声音で話しかけた。


「まあまずは世間話でもしましょうよ」


 遥は部長のその豹変に何か裏があるのではないかと一瞬疑ってしまうのだが、


「そうやって緊張されてたんじゃ、うまくいくもんもダメになるでしょ。私たちが欲しいのは、この子の素の表情なんだから」


 なるほど。実結は実代の緊張をほぐそうとしていたのだ。頭が下がる。というか、素直に頭を下げる。


「すみません、部長……。わたしってばてっきり、部長が何か実代ちゃんの弱味でも握ろうとしてるのかと……」

「弱味って何よ、ったく……。信用ないわね。私よりむしろあいつの方が不審でしょうよ」


 言われて見れば、さっきから実代の周りをうろついているさかえの手には、録画中のビデオカメラが。どうして気付かなかったのだろう。これぞまさしく不審者だ。


「栄先輩……盗撮は犯罪ですよ」

「ちがっ、オレはだね遥ちゃん、児立こだちのためにだね、」


「僕はそんなこと頼んでないが」

「裏切りっ!? てめえこの野郎……っ」

「僕が頼んだのは写真だ。動かれるとスケッチしづらい」

「動きがあった方がいいと思ったんだよ……。それに声入ってた方が想像力かき立てられるだろ?」


 この二人はなんの話をしてるんだろう……、と遥が若干引いていると、挙句の果てにはその会話に公広きみひろまで加わり始めた。カメラを手に。


「大丈夫だ、写真は俺が撮るから。それに、やっぱり動画もイメージを得るには必要だからな」


 遥と実代が三人のやりとりに困惑していると、実結がため息混じりに説明してくれる。


「さっき話したわよね、私たちの今度作る映像では実写とアニメを交互に展開する。で、あんたには実写パートに出てもらうわけだけど、同時にアニメパートとのつなぎ役として……あんたをモデルにデザインしたキャラクターが必要なの」


 そして、そのデザインをするのが……、


「僕の仕事というわけだ」


 景秋が淡々と答えた。

 まあそれはスケッチブックを構えているので遥にも分かったものの――


「横の変質者二人はそのサポート。参考資料としてあんたの写真やら動画やらを撮っときたいわけよ。ほら、必要だからってその都度呼び出されるよりはマシでしょ」


 と、言われて遥はふと気付いた。


 実結が世間話をすることで実代をリラックスさせ素の表情を引き出し、その間に公広と栄が撮影、景秋がデッサンとデザインを行う……そういう段取りだったのだ。まるでアイドルのグラビア撮影のようだが、それはともかく。

 四人はそれを特に打ち合わせするでもなく、自然とやっている。

 その暗黙のうちの連携に少しだけ憧れると共に、気付いたからにはたとえ栄が突っ込みを誘うような不審っぷりを醸していても構わず、自分にやれる協力をしようと遥は思う。


「いいよいいよ~、そういう怯えてる顔~」


 たとえ栄が犯罪臭い台詞を口にしていたとしても、


「うるさいわ変態」

「栄……さすがに今のはどうかと思う」

「実代さんが引いてるじゃないか」


「い、いやオレはだな! 新しい環境に怯えてる感じの絵が欲しいなと! だってそうだろ!? 今の超そんな感じ――」


 ふふっ、と。


 その時はじめて、実代が笑みをもらした。


「栄、公広、今だ! 今の顔を逃すな!」


「「おうっ」」


 景秋の一声でぱしゃぱしゃとカメラがシャッターを切る。栄は不意に無言になり、じっくりじっとりとビデオのレンズが実代を映していた。


「あ、あのぉ……」


 途端に気弱な顔で狼狽える実代の視線は遥へ。遥はとりあえず力強く頷くことにした。グッジョブ。

 はぁ、と実結がため息をこぼす。


「まあ、そういうわけよ。この馬鹿どものことは気にしないでいいから」

「そうそう。遥と部長とでガールズトークでもしていてくれ」


 そう公広に言われるも、遥は「ガールズトーク?」と首を傾げてしまう。なんだろう。具体的にどうすればいいのか分からない。


「女子同士で話してたらそれがもうガールズトークなんじゃないか?」

「はあ、なるほど……?」

「ふふ……」


 と、また実代がくすりと微笑めば、


「今だ!」


 景秋が声をあげ、再びぱしゃぱしゃじっとり。迂闊に笑うことも出来ない実代である。


「はぁ……。まあいいわ。とりあえず、あんたに一つ聞いときたいんだけど」

「な、なんでしょうか……」


 不機嫌そうな実結の表情はデフォルトのものだが、慣れない実代にとっては緊張を強いるものらしい。それに気づいた実結は苦笑しながら、


「別に文句があるわけじゃないわよ。ただ……なんで引き受けようと思ったの、今回の件」

「それは部長ー、やっぱりわたしの説得がですね、」

「つまり勢いに流されたわけね。そりゃまあ、あんな公開プロポーズみたいな真似されたら仕方ないわ、」


「ち、違います……っ」


 消え入りそうな、だけど確かな意思の感じられる声だった。

 末代の不意の一言に、部室がわずかに静まり返る。


「あ、あの……ちがくて、その……」


 周りの反応に赤くなりながらも、実代は自分の想いを口にしようと言葉を紡いだ。


「嬉しかったん、です。どうしてだか分からないけど、桜木おうぎさんに、ヒロインになってほしいって言われて……。すごく、どきどきして……」


 か細い声で、実代は言う。


「桜木さんのヒロインになってあげたい――なりたいっ、て、思って……」


 言い終えてから、実代の顔がまた一段と赤く染まった。

 遥も胸のうちにじんわりと広がるものがあり、その手を握って見つめ合いたいような心境になる。


 正直、遥は自分の勢い任せの行動に流され、実代は承諾してくれたのではと思っていた。あの場にはそういう強引な、空気を気にせず引っ張っていくような人物が必要で、そうでなければ実代に頷く勇気は生まれなかったんじゃないかと。それこそ公衆の面前でされるプロポーズのように、今度は逆に断れなくなっただけではないかと。

 あの瞬間においてそこまで考えていたわけではないが、あとから思うとそれ以外に承諾してくれた理由が思いつかない。

 だって遥は特別な何かを口にしたわけじゃない。説得というほどのこともしていない。言っていたのはほとんど景秋たちと同じだ。多少ニュアンスは違ったが、そんなもの遥自身にしか分からない。

 だけど、実代にはちゃんと、何か伝わるものがあったのだ。


「でも、」


 と、


「あんたも分かってるわよね」


 実結の声は低く、どこか硬かった。


「ヒロインなんて引き受けたら、あんたのとこの先輩方はいい顔しないわ。仮にうちの映像が完成したとしても、それが演劇部でのあんたの評価に繋がるかは別問題。むしろ裏でさんざん陰口叩かれるかもしれないわよ。私の方が上手くやれる、とか思ってる子いそうだもの」


 その言葉は実代の表情に陰を落とす。部室の静寂は、沈黙へと変わっていた。


「……はっきり言って、あんたにはデメリットばかり。というか、これはもうほとんどリスクと言ってもいい。それなのに、」



 実代が顔を上げる。


「……この先、私が演劇部でヒロインなんて大役、もらえるとは思えない。脇役だってロクに出来ないし、変に悪目立ちして劇をダメにするかもしれない。そもそも、役なんかもらえないと思う。……私なんかよりずっと上手い先輩がいて、今回の話だって本当は、そういう先輩たちがやるべきだって、ちゃんと分かってます」


 だけど、と。さまよっていた視線が、実結を捉える。


「私は『やりたい』って思いました。……ここで諦めたら私はずっとこのままで、何も変われないと思ったから。いい顔はされないだろうけど、皆さんにも迷惑かけると思うけど……こんな私に『やってほしい』って言ってくれる人がいて、私自身『やりたい』って思ったことを、他の誰かに譲りたくないって」


 それで、その……。あの……、えっと……。

 途中までカッコ良かったのに、最後になって実代は口ごもり始めた。


「あの……だから、よろしくおねがいします……」


 ぺこりと頭を下げた彼女は、もう耳まで真っ赤になっていた。


「まあ……、」


 さっきまでの暗さを払拭するかのように、実結は苦笑した。


「遥のあれがあったから他の連中も文句なんて言えないでしょうけどね。失敗してもご愁傷様、ご生憎さまってね。あんなプロポーズされたら断れないって、みんな思ってくれてるわよ」

「プロポーズ、プロポーズ言わないでくださいよ、もう……」


 遥まで思い出して赤くなってしまう。


「私、頑張ります……。あの、桜木さんのヒロインに、なれるように……」

「えへへ……」

「お熱いことで。じゃあ遥、あんたも頑張んなさいよ、実代の担当マネージャー


 そうやって親睦を深める女子の傍らで、


「ガールズトークって、男のそれより重たいのな……」

「あ、あぁ……真面目すぎて、シャッター切るの忘れてた」


「うっさいわね、仕事しなさいよ。児立の方はちゃんとやってるわよね? どう? どんな感じ」


 訊ねられるも、景秋は小さく頷くだけで返事はしない。その目は真っ直ぐ実代を捉えており、その鋭い視線に気付いた実代はぴくりと硬直する。


「さすがね。動かれるとどうこう言ってた割に、ちゃんと出来てるじゃない」


 席を立って景秋の後ろに回り込んだ実結がそう称するので遥も横から邪魔にならない程度に覗き込んでみれば、景秋のスケッチブックには写実的な実代の表情が描かれていた。


「これなら実写とも違和感なさそうですね」

「まあそうだけど、でもこれが完成形じゃないわよ。このスケッチを元にこれからアニメパート用のキャラデザをするんだから。あいつらが撮ってるのもそのための参考資料」


 言われて、遥の脳裏をよぎるのは最近よく観る深夜アニメの数々。なるほど、と一人納得する。実際の人物と漫画の人物が異なるように、アニメ調の実代をデザインするのか。


「あ、あのー、その件でちょっと……」

「喋るな」

「ひっ、あ、え……っ」

「喋らせなさいよ。何? どうしたの」


 実結に促され、実代は気まずそうにしながらおずおずと、


「実写での出演なんですけど、あの、で、出来れば、その……」

「何よ。言いたいことがあるならはっきり言いなさい」


「す、すみません……っ。あの、ですね? その……なるべくなら、顔は出したくないといいますか……、」


「はあ?」

「す、すすすみませんっ」

「動くな」

「ごめんなさいぃ……っ」


 癖なのか頭を下げようとした実代は景秋の一言で固まり、今にも泣きそうな顔をしている。景秋の隣に座る遥はなんだか助けを求めるような視線を感じるのだが、こればかりは苦笑しか返せない。

 しかし、顔出しNGときたか。


「まあ、そうね。今回の映像は学校のホームページだけじゃなく、大手動画サイトにも上がることになってるから……出演するとなると、必然的に有名人よね。抵抗あるのは理解できるし、こっちとしても出来ればそうしてあげたいけど」

「撮影を工夫すればやれないこともないんじゃないっすか?」

「そうなるとアニメパートを増やす必要性も出てくる。景秋の負担が――」


 自分の我が侭が迷惑をかけることになると思ったのか、実代は申し訳なさそうに何かを言おうとして、


「問題ない」


 景秋が断言する。


「僕がアニメパートを頑張ればいいだけの話だ。それに、そのためにこうしてデザインしている。実写で見せられないなら、アニメで存分にヒロインを魅せつけてやればいい」


「あ、あの、すみ――」

「動くな。髪が揺れてる。表情そのまま静止」


 ほっと一安心した様子の実代だったが、景秋のプレッシャーに目を回していた。今にも泣き出しそうなのに微笑みかけている、不思議な表情になっている。


「実代ちゃん、こういう時はね、」


 そんな彼女に、遥は一言、


「すみません、じゃなくて、ありがとうって言われた方が嬉しいものだよ」


 笑顔で言ってあげるのだが、なぜだか場を和ませることになった。本心から言ったのに、なぜかみんな苦笑している。

 だけども。


「う、うん。あの、ありがとうございます、先輩」


 自然な笑顔で、実代はそう言ったのだ。


「――――」


 動くな。そう口にしかけていたのだろう、景秋の動きが止まる。遥の発言にそれぞれ突っ込もうとしていた他三人の視線が景秋に集まる。

 表情には変化が見られないが、


「それだ。その顔で固定。ベストショットだ、逃すな」

「「了解!」」


 どうやら景秋のヒロイン像にヒットしたらしい。遥が隣から覗くと、景秋の手を動かす速度が格段に上がったのが分かる。ものすごい速さで白紙に描き出される実代の表情は、実物をそのままスケッチしたものから徐々にアニメ用に加工されたキャラクターのものへと変わっていく。

 こうしてキャラクターの生まれる過程に立ち会っているかと思うと、遥もなんだかわくわくしてくる。気分が高揚する。


 これから物語が、そして自分たちの映像制作が始まっていくのだ。



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