11 わたしのヒロイン(2)




「ところで、ずっと聞きそびれてたんだけど」


 教室の隅で二人きりになると、実結みゆが変な顔をして遥を見る。


「あんたのそれは何よ?」

「これですか?」


 今日のはるはインテリ女性秘書風眼鏡スタイル。赤いフレームが人目を引く。ちなみに眼鏡は伊達である。

 昨日はそれどころじゃなかったものの、本日はしっかりスルメ女子。校内なのであまり派手なコスプレは出来ないが、だからこそ小物のアクセントが光るのだ。


「似合います?」

「……もう少し身長が欲しいところね。あんたがやるとアホっぽいわ」

「あはは、部長に言われたくないですよー」

「あ?」

「おっといけない、インテリ女性秘書はもっとクールにいかなきゃ。……こほん、身長のことで部長に何か言われたくないですね」

「……相手にした私が馬鹿だった」


 とか諦めの言葉を口にしつつも、実結は踵でしっかり遥の爪先をぐりぐりと。


「いつつ……。そ、それにしてもっ」


 遥は話題を変えることにする。


「演劇部って、思いのほかハードっていうか、体育会系なんですね……。ほら、さっき見た練習、腹筋とかしてましたし」

「そりゃあ、やっぱりね、舞台とか立つわけだし。体力は必要でしょ。それによく言うじゃない? お腹から声出せって。発声練習の一環なんじゃないの」


 言われてみれば、遥が初めて見た『路美夫ろみお樹里子じゅりこ』では、ほとんどモブといってもいい脇役でさえ会場中に響くような声で台詞を読み上げていた。単なる大声ではなく、滑舌や抑揚もはっきりし、感情のこもった見事な演技だった。あれくらいの発声をするにはやはり相当な練習が必要なのだろう。


「そういう意味じゃここは文科系っていうより体育会系よね」

「良かったです、わたし演劇部じゃなく映研にしといて。体育会系な練習って苦手で……」

「それには同感だけど……。言っとくけど、うちも体育会系なんだからね」

「はい?」


 遥が首を傾げると、実結は「ロトスコープとか……」と何やらぼそぼそ呟き、


「……まあ、体より先に精神が参るから、うちはどっちかって言うと文科系かしら」

「何があったんですか……」


 なんとも言えない引きつった表情で顔を背ける実結に、遥はこれ以上立ち入ってはいけないような闇を感じた。


「で、でも、あれですね、あの『ロミジュリ』に主役で出たんだから、キミ先輩も相当な練習したんでしょうね……」


 公広きみひろの声も他の演劇部員に負けず劣らず、しっかりはっきりと会場内に響いていたことを思い出す。普段の声よりも低く、演技もあってか凛々しく感じられた。

 あの声量を出すとなると、それこそ相当……、


「筋トレとか……」


 ぼんやりと公広の方を見ていたら、


「映研の活動もあったはずなのに……、あ」


 うっかり失言してしまった。


「何よ、あって。別にうちは開店休業状態だったわよ」

「すみません……」

「謝られた方がむしろ腹立つわ」


 はあ、と実結が大袈裟なため息をこぼすものだから、今度は遥が気まずくなって顔を背ける番だった。


「そういえば、あんたもあの劇見てうちの学校に決めたんだったわね。だったらなんで演劇部に入らなかったわけ? 活動内容がハードだって知らなかったんでしょ? それなら」


 練習に視線を戻し、そう訊ねつつ実結がぐりぐりを再開するものだから、きっとこれは答えるまで解放されない拷問なのだと遥は思った。


「わっ、わざわざ高校に入ってまで演技するのはあれだというか……素の自分でいきたいと思ったので。それに、人前に出るのは苦手っていいますか――」


 ぐりぐりから解放されたので、オブラートのようなものでうっかり洩れた本音を包みつつ、


「……あの劇みたいに、あんな大勢に笑われるのって、わたしには恥ずかしくて耐えられませんから。だから、キミ先輩はほんとにすごいと思ったんです」


 最後の言葉は素直に、心から思ったことだ。

 自分には真似できない。

 そんな想いを察したのか、


「……それって、あんた」

「なんです?」


 横を見ると、練習する演劇部員から視線を外し、実結がこちらを見返していた。


「あの劇より、織田おだの方に惹かれたんじゃないの?」

「ま、まあ……そうなりますね」


 劇自体ではなく、その中心で演じていた彼に惹かれたのは確かだ。かといって、劇の方に思い入れがないわけではない。『路美夫と樹里子』を通して、遥は物語の世界に触れた。それまでは授業や読書感想文のためにしか本を読まなかった遥が、今ではすっかり自称読書家だ。


「でも、あの、お兄ちゃんに勧められたのもあったけど、映研を選んだのは自分の意思なんですよ?」


 いつぞやの〝処理〟が頭をよぎり、遥は愛想笑いを浮かべながら答える。


 部活説明会で見た、映研の出し物。あの言葉に感銘のようなものを受けたのだ。

 自分の心の中にしかないものを作りだそうという言葉もそうだが、何よりそれを映研と……他の誰かと一緒に作ってみないかという勧誘。


 一人ではなく、みんなで、何かを。


 それはこれまでの自分にはない発想だったから、だろうか。

 よくわからないが、「いいな」と思ったのだ。


「あんた、ほんとに織田のこと好きなのね」


 と、ぽつり。


「え?」

「そのキャッチフレーズ考えたのもあいつよ。私としては、軽い気持ちで入ろうとするやつを阻むために、それなりに真面目に活動してる部ですって思わせるものを作れとしか言ってないんだけど」


 真剣さをアピールすることで気楽な部だと思って入ろうとする者を除き、気持ちの悪いマスコットで常識人を引かせ、それでも残った熱意ある者たちは映研の実態を知り去っていく……。

 なんというか、ありとあらゆる手段を用いて新入部員を追い払おうとするその嫌な感じのやる気には苦笑しか浮かばない。


「なんだっけ……確か、心の中にある理想、イメージこそ、何より美しく何より醜いもの。みんなそれを現実に再現しようと努力するけど、実際には、頭の中にあるその理想像を百パーセント形には出来ない。しかもその理想像は個人個人の中だけにあって、それは他人には作りだせない」


 だから自分自身の手で生み出すしかなく、だけど一人では作れないなら、映研はその『創造』の手助けをする……。


「……要するにみんなで頑張ろうみたいなことを言ってたわね、織田は」

「雑にまとめられた……」


 なんというか、もっとこう、素敵な感じで……。

 想いはいろいろあるのだが、遥はそれをうまく言葉に出来ない。

 とりあえず今は、素直な感想を口にする。


「でも詳しく聞くと、より『いいな』って思います」


 と、


「私には自虐的に思えるんだけどね。まあ、私の根性がひん曲がってるせいでしょうけど」

「?」


 遥が首を傾げると、実結はこちらを見ないまま口元に苦笑を浮かべ、


「織田はね、別に二次元だけが特別好きって訳じゃないのよ。あいつはアニメっていうより、そういうものを生み出すクリエイターが好きなのね。中でもアニメは、映像や音楽、シナリオ等々、その様々なクリエイターが結集して作られる最たるものだから」


 呟くように語るその視線は自分の足元に落ちていた。


「だけどあいつ自身は器用貧乏っていうか、単に不器用というか……理想とするクリエイターにはなれない。そのための才能がない。だから好きなのよ。だから――私にはあの勧誘が、自虐的に思える」

「でも……」


 だからこそ、なのではないか。

 自分ひとりでは出来ないからこそ、みんなで。


「そうかもね。ただ、私にはどうもね」


 呟いて、目を逸らす。


「……織田の場合、それって結局、自分の理想を百パーセント、形には出来ないってことだもの。人の手を借りるんじゃ、どこかで妥協しなくちゃいけない。自分にはない能力を他人に借りるなら、なおさら」


「部長……」


 最近思い知ったことだが、彼女は気丈なようでいて、どこかとてもネガティブでマイナス思考の持ち主だ。そしてたぶん、とても思いつめるタイプ。

 遥は何か言葉をかけようと口を開くのだが、そんな考えを察したのか実結はあえて明るく努めるように顔を上げる。


「そういえばあいつらは、織田が天敵である摘吹つまぶきの劇に出演したことが不思議、みたいなこと言ってたわね」


 その視線の先には、怪しげな距離感で演劇部の女子部員たちを見守る男子三人の姿がある。


「でも私はこう思うのよ。あれは織田自身がクリエイターになってみたかったからなんじゃないかってね」

「……と、いいますと?」

「摘吹の思い描いた路美夫を、どこまで自分が再現できるのか。そして、自分の中の路美夫というキャラクターをどこまで自分の納得できる形で再現できるか。そういう意味じゃ、役者もまたあいつの好きな表現者クリエイターなのよね」


 実結はよく公広のことを見ているというか、ちゃんと考えているのだな、と思う。


「そうなると……あれかもね。もしあんたが織田を籠絡したいっていうなら」

「ろ、籠絡って、わたし別にそんな……」

「あいつの心の中の、理想のヒロインを再現するしかないんじゃないかしら」


 もしかすると、と。少し間を置いてから、実結は言った。


「例の『彼女』とやらは、それを叶えることの出来た人物なのかもしれないわ。織田の理想のヒロインってやつを、見事体現したような女なのかも」

「ヒロイン……――」


 スルメ女子計画はある意味、それを探るための工程だ。これを地道に続けていけばやがて、公広が反応するような女子になれるのかもしれない。


(なって、どうするのって話だけど……。でも)


 気になる、それがどんな女の子なのか。

 それが分かれば、何か――


 と、何か浮かびかけたところで、演劇部員を物色していた男子三人が戻ってきた。

 どうやら、理想のヒロインを見つけてきたらしい――



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