12 わたしのヒロイン(3)




「部長、あの子はどうだろう? なかなかイメージに合う気が」


 戻ってきた公広きみひろが促すので、はるもそちらに注目した。

 もしかするとその人物こそ、公広の中の理想のヒロインたりえる存在かもしれないのだ。


「あれは……一年生たちかしら」


 視線を追うと、小物の置かれた机を背に、数人の部員が並んで立っている。本番の雰囲気を出すためか衣装のような長い布を身にまとい、それぞれ台本らしき紙を手にしている。


「右から四番目の。眼鏡の男子の隣」


 公広が示しているのは、ちょっと地味な感じのする少女だった。髪型は黒髪のボブカット、前髪は少し長めで表情に影を落としている。黒縁眼鏡をかけているからなおさら地味な印象が深まる。

 背丈は周りの女子部員と変わらず平均的なように見えるが、彼女はやや猫背気味。背筋を伸ばせば頭一つ飛び出るかもしれない。しかし大人しそうで、実際声も小さくおどおどしている。


 既存の作品を台本代わりに読み合せて練習しているようだが、彼女は自分の番が来るのを今か今かと……怯えているようで。


 そして。


「はい次、水夫C。実代みしろ


 監督している先輩に促され、彼女が口を開く。


「え、えと――あぁ、もうダメだ。も、もうお別れだ、……、」


 噛んだ。

 いろいろ諦めてやや大げさに天へ向かって嘆くシーンにも拘わらずぼそぼそ喋っていたかと思うと、『女房』と言うべきところで妙に可愛らしい謎の擬音を発した。


「す、すみませ――」

「はあ……」


 台詞なんだか独り言なんだかもよく分からない。指導役の上級生にため息を吐かれて、実代と呼ばれた彼女は勢いよく頭を下げる。


「すみま――、あっ」


 びり、と。

 衣装が嫌な音を立てる。


 後ろの机にでも引っかかっていたのか。彼女が慌てて衣装を確認しようと振り返った時、台本を持った手が隣の男子の眼鏡を殴り、衣装の裾を踏んでいた隣の女子が見事に転倒する。


「ちょっと馬鹿なにやってんのよもう! 頭とか打ってない? 怪我は? メガネ無事?」

「すみませんごめんなさい……っ!」


 失敗して謝ってる最中にまた何かやらかして全力で頭を下げる。

 これはいわゆる、あれだ。


「どうっすか、ドジっ娘属性。しかも天才的な。噛んでるのをたまたま見かけて可愛いなって思って、じっくり観察してみたら……」

「そうね、天災的ね。……まあ、いいんじゃない? 私は別に、口出ししないわ。決めるのはあんたたちよ」


 と、実結みゆはあくまで傍観するつもりのようだ。我関せず、決定には干渉しない。昨日の言葉は変わらず。それに遥が苦笑していると、


「遥はどう思う?」


 不意に公広から意見を求められ、遥はきょとんとしてしまう。


「え? わ、わたしですか?」

「今回のコンセプトを考えたのは遥なんだから」

「いや、あの、でも……」


 その企画だって、兄の入れ知恵あってこそで……。


「遥がどう思うか、聞きたい。なんか違うって言うなら別の子を探すし」


 別にどうでもよかったわけじゃない。ぼんやりしていたわけでもない。

 ただ、自分の意見も聞いてもらえるとは思っていなかった。傍観を決め込むつもりはなかったが、公広の方から振ってくるなんて、意外で。

 それも、自分の一言で、公広たちが「これだ」と思った子を諦めるほど尊重してくれるなんて。


「えっと……」


 ちょっと恐れ多いというか、出しゃばりすぎているような気がして躊躇う遥に、


「だって、を選ぶんだ。誰か一人でも『違う』って思うんなら、その子をヒロインには選べない」


 公広は何気ない口調で言うのだ。


「遥も部員の一人なんだから、意見を聞くのは当然だろ?」


 見れば、景秋かげあきさかえ、実結も頷いてくれるものだから、遥は胸の奥に熱いものが広がるのを感じた。

 躊躇いは吹き飛んで、きちんと自分の考えを伝えなければと改めて末代をじっくり観察する。


 まだ脚本は出来ていないし、全体図もおぼろげだ。正直ヒロインといわれてもよく分からない。イメージが湧かない。一応、新アニメの一話冒頭、高校に入学して新生活が始まる系の女の子が今回のPVに相応しいのではないかという話だったが。


 その点、実代はどうだろう。

 慣れない環境におどおどと不安げで、そのせいで失敗を繰り返し落ち込んでいる女の子。

 そんな彼女の成長物語。


(……うん)


 そう考えると彼女ほど相応しい子もいないのではないかと思えてくる。

 ……ただちょっと、全てを台無しにしてしまいそうな天災的オーラをまとっているのが気になるが。


 遥が思ったことをありのままに伝えると、公広はすぐに頷いた。


「よし。じゃあ、出演交渉だ。俺は報告してくるから、栄と景秋で彼女に説明してくれ」

「「了解」」

「二年の男子がいきなり押しかけてもあれだし、緩衝材として遥もいきなさい」

「り、了解ですっ」


 役割分担し、公広は演劇部長の元へ、遥は栄と景秋の後ろにちょこちょことついていく。


「ヘイ彼女、ちょっといいかい?」

「は……?」


 栄が指導役の女子に声をかける。見るからに胡乱な目をされる栄を押しのけて景秋が簡単に事情を説明し、実代と話をする許可を得た。


「あ、あの……? なんでしょうか……?」


 実代はまるで悪漢に絡まれる気弱な少女だった。そして間近で見るとよりいっそう地味で、胸が意外と大きいのは分かったがヒロインめいた華やかさはまったくといっていいほど感じられない。


 栄と景秋を前にして、実代は怯えるように身を竦め、視線をきょろきょろとさまよわせている。声も尻すぼみがちで、今にも消え入りそうだった。その様子を見ているとなんだかこちらが悪いことをしているような気分になって、先輩二人も戸惑っている。


「彼女、オレたちと一緒に青春しないかい?」

「あ、あの、ご、ごめんなさいっ、いやです……っ」

「栄、お前はもう黙っていろ。あからさまに警戒されているだろう」


 やはり景秋が栄を押しのけ、努めて事務的な、感情を感じさせない声で事情説明。普段は何を考えているのか分からない無表情や寡黙な雰囲気に気圧されるものの、実代のような人見知りする子には景秋のように必要なことしか言わない相手の方が案外接しやすいのかもしれない。ただ、それでも若干怯えているようだが。


「要するに、君には俺たちの作る作品のヒロインになってもらいたいんだ」


 と、説明を終えた景秋の言葉をまとめたのは、演劇部長と話をつけてきた公広だった。


「ひっ……」


 実代は悲鳴とも引きつりともとれる声を上げ、


「ヒロイン、ですか……」


 ぼそりと呟く。


「部長の許可はもらってきたから、あとは君次第って話になったんだけど……どうかな?」

「あ、の……わ、私なんかが、ヒロインなんて――」


 再び視線がさまよう。紅潮する頬。だが今回のそれは、単に相手の顔を見て話せないといった風ではなく。


 遥はすぐに気付いた。

 周囲の視線が、実代に集中している。


 一緒に練習していた部員や指導役の上級生だけじゃない。少し離れたところで聞き耳を立てていた二年生と思しき部員たちや、公広と一緒にこちらの教室にやってきた演劇部の部長と、様子見に来たらしいレギュラーの三年生数人。

 その視線の理由は映研のオファーに興味があるからだけではないだろう。学校の有名人であり、演劇部でも人気がある公広からのスカウトに実代がどう答えるか、だ。


 三年生や他の部員をさしおいて、見るからに演技力のなさそうな、しかも常習的に周りを不幸に巻き込んでいる様子の彼女が選ばれたこと。それに周りがどう思うかなんて想像に難くない。

 こういうのは何も今の状況に限った話ではなく、運動部など、全ての部員の中から限られた面子しか大会に出られないような部活動でも起こりうることだ。


 遥にも覚えがある。小学生の頃は気付かず、中学生になって思い知った。


 ――どうしてこいつが。


 そういう目。


「え、っと、その……せっかく、なんですけど――」


 大人しく気弱で、強いられると断れないような印象を受けるが、先ほどの栄とのやりとりを見て分かった。実代は自分の身を守るためなら嫌なものには嫌だと言える。


 このままだと、間違いなく断られる。


(わたしだったら……)


 遥は実代に自分を重ねた。今の自分なら絶対断ると思う。周りに呑まれて。

 だって失敗して笑われるのは怖い。嗤われたくない。

 もし周りを押しのけて承諾などしてしまったら、いい顔はされない。断って、他の先輩たちに譲るべきなのだ。


 小学生の時は周りなんて気にせず承諾したはずだが、今の遥はあの時とは違う。そして実代も、遥とは状況も立場も異なるが、たぶん変わらない。


 曖昧な笑みを浮かべて、申し訳なさそうにしながら保身に走る。実際、遥はそうして生きてきた。やりたいと思ったことも我慢して、そのうち何かをやりたいとすら思えなくなって。


「…………」


 今、目の前で一人の少女がチャンスを捨てようとしている。

 それは、遥自身が乗り越えられなかったものだ。


 栄と景秋の後ろで状況を見守りながら、遥はそっと息を整える。

 別に実代が断ったとしても、他にも部員はいる。その子たちはきっと最初は遠慮しながらもチャンスを掴むだろう。もしかすると実代より演技も巧く、結果的に彼女を選ばなくてよかったということになるかもしれない。


 しかし。


(この子じゃなきゃ嫌だ)


 乗り越えてほしいと思う。失敗を恐れず、笑われることを恐れず。


(ヒロインっていうのは――)


 今回の映像制作とは別に、遥自身が考える主人公ヒロイン像がある。それは現実にいる自分に出来ないことをやってのける存在だ。たかが空想の、物語の中の登場人物なんて言わせない。彼女たち困難に立ち向かい乗り越える姿は、現実に悩む自分に希望を分け与えてくれる。

 もしかしたら自分もやれるんじゃないか、なんて。

 動き出す勇気をくれるのだ。


 話によれば『路美夫ろみお樹里子じゅりこ』においても、演劇部員を差し置いて主役に選ばれた公広に反発する声もあったのだという。しかし彼はそれを押し切り、笑われることも覚悟で舞台に臨んで――結果を出した。今や演劇部にも認められる存在になった。


 この場合はヒーローだと思うが、公広は遥の考える主人公像そのものだ。

 立ち向かい乗り越えた先にはちゃんと希望があることを教えてくれた。

 だから、というのは押し付けかもしれないけど。

 見せてほしいと思う、もう一度。


「あの……!」


 栄と景秋を押しのけて、遥は前に進み出た。驚く実代と向かい合う。


「わたしたちの――」


 勢いよく頭を下げて、叫んだ。



「わたしのヒロインになってください!」



 シン……と、静まり返る空気。


 まるで時間が停まってしまったかのよう。

 ざわつきも何も聞こえない。みんな実代の返事を待っているようにも、遥の突拍子のない発言の意味を呑み込めていないようにも思える。


 自分の心臓の音がやけに大きく響く。耳まで熱い。あぁわたしは何をやってるんだろう。羞恥心で顔も上げられない。


 ただ、手は差し出した。

 どうか、出来れば、この手をとってほしい。

 苦境を乗り越えられる強さを見せて。もう一度、現実と戦える強さをください。


 お願いだから、わたしにヒロインを魅せて――と。



「ぁ……」



 実代の声が聞こえた。時間が動き出す。



「あの」



 今度ははっきりと。

 差し出した手に、何かが触れる。



「……私で、よければ」



 一瞬の沈黙――

 

 遥は顔を上げた。


 恥じらうような、でも柔らかな微笑。まだ目は合わない。しかし、伸ばした手は触れ合っている。



「おお……!」



 と、公広たちから声が上がり、演劇部員たちも思い出したかのようにざわめく。演劇部の部長なんてお腹を抱えて爆笑していたが、その笑いは好意的なものだった。


「……なんか、プロポーズでもしてるみたいね」


 あくまで冷静な突っ込みが聞こえたが、そんな彼女の口元にも笑みがあった。



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