8 未熟な感情、特別な女の子(1)
「
雪景色の中、背を向けた彼女の、その黒髪がよく映えていたのを憶えている。
「本当に好きなことなら、そんな簡単にやめられる訳ない。嫌でも、やめられないはずよ」
わたしだって一生懸命、頑張った。本当に好きで、楽しかった。
やめたい、なんて思ってなくて――
「っ」
そんな想いが、自分でも白々しく感じられて。
言葉に出来なかった。
「――今の遥は、嫌い」
ただ去っていくその後ろ姿を見つめていた。
***
昨日の話し合いでPVのコンセプトは決まり、今後の活動方針も定まった。
映研に現在不足しているもの、必要なものも見えてきた。
ようやく……ついに、本日とうとう、映研が動き出す。
待ちに待った、というほど遥にとっては長い時間をかけたものではないが、
だけど、自分に出来ることってなんだろう――そんな不安を覚えていた遥に、帰り際、公広はみんなに『あるもの』を渡しながら、
『遥にお願いがあるんだ』
そう言って、「
『でも、キミ先輩も声かけたんですよね……? それで無理だったんなら……』
『いや、まあ……かけるにはかけたんだけど……。なんていうかな。俺は嫌われてるみたいだから』
『?』
遥が声をかけたら戻ってきてくれるかもしれない――
『遥がいけば、きっと悠も喜ぶ』
自分に何が出来るのか分からない、もしかするとやれることなんてないかもしれないと思っていた遥にとって、それは自分にしか出来ない役割を与えられたようで嬉しくもあったのだが……。
(正直、気乗りしない……)
だけど、公広に直接頼まれたのだ。
その日の昼休み、遥は早めに昼食を済ませて教室を飛び出した。
勢いが必要だった。それでもやっぱりいろいろ覚悟を決める必要があったものの、これも映研のため、人手不足を少しでも補うためだと自分に言い聞かせ、悠のクラスへ向かった。
「えっと……」
意気込んでやってきたものの、教室に彼女の姿は見当たらなかった。
どうしよう。待っていればいずれやってくるか、それとも何かの思し召しだと思って会わずに帰るか……そうやって遥が教室の入り口で立ち往生していると、
「何してんだよ?」
「うわっ」
不意に後ろから声をかけられ、遥は過剰に反応する。
が、振り返るとそこには見知った顔。拍子抜けした。
「なぁんだ、そーじか……」
幼馴染みである。遥ががっかりすると、
「なんだってなんだよ。俺のこと探してたんじゃねえのかよ?」
「そんなわけないじゃん。
「なんだよ。あいつとまた何かあったのか?」
想示が何気なく発した一言に、遥の頬がぴくりと動く。
彼には悠が部を離れたことを話していない。だから、想示が知らなくても仕方ないのだ。不器用でもなんだかんだ自分を気遣ってくれるこの幼馴染みには、なんの非もないと分かっている。
だけど。
「お前ら、仲直りしたんじゃなかったのかよ――」
「そーじには関係ないでしょ」
つい、つらく当たってしまう。
「っ」
そんな遥の様子に何かを察したのか、想示は言葉をつまらせた。そして気まずそうに顔を背けながら、
「ひ、緋河なら……。ほら、」
と、想示は教室ではなく廊下の窓際へ移動し、そこから見下ろせる中庭を示してみせる。見てみると、確かに悠の姿がそこにはあった。
「あいつ、昼とか放課後は大抵あそこにいるよ。一人でメシ食って、なんか撮ってるな」
「……へえ、詳しいんだ? ふうん……」
気まずさからうまく話せず、適当に相槌を打つ、と。
「な、なんだよその目は。部活の時とかたまに見かけるだけで、別にあいつのことなんか、」
あからさまにうろたえる幼馴染みである。遥は何かあったのかと胡乱な目でジッと彼の顔を観察する。
「……や、妬いてんのかよっ? べ、別に? 俺は緋河とかタイプじゃねえし? あんな根暗……」
「はあ?」
顔を真っ赤にしながら精いっぱいに言い返したつもりなのだろうが、遥と想示との間には何か決定的な考えの相違があるようだった。想示だけが意味もなく損をする。
「……いや、なんか、その……もういいや」
うなだれる幼馴染みである。
遥は首を傾げながらも、彼を放ってその場を後にした。
***
緋河悠は、遥にとって特別な女の子だった。
何がどうとは具体的に言えないものの、他とは違う、どこか変わっている……それが遥が悠に対して感じる印象だ。
悠はいつもどこか遠くを、遥には分からない何かを見つめ、捉えていた。
真っ直ぐに、ただ純粋に、周りの目など気にせずただ一点に、熱い眼差しを注いでいたのだ。
中学一年の春に出会い、同じクラスになり、最初のうちは他の子同様、ただ遠巻きに眺めているだけだった。
不思議な子だな、でもきれいだな、と。
それがいつしか、彼女のその目が自分を見つめていることに気が付いて――
彼女の撮った写真を見せてもらった。そこには彼女の目にだけ映る、遥の知らない景色がたくさん詰まっていて。溢れていて。
他人のことには興味がない、そんな風にクールな彼女の、世界のどこかに向ける強い情熱を感じた。
まるで彼女の秘密に触れたようで嬉しかったのを、とてもよく憶えている。
その瞳に灯る輝きになりたいと、強く思ったことも。
***
柔らかな日差しと校舎の作る影に彩られ、渡り廊下から吹き込む風が涼を運ぶ中庭には、それなりの数の生徒が昼食をとっていた。
いくつかある東屋とベンチ、隅には自販機もある中庭は絶好のランチスポットだ。上から見渡すぶんには苦労しないが、いざ実地で探すとなると少しだけ手間がかかった。
だが見つけた瞬間、これまでの疲れや葛藤、迷いは吹き飛んだ。
「あ――、」
彼女は中庭の隅、大きな樹の下に佇んでいた。
携帯を片手に、頭上に広がる枝葉を見上げている。ただぼんやりしているようにも、何か目的があってそうしているようにも見える、きれいな佇まい。
すらりと伸びた手足は木陰の中で白く冴え、風にさらりと揺れる黒髪は木漏れ日を受けて輝く。背筋は姿勢よく伸びて、形のいい胸部の描く曲線を強調しているかのようだ。そこには見るものをどきりとさせる美しい立ち姿がぶれることなく保たれていた。
自然体の美。誰かに魅せるためじゃない、彼女は自然に佇んでいるだけ。なのにそれがまるで作り物めいて見えるほど完成されている。
公広と摘吹の因縁について聞いたが、悠の場合、その心の美しさがそのまま身体に表れているといえるかもしれない。
確固たる、確立した個。
揺らぐことのない信念があって、周囲に流されない自分だけの意志を持って前に進める人。
「…………、」
息を呑んで彼女の横顔を見つめるばかりで、遥は声をかけることが出来なかった。そうすることが躊躇われる、心奪う美しい立ち姿。その自然に築かれた均衡を崩してしまいそうな気がして、もう一歩が踏み出せない。
あの雪の日の――いつかの姿が重なって。
どこか遠くを――自分じゃない何かを見つめる姿に、胸が苦しくなって。
彼女を、ただただ見つめていた。
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